0217.モールニヤ市
少年兵モーフは、小部屋の窓から外を見る。
ラクリマリス人のファーキル少年だけに見張りを任せる気にはなれないからだ。
トラックが南進する。フロントガラス越しに見えるのは、単調な景色だ。
右手にラキュス湖、左手に森。ラクリマリス王国の国道は、その間の僅かな枯れ野を走る。枯れ野は春を映し、所々若草色に染まる。
時折、標識が現れるだけで、眠気を催す退屈さだ。
メドヴェージが換気の為に窓を開ける。頬に当たる風が冷たく、居眠りはできなかった。
カーラジオからは、今日も代わり映えしないニュースが流れてくる。
まだ、クブルム山脈のすぐ近くだからか、ネモラリス共和国の国政放送を受信できた。
いつものアナウンサーの声が、避難所情報の後、昨日はアーテル軍の空襲がなかったと告げる。
……外国に居るのに、知ってる声が聞こえんのって、ヘンなの。
空襲がなかったと言うが、ネモラリス軍の働きによる戦果なのか、アーテル軍が作戦準備で敢えて出撃しなかったのか、少年兵モーフにはわからなかった。
南へ向かうことに漠然とした不安が首をもたげる。
……空襲がなくなったんなら、ガルデーニヤに行っても一緒じゃねぇ? 別に、魔法使いばっかの街なんか行かなくってもさ。
だが、ソルニャーク隊長が南へ行くと言ったからには、反対できなかった。
少年兵モーフは、自分が無学で何も知らない子供だと心得ている。これまでずっと、隊長に従って間違いはなかった。
病院襲撃作戦を立てたのは、星の道義勇軍のもっと偉い人だ。だから、自分たちがあの湖の民の呪医に捕まったのは、ソルニャーク隊長のせいではない。
三十分もしない内に街が見えて来た。
街の南東方向に山脈が連なるのも見える。
地平線の向こうで灰色の影絵に見えた街並が、フロントガラスの中でぐんぐん大きくなった。
近付くにつれて、屋根の赤さや木々の青々とした輝きが、少年兵モーフの眼に鮮やかに映る。
……ゼルノー市よりキレイな街だな。
作戦で破壊する前の街並を思い出し、胸の奥がチクリと痛んだ。
メドヴェージが停車し、荷台に声を掛ける。
「手前まで来たぞ」
「検問所は?」
「いや、まだわかんねぇんでさ」
ソルニャーク隊長の声にメドヴェージが簡潔に答えた。荷台の空気がピリピリ張り詰める。
「ま、ゆっくり近づいてみまっさぁ」
「頼む」
エンジンを始動し、トラックが再び動き出す。
何の覚悟も決まらない内に車体が街の北口に到達した。
医療産業都市クルブニーカや北ザカート市同様、周囲を魔物除けの壁で囲んである。国道に繋がる北門が、灰色の壁にぽっかり口を開ける。
壁の外側には、何もない。
リストヴァー自治区とゼルノー市を隔てる壁は、自治区側とゼルノー市側、両方に検問所があった。
星の道義勇軍の作戦では、そこを強行突破した。
壁の高さは、二階建ての屋根より少し低い。
北門は、幅が四車線分ある。門の向こうは広々とした空間で、その奥に続く道の両側には、民家や商店が建ち並ぶ。
「あれっ?」
メドヴェージが、拍子抜けした声で左右を見回した。
助手席のファーキルも戸惑った顔で見回す。
「どうした?」
ソルニャーク隊長が小部屋に入った。
少年兵モーフは場所を譲って成行きを見守る。
「ねぇんでさ」
「何が?」
「検問所」
メドヴェージはゆるゆると速度を落とし、広場の片隅にトラックを停めた。程なく、後ろの荷台が開けられ、乾いた風が吹き込んだ。
広場の向こうの道は、それなりに人通りはあるが、車は一台もなかった。
パン屋の兄姉妹が、三人揃ってそちらへ歩いてゆく。
……何する気だ? あいつら……?
