2116.償いの水呼び
湖の女神に使える緑髪の神官は、レノに可哀相なモノを見る目を向けて言う。
「あなた方、常命人種は歴史の教科書でしか旧王国時代を知らないでしょうが、実際、当時は我々湖の民も、力ある陸の民と力なき陸の民も、いえ、キルクルス教徒でさえ、ラキュス・ネーニア家とラクリマリス王家による共同統治の許で、平和に共存していたのですよ」
「長命人種の人たちから、昔はよかったって、何回も聞きました」
この中年に見える聖職者は、三百年か四百年余り生きたらしい長命人種だ。得意げに頷いて、レノに熱っぽく語り続ける。
「そうでしょう。民草に権力を与えたところで、たかだか数年の任期付き。仕事をモノにするには短過ぎます。だからと言って、任期を長くすれば汚職の温床になります。何かあった時に責任を取ると言っても、職を辞するだけ。それも、熱が冷めれば、また選挙に打って出ます。魔哮砲のような裏切りを平気でしでかすだけなのです」
「でも、もし、ラキュス・ネーニア家の偉い人が悪いコトしたら、どうなるんですか?」
レノは、なけなしの勇気を振り絞って質問した。
ジョールチがすかさず助け舟を出す。
「旧直轄領の複数の村で、サル・ガズ様とサル・ウル様による隠れキルクルス教徒狩りの件と、ウヌク・エルハイア将軍が、お二人を処罰なさったと言う話を何度も耳にしました」
「処罰の内容は、お聞きになりましたか?」
ウシェールィエ神官が、思いの外、静かな声で聞く。
「いえ。ウヌク・エルハイア将軍は、お二方を処刑なさるご意向だったそうですが、シャウラ様が、命を奪うより償いをさせた方が、間違いで命を奪われた力なき民のフラクシヌス教徒と、遺族の為になると進言なさって、死罪を免れたとしか」
「左様ですか。お二人は、祭壇の広間でサファイアをご覧になりましたよね?」
「サファイア……水が出てた青い宝石、【魔道士の涙】じゃなかったんですね」
レノが少し安心して聞くと、神官は頷いて説明した。
「クーデターの戦闘で亡くなられたラキュス・ネーニア家の方々は、既に塋域の島のラクテア神殿に葬られました。現在、クレーヴェルの神殿にあるのは、【水呼び】を掛けたサファイアです」
初めて聞く件を一度にたくさん言われ、レノは何をどう質問すればいいやらわからず、隣に座るジョールチを見た。
国営放送のアナウンサーは、全く動揺する様子もなく質問する。
「まず、ラキュス・ネーニア家の方々の訃報に接し、皆様方の魂の平安をお祈り申し上げます。恐れ入りますが、いつ、どこで、どなたが、何故、亡くなられたのか、差し障りなければ、教えていただけませんか?」
「個人名などの詳細は、遺族の方々のご意向で控えさせていただきます」
「はい。概要だけでもお聞かせ願えましたら、助かります」
ラキュス・ネーニア家からも死者が出たとは初耳だ。
旧直轄領の村々には伝えなかったのか、余所者には口止めしてあったのか。
「いずれも首都で、戦闘が激しかったクーデター初期の三カ月間です」
神官は、湖の女神パニセア・ユニ・フローラに祈りを捧げて語った。
クーデターに関連して死亡したラキュス・ネーニア家の血縁者は合計五人。男性四人と女性一人だ。
男性の内一人は、戦闘で病院が機能せず、呪医の手配も間に合わなかった為、病死した。他の男性三人は解放軍側二人、政府軍側一人で、別々に戦死。唯一の女性は年端も行かぬ子供で、住居が戦闘に巻き込まれ、瓦礫の下敷きになった。
「そんな……身内同士で殺し合うなんて……」
レノが言葉を失うと、長命人種の神官は沈んだ声を出した。
「半世紀の内乱時代は、日常茶飯事でしたよ」
「恐れ入ります。祭壇の広間にあったサファイアがどんなものか、お聞かせ願えますか」
アナウンサーのジョールチが話を戻すと、緑髪の神官は硬い表情で応じた。
「現在は再建工事が完了しましたが、都内にある神殿が三カ所、混乱に乗じた星の標の爆弾テロで破壊されました」
再建まで、祈りと魔力の供給が途絶え、ラキュス湖の水位が更に低下した。
ウヌク・エルハイア将軍が、戦闘の落ち着いた印暦二一九二年三月、都内に残る【巣懸ける懸巣】学派と【穿つ啄木鳥】学派の術者を徴用。都内に十二カ所あるパニセア・ユニ・フローラ神殿の改修と水路の新設工事を命じる。
道路や病院などの工事は、公共事業として、都内に残る力なき民の建設事業者を中心に発注した。
神殿と水路を優先させたのは、水位が危機的状況にまで低下したからだ。
首都クレーヴェルのパニセア・ユニ・フローラ神殿からは、王都ラクリマリスの大神殿に魔力を供給せず、この場で【水呼び】を行うよう、祭壇の広間全体の術式を変更させた。
主神フラクシヌスや岩山の神スツラーシなどの神殿からは、従前通り、大神殿へ魔力を送る。
「一時的な措置で、水位が目標値まで回復すれば、元に戻すそうです」
「目標水位とは、具体的な数値目標があるのですか? いや、それより、大神殿への魔力供給を遮断しては、旱魃の龍の封印が弱まるのではありませんか?」
アナウンサーのジョールチが懸念を口にする。レノは全く思いつきもしなかった視点だ。
「大神殿とラクリマリス王家に確認済みで、問題ないそうです。目標は、印暦二一九二年四月一日時点の水位から、三メートル増加です」
「三メートルも?」
レノは絶句した。
ラキュス湖は広大な塩湖だ。日々の蒸発もある。
水位を三メートル回復させるのに何立方キロメートルの水が必要か、勉強が苦手なレノには見当もつかなかった。
「サル・ガズ様とサル・ウル様はそれぞれ、ウヌク・エルハイア将軍とシャウラ様に付き添われ、毎日【水呼び】の呪歌を謳っておられます」
「それが、償いなのですね?」
ジョールチが確認する。
「はい。六カ所ずつ担当して、魔力の消耗が激しい呪歌を六日間謳い続けて一日休み。近頃は、他のことをする気力さえ全くないご様子です」
レノは、人狩りをした双子が本当に戦えないとわかって少し安心した。
☆民草に権力を与えたところで(中略)裏切りを平気でしでかすだけ……「1629.支配者の命令」参照
☆処罰の内容……「1552.首都圏の様子」「1552.首都圏の様子」参照
☆塋域の島のラクテア神殿……オーストロフ島「1393.遠い島の墓所」「1486.ラクテア神殿」~「1488.水呼びの呪歌」、レノの認識「1542.神殿を守る民」参照
☆王都ラクリマリスの大神殿に魔力を供給
仕組み……「534.女神のご加護」「542.ふたつの宗教」「821.ラキュスの水」「1308.水のはらから」参照
中心部の様子……「684.ラキュスの核」参照
低下の話……「534.女神のご加護」「536.無防備な背中」「585.峠道の訪問者」「874.湖水減少の害」「1086.政治の一手段」参照
水位……「821.ラキュスの水」「874.湖水減少の害」




