2124.製薬専門の場
呪医セプテントリオーが、すっかり遅くなった夕飯を食べながら針子のアミエーラに言う。
「つい最近、リグニートさんから聞きましたよ」
「えっ? 最近っていつ頃ですか?」
「えーっと……正確な日付は思い出せないのですが、一週間も経っていないと思います」
忙しい呪医は、曜日や日付の感覚が曖昧になりがちだ。
「環境省と冬の都大学は、予算の都合で今年度はこれ以上、人員を増やせ居ないそうですが、ガルチーツァ製薬は【思考する梟】学派の研究者と、護衛の警備員を増やすそうですよ」
「初めて聞きました。アサコール党首たちはご存知なんでしょうか?」
「さぁ? 調査隊から話があったか、私は把握していませんが、ファーキル君も知らないのですか? 報告書は?」
「ちょっと聞いてきます」
アミエーラは魔道書を抱えて席を立った。自室に本を置いて、パソコン部屋へ急ぐ。
「え? 俺も初耳です」
ファーキルはパソコンで作業中のファイルを保存し、タブレット端末を掴んで食堂へ向かった。
呪医セプテントリオーは食事を終え、マリャーナ宅の使用人が食器を下げるところだ。
「ごちそうさまでした」
「お口に合いましたようで、よろしゅうございました」
年配の使用人は呪医に微笑で応じ、食器を乗せたワゴンを押して食堂を出た。
ファーキルが、呪医セプテントリオーの正面に座り、アミエーラはファーキルの隣に腰を下ろす。
「あの、今、アミエーラさんから聞いたんですけど、産官学合同調査隊の追加派遣があるって」
「私も、正式な通知ではなく、治療が一段落した時にリグニートさんから、雑談として聞いただけなのですが」
呪医セプテントリオーが、アミエーラにしたのと同じ説明を繰り返す。
先程の使用人が戻って、三人分の香草茶を置いて退室した。
ファーキルが、凄い速さでタブレット端末でメモして言う。
「じゃあ、この件、知ってるか、アサコール党首たちに聞いてみます」
亡命議員たちにメールを一斉送信して、再び画面をつつくと、食卓の中央に置いた。小さな画面に表示されれたのは、建設途中の丸木小屋だ。
「ボランティアの薬師が診療所で作業すると、どうしても、治療の手伝いに駆り出されちゃうんで、ボランティアセンターの隣に専用の場所を作るコトになったんです」
「巡回の薬師さんが、そこで魔法薬作りに専念するってコトですか?」
これも、アミエーラは初耳だ。
呪医セプテントリオーも知らなかったらしく、食卓に身を乗り出して写真を見詰める。
「当面は、同定できるプロの人が、素材の仕分け作業をするそうです」
「プーフ呪医が、住民のみなさんが採ってきてくれる素材は、色々混じっていて選別が大変だと言っていましたからね」
呪医セプテントリオーが、顔を上げて遠い目になる。
呪医プーフは、魔法薬と術を併用して癒す【飛翔する梟】学派だ。
薬師アウェッラーナ同様、魔法薬を作成できるが、治療に忙殺されてなかなかそこまで手が回らない。
この間、アウェッラーナとアルキオーネが、魔法薬と中間素材を届けに行った時も、大変だったらしい。
常駐の医療者は、この二年余り働き詰めだ。
今夏、研修名目で夏の都へ連れ出して順番に休息を取らせる最中だが、一週間程度の休みでは、焼け石に水だ。
大伯母カリンドゥラが、潜在医療者のボランティアを手配した。研修に出された医療者が住む診療所で治療を代行してもらい、護衛に雇った警備員たちが付近の魔獣を狩る。
一時的に負傷者は減るが、常駐医療者が戻って、ボランティアが次の区画へ移ると、すぐ魔獣が増えた。
……魔獣をやっつけられる人がもっと欲しいけど、ボランティアじゃムリよね。
「同定するのは、薬師ではないのですか?」
「はい。製薬会社の原料管理の有資格者で、ボランティアって言うか、大森林で何が採れるか、データが欲しいみたいですけどね」
ファーキルが苦笑交じりに答える。
善意だけの完全なタダ働きでは、支援を続けられない。
パテンス神殿信徒会やアミトスチグマ王国医師会などにも、難民キャンプで採れたものの、持て余し気味な魔獣の消し炭や野生動物の毛皮などを渡して、活動資金の足しにする。
経済制裁で外部からの寄付が減った分、難民キャンプ側でなんとかしなければならなかった。
「成程。調査隊のように大森林の奥地まで行って、自分で採るのではなく、素人でも採れる比較的浅い所のものを中心に調べるのですね」
呪医セプテントリオーが頷く。
難民キャンプは一応、経済制裁の対象外だ。
もしかすると、素材採取が難民の新たな収入源になるかもしれない。
アミエーラの胸に淡い期待の灯が灯ったが、ベルトやバザーの件を思い出し、すぐ凋んだ。
ファーキルが、微妙な顔で言う。
「魔法薬を作るプロのボランティアは、なかなか人手の確保が難しいので、リグニートさんが、大学の後輩に声を掛けてくれるって言ってましたけど」
「学生さんも、何かと忙しいでしょうからね」
呪医が半分以上諦めた顔で頷く。
あまり期待できないが、平原との境にあるボランティアセンター付近なら、難民キャンプ内の診療所よりも安全だ。少しは来やすいかもしれない。
「移動放送局のみんなは今、クレーヴェルに居るんですよね?」
ファーキルに聞かれたが、アミエーラも報告書でしか知らなかった。
魚屋に片っ端から電話したそうだが、薬師アウェッラーナの身内はみつかっただろうか。
アミエーラが曖昧な顔で頷くと、ファーキルは予想外のコトを口にした。
「クレーヴェルの薬科大生にも声を掛けて、魔法薬作りを手伝いに来てもらえたらなって」
「えッ? クレーヴェルから難民キャンプに引っ越すんですか?」
「いえ、【跳躍】でボランティアセンターの隣に通って、報酬は鹿の角とか、難民キャンプで加工しきれない素材を持って帰ってもらえないかなって」
「首都から出て来られるのでしょうか?」
呪医セプテントリオーが首を傾げる。
首都クレーヴェルの住民は、自由に都外へ出られるものなのか。
「それはわかりませんけど、何もしないより、お互い、少しはマシかなって」
「誰が、どうやって伝えるのです?」
「放送できれば手っ取り早いんですけど、それが無理なら、大学で、学生さんに直接声を掛けるしかなさそうですね」
ファーキルは自信なさそうに言って肩を落とした。
☆魔法薬と中間素材を届け……「2066.僅かな魔法薬」「2073.出られない間」→大変「2076.癒し手の疲弊」参照
☆研修名目で夏の都へ連れ出して順番に休息……「1831.休養日の設定」「1968.医療者の研修」~「1973.自治の難しさ」参照
☆経済制裁……「1842.武器禁輸措置」「1843.大統領の会談」「1844.対象品の詳細」「1851.業界の連携を」「1862.調理法と経済」「1868.撤回への努力」参照
☆難民キャンプは一応、経済制裁の対象外……「1876.急減する支援」参照
☆ベルトやバザーの件……「1865.波及する影響」参照
☆魚屋に片っ端から電話……「2113.電話帳で調査」「2118.ある店ない店」参照