「こんにちはー」
パン屋のピナが、少し離れた所で立ち止まる。知り合いのような調子で、手前の家に入ろうとする中年女性に声を掛けた。
おばさんは足を止め、警戒心剥き出しの眼を向ける。
女子中学生は、全く臆することなく、明るく続けた。
「私たち、パンとかお薬とか売ってる行商でーす。ご用はありませんかー?」
おばさんは一瞬、驚いた顔をしたが、パン屋の娘に微笑み返した。
「何のお薬だい?」
「魔法の傷薬です。今から作るんで、容れ物と油は、そちらでご用意いただくんですけど」
「あぁ、それは重宝するよ。みんなー! 薬屋さん来たよー!」
おばさんは通りに向かって叫んだ。
通行人の大半は、こちらをチラ見しただけで、すぐ自分たちの用に戻ったが、数人が広場に入って来た。一人がおばさんと同じ質問をし、パン屋の兄妹が答える。
「坊主、ぼさっと突っ立ってねぇで、お前も手伝え」
メドヴェージに声を掛けられ、少年兵モーフが振り向く。
呆気に取られるモーフを他所に、みんなは荷台から机と段ボールを降ろす。
アマナが、会議用の長机にさっき作ったばかりの看板を貼り付け、他のみんなは売り物を並べる。
少年兵モーフは、慌てて設営作業に加わった。
説明を聞いた人たちが去り、パン屋の兄姉妹が戻る。
「油と容れ物、取りに戻るそうなんで、アウェッラーナさん、後、よろしくお願いします」
「買ってくれるんですか?」
魔女の薬師が、レノの説明に驚きと喜びの混じった声で聞いた。
「そうみたいです」
パン屋のレノは小さく頷いたが、彼らがその場を離れる口実や社交辞令で言った可能性も捨てきれない。
レノ店長の移動販売「見落とされた者」と客、双方に信頼関係がなかった。
準備はすぐ終わったが、まだ誰も来ない。
「小汚ねぇのが居ると、人が寄りつかねぇからな。俺らは引っ込んどこう」
メドヴェージに肩を叩かれ、少年兵モーフは荷台に戻った。
「私、中で蔓草、編んでます」
近所のねーちゃんアミエーラも乗り込む。さっき材料を採ったばかりで、何もない。蔓草細工の看板は、まだ荷台に置いたままだ。
ねーちゃんは荷台の隅に腰を降ろすと、すぐさま作業に取り掛かった。
「手伝おう」
ソルニャーク隊長は、ねーちゃんの返事も待たず、蔓草を取って編み始める。
クルィーロが荷台の小部屋に入り、発電機を起動してレコードを掛けた。
「俺も手伝っていいっスか!」
少年兵モーフが発電機の駆動音に負けないよう、声を張り上げると、アミエーラは大きく頷いた。
姉に教えてもらって、モーフも少し作ったことがある。ゴミ袋に集めた蔓草を手に取り、編み始めた。
床に固定されたスピーカーの音が、荷台で反響する。
大好きな天気予報の曲に乗り、少年兵モーフは手際よく小さな籠を編み進めた。
底を丸く編み、しっかり編み目を詰めて固定する。そこから蔓を起ち上げ、縦に編んで深さを作る。
荷台の外で女の子たちが歌うらしい。声ははっきりしないが、きっと天気予報の歌だろう。
モーフはいつの間にか作業に没入し、発電機の騒音が気にならなくなった。
☆あの湖の民の呪医に捕まった……「0013.星の道義勇軍」「0014.悲壮な突撃令」「0017.かつての患者」~「0019.壁越しの対話」参照
☆作戦で破壊する前の街並……「0053.初めてのこと」参照
☆さっき作ったばかりの看板……「0209.森と枯れ野で」参照
☆自治区側とゼルノー市側、両方に検問所/星の道義勇軍の作戦では、そこを強行突破……「0010.病室の負傷者」「0025.軍の初動対応」参照
☆天気予報の歌……「170.天気予報の歌」「178.やさしき降雨」参照
☆蔓草細工……「0051.蔓草の植木鉢」「0062.輪の外の視線」参照
☆さっき材料を採ったばかり……「211.森で素材集め」参照




