2126.教会の手伝い
本物の珈琲が来て、カフェの個室に芳醇な香りが満ちる。
店員が、パンケーキ一皿を卓の中央に置き、三人分の取り皿とカトラリーを並べて退室した。
「えッ? いいんですか?」
「お昼ごはんの前ですけど、三人で分ければ少しずつですし」
女子高生ファクスに扮したクラウストラが、喜びと驚きの混じる声を出す。
神学生ファーキルは、ファクスの従兄ガレチャーフキに扮したロークを上目遣いに窺った。
ロークは、ガレチャーフキの声と渋る表情を作って答える。
「まぁ、折角だし、残すと勿体ないし」
「やった!」
クラウストラが女子高生のフリで無邪気に喜んでみせる。
「最近、卵高くなって、おうちでおやつ作れなくて」
「養鶏場で鳥インフルエンザが発生したからですよ」
「え? 夏なのに? インフルってあるんですか?」
クラウストラがパンケーキを切り分ける手を止め、神学生ファーキルに驚いた顔を向けた。
「渡り鳥が来る秋から冬にかけてが多いですけど、ウイルス自体は一年中どこかに居ますからね」
「あー……そっかぁ。どこかで生きてるから、毎年流行るんですねー」
「もしかすると、外出自粛とかで、世話の手が薄くなってる間に雀とかが鶏舎に入ったのかもしれません」
「魔獣のせいでそんなコトまで」
クラウストラは頷いて、取り分け作業を再開した。
「鶏の死骸は、バルバツム軍にも協力してもらって焼却処分が終わったので、今のところ、養鶏場で魔獣は出ていないそうですよ」
湖南経済新聞や、バルバツム連邦本社版の星光新聞などには掲載され、外国の通信社も配信済みだが、アーテル共和国では全く報道されなかった。
保健相の発表は官報に掲載され、首都ルフスの庁舎前に設置された物体の掲示板には貼り出されたが、新聞や雑誌には載らず、ラジオでも一言も触れない。
「よかった! でも、燃料とかって?」
三等分したパンケーキを三人の前に置きながら、クラウストラが無邪気な笑顔で聞く。
「バルバツム軍に提供してもらったと、ウチの司祭様から伺いました」
「バルバツム軍って至れり尽くせりなのね」
クラウストラは感心してみせた。
神学生が重々しく頷く。
「魔獣の死骸を焼く火焔放射器用の燃料だそうですけどね」
……情報源、どうなってんだ?
ロークは、久々に味わう本物の珈琲をちびちび口に含みながら、神学生ファーキルを観察する。
「ルフス神学校の司祭様って、軍の事情にも詳しいんですね」
クラウストラが無知な女子高生を装って言う。
神学生ファーキルは、聞かれもしないのに語り始めた。
「神学校にも魔獣がたくさん出て救助された後、無期限休校になったのです」
身ひとつで軍用ヘリに救出された為、教材を持ち出せなかった。
インターネットが繋がらない為、オンライン授業もできず、電子版の教科書で自学自習もできない。図書館は学習関連の書籍が軒並み貸出中だ。
実家に帰って別の道を探し始めた神学生も居るが、一部は教会に住み込んで、神学を学べる環境を手に入れた。
多くの教会は、前庭や中庭が土の地面だ。立入れば土魚の餌食になる。セメントや石材のタイルなどで固め、安全を確保できた教会は、ほんの僅かだ。
今は、立地場所が住宅密集地で、元々庭のない小さく貧しい教会の方が安全で、支援を求める信徒も大勢集まった。
「教会のお手伝いをしながら、司祭様から実地で神学を学んで、夜、数学とか他の勉強をしてるんですよ」
「え? スゴーい! もう聖職者見習いってコトじゃないですか」
クラウストラが大袈裟に驚いてみせる。
ロークはパンケーキを食べ終え、暇になった口で聞いてみた。
「どこの教会ですか?」
「都内の、ザーイエッツ氏の工房の近くです。工業地帯の端にある集合住宅が多い地区で、礼拝のお手伝いの他にも、小中学生の学習支援や、炊き出しのお手伝いとか、させていただいています」
「凄く本格的なんですね」
「はい。色々初めての経験が多くて、失敗もあるんですけど、みなさん大変よくして下さいます。それでどうにかこなせている感じですね」
神学生ファーキルは、やや表情を翳らせた。口先だけの謙遜ではなさそうだ。
「でも、神学校とは全然違う環境で頑張ってて立派です」
「立派かどうかはわかりませんが、神学校に居てはできなかったコトが色々できて、今までとは全く方向性の違う勉強になって、毎日たくさんの発見があるので、とても充実しています」
神学生ファーキルは、クラウストラに瞳を輝かせて答える。
彼は上流階級出身で、初等部からルフス神学校の聖職者クラスに入学した。生活支援が必要な階層とは接点がなかっただろう。
神学校の礼拝堂は、日曜などに地域住民にも開放されるが、あの辺りは高級住宅街だ。
彼が新しい経験や知識として語る貧困層の暮らしは、半世紀の内乱終結直後からの経済格差が発端だ。アーテル共和国の歴代政権が重ねた失政による固定化と拡大で、魔哮砲戦争の開戦前から存在する。
ルフス神学校では、就職の保証がない一般クラスも競争倍率が高かった。全寮制で、一人分の生活費を家計から切り離せる為だ。
アーテルは学歴社会だ。
学力さえあれば、貧困層から這い上がれると錯覚しがちだが、その学力も、教材の入手や学習塾などによる追加の教育で、富裕層と貧困層では、大きな隔たりがある。
貧困層の小中学生は、共働きの両親に代わって、家族の世話や家事労働を担う。家にいる間は忙しく、勉強時間を確保し難かった。
学校だけが頼りだが、家族の介護や看病、幼い弟妹の世話に追われ、登校もままならない日もある。給食を食べられれば、それで一食確保できるが、欠席してはそれもなくなる。
アーテル共和国のすべての学校は、入学金や授業料は不要だが、入学試験では学力の足切りがある。総合得点では合格基準に達しても、特定の教科だけ成績が基準点に届かなければ、不合格にされるのだ。
これもまた、苦手分野を補う経済的、時間的余裕のない世帯の子供には不利に働いた。
運よく高校に入学できたとしても、家計を支える為のアルバイトで忙しく、進級できずに中退する者や、大学受験を諦める者も居る。
ネモラリス人のロークでも、教会のボランティア活動やアーテル共和国内で報道されるニュースを少し調べただけで、簡単に手に入る情報だ。
……興味ないコトは、視界に入ってもスルーなんだよな。
ロークは自戒を籠めて、神学生ファーキルを見た。
☆養鶏場で鳥インフルエンザが発生……「2103.養鶏場の災厄」参照
☆神学校にも魔獣がたくさん出て救助……「1700.学校が終わる」「1710.病室での報告」参照
☆図書館は学習関連の書籍が軒並み貸出中……「1652.空疎な図書館」参照
☆ザーイエッツ氏の工房……「1995.伝承の復元を」「1996.バラ撒く情報」参照
☆就職の保証がない一般クラス……「744.露骨な階層化」参照
☆教会のボランティア活動……「1653.教会の勉強会」~「1655.憎しみの連鎖」「1657.甘~いお願い」「1659.足りない教材」参照




