2115.連絡役の神官
緑髪のウシェールィエ神官が一人で話し続ける。
十人掛けの会議机を囲む席には、レノとアナウンサーのジョールチ、この神殿に努める中年の神官、三人だけだ。ジョールチの返事を待たず、神官の声だけが小会議室に響く。
レノは【耐暑】のリボンを巻いた蔓草細工の帽子を脱いで、会議机に置いた。
神殿の集会所全体に掛けられた【耐暑】の術で、魔法の品を外しても涼しい。
「実は、兄が解放軍に参加しておりまして、私は連絡役を頼まれたのですよ」
ネミュス解放軍による政権奪取宣言に続く政府軍との戦闘は、約半年後の印暦二一九二年二月末まで続いた。
クリペウス政権の中枢が早々にレーチカ市へ移った為、首都防衛、あるいは奪還の意義が薄れたことが、戦闘が終了した理由のひとつだ。
星の標と隠れキルクルス教徒は戦闘の混乱に乗じ、爆弾テロを行ったが、双子のサル・ウルとサル・ガズがそれぞれ率いる調査隊の働きで、芋蔓式に捕えられた。
その年の春頃から、議員宿舎襲撃事件以来、ずっと行方不明だった国会議員が首都クレーヴェルに戻り、ネミュス解放軍と合流。魔哮砲を使役するクリペウス政権の打倒で一致協力する。
「今、首都に留まるのは、魔哮砲の廃棄と神聖復古を望む人たちなのですよ」
湖の女神を奉じるウシェールィエ神官が、暗に異教徒の完全排除を語ってジョールチを見た。
首都に戻った国会議員たちは、議員宿舎襲撃事件の真相を語った。誰もが耳を疑い、俄かには信じられない事態だ。
解放軍は、警察署や裁判所を押え、改めて、彼らに【明かし水鏡】と【鵠しき燭台】を使用。議員宿舎でも、何らかの痕跡が残る現場で【鵠しき燭台】を使った。
「国会議員たちが語った信じ難い顛末は、概ね事実だと確認されました」
「そんなコトが」
アナウンサーのジョールチが、驚いた顔で続きを飲み込む。
ウシェールィエ神官に伝えられた「真相」は、アサコール党首ら亡命議員から直接聞いて知った内容とほぼ同じだ。
細部が少し違うのは、神官が覚えきれなかった部分や、単純な記憶違いなのだろう。大筋が変わるような重要な部分には、間違いがなかった。
「ネモラリス共和国の民主主義は、あの日、死んだのです」
「民主主義が……死ぬ?」
レノは思わず聞き返した。
神官の緑の目がレノに向けられたのはほんの一瞬で、すぐジョールチに戻った。
「秦皮の枝党と湖水の光党の一部議員、そして、事もあろうにアル・ジャディ将軍が率いるようになった政府軍は、国民を欺いて魔法生物の兵器利用を研究し、魔哮砲を実戦投入したのです」
「その情報は、いつ、どこで手に入れたのですか?」
ジョールチが会議机にやや身を乗り出して聞く。
ウシェールィエ神官は、眼鏡の奥にある黒い瞳を正面から見詰めて答えた。
「ラクリマリス王国領の神殿で見たニュースや、信徒の方々が外国で仕入れた情報などです」
「確かに、国内でどんなに情報統制しても、土地勘があれば、外国の情報が手に入りますね」
力ある陸の民のジョールチが頷く。
「そうなのです。国内では、物資不足や情報統制で、新聞のページ数も内容も薄くなりましたが、ラクリマリスに行けば、分厚くて内容の濃い湖南経済新聞などが手に入りますからね」
外国に親類縁者や友人などが居る者は、定期的に通って古新聞をもらって帰る。
こちらから提供するのも、情報だ。
元より、ネモラリス共和国にはインターネットが開通しておらず、個人による情報発信はないに等しい。外国人や外国企業は、身内や友人知人、取引先の安否を含め、ネモラリスの状況を知りたがった。
……俺たちが行く先々でみんなに言ってるのと、同じコトしてたんだな。
「私も、ラクリマリスの伯母から古新聞をもらって、集会所で信徒のみなさんが自由に読めるようにしております」
「土地勘のない人も、助かりますね」
ジョールチが相槌を打つと、ウシェールィエ神官は力強く頷いた。
「えぇ。報道の自由は民主主義の基本ですからね」
「どうしてですか?」
レノが聞くと、緑髪の神官は一瞬面倒臭そうな顔をしたが、すぐ表情を消して答えを寄越した。
「情報がなければ、主権者となった国民は、正しい判断ができませんから」
「あぁ、選挙公報とか、普段のニュースとか」
「そうです。しかし……」
クリペウス政権は、魔哮砲の使用に異を唱えた国会議員を宿舎に軟禁して言論を弾圧。政府軍の兵士が、脱出を試みた議員を殺害したのが、議員宿舎襲撃事件の真相だ。
緑髪の神官は先回りして、レノが聞くであろう質問の答えも口にした。
「議員の殺害は、本人の生命が奪われるだけではありません。その人物に票を投じた多数の主権者の信任、民意をも殺したに等しいのです」
「それが……民主主義の死」
レノが呟くと、今度は神官の目がきちんと力なき陸の民を捉えた。
「その通りです。クリペウス首相と彼に与する議員たちは、形式的には民主的な選挙を経た国民の代表者です。しかし、彼らの行動は到底、民意を反映しているとは言えません」
「そうですね」
レノは、神官の勢いに押されて頷いた。
「ですが、国際社会は、独裁者と化したクリペウス首相と、彼のレーチカ臨時政府を正統と看做しています。彼らには票を投じなかった国民や、魔哮砲の使用に反対して殺害された議員に信任を与えた有権者も、十把一絡げで経済制裁の対象にされ、飢えに苦しめられているのです」
「それホント、みんな困ってるんですよね」
「現在は選挙権がない子供たちは勿論、あなたのように若い有権者は、魔法生物の兵器化研究が始まった当時、まだ子供でした。選択の権利さえなかったあなた方若い世代に、一体どんな罪と責任があると言うのでしょう」
「俺もそれ、凄く理不尽だと思います」
レノの一言に我が意を得たりと、ウシェールィエ神官が熱弁を揮う。
「キルクルス教圏の国々が有難がる民主主義などと言うモノは、所詮、この程度のものなのですよ」
「それで、ラキュス・ネーニア家の手に権力を取り戻すんですか? 湖の民の人たちはいいかもしれませんけど、俺たち、力なき陸の民はどうなるんです?」
レノが聞くと、ウシェールィエ神官の目に同情が満ちた。
☆ネミュス解放軍による政権奪取宣言……「599.政権奪取勃発」~「601.解放軍の声明」参照
☆クリペウス政権の中枢が早々にレーチカ市へ移った……「636.予期せぬ再会」参照
☆議員宿舎襲撃事件
計画……「0273.調理に紛れて」参照
実行……「0277.深夜の脱出行」参照
行方不明……「378.この歌を作る」「425.政治ニュース」「429.諜報員に託す」「440.経済的な攻撃」「529.引継ぎがない」参照
☆国内でどんなに情報統制しても……「0244.慈善のバザー」「525.眠れない夜に」「575.二カ国の新聞」参照
☆議員の殺害は(中略)民意をも殺したに等しい……「525.眠れない夜に」参照
☆レーチカ臨時政府を正統と看做し(中略)十把一絡げで経済制裁の対象……「1743.神政と民主制」「1792.多角的な視点」「1842.武器禁輸措置」「1879.失政の責任は」参照
☆現在は選挙権がない子供たち(中略)どんな罪と責任がある……「752.世俗との距離」「752.世俗との距離」参照




