2112.再び首都入り
移送放送局プラエテルミッサのトラックとワゴン車が、首都クレーヴェルの東門を通過する。
湖岸沿いの国道と繋がる門には検問などなく、拍子抜けする程あっさり首都入りできた。
レノは、あまりにも普通に通れたせいで、却って不安に駆られた。だが、妹たちを怖がらせないよう、口には出さない。
トラックの荷台からは見えないが、メドヴェージは危なげないハンドル捌きで国道を進む。特にガタガタ揺れず、タイヤは滑らかに転がった。
……道の修繕、できたんだな。
首都クレーヴェルでは、印暦二一九一年九月のクーデター直後から、ネモラリス政府軍とネミュス解放軍の間で何度も激闘が繰り広げられ、多数の都民が死傷、あるいは、職場や住居などを失った。
戦闘の混乱に乗じ、星の標が渋滞の車列などを狙って自爆テロを実行。道路や周辺の建物が破壊され、通行可能な道が減って渋滞が悪化した。
停戦時間が限られる為、首都を脱出する車列が一部の道路に集中し、格好の標的になったのだ。
レノたちは徒歩で脱出を試みたが、テロに巻き込まれて重傷を負った。
素人のレノには、爆弾の種類や量はわからないが、爆心地付近の建物は【巣懸ける懸巣】学派の防護を上回る爆風を受けて崩壊。クルィーロたちの父パドールリクが瓦礫の下敷きになって、両脚を骨折した。レノも右腕を骨折。ティスは爆風で飛ばされた金属片が当たり、足首が千切れた。
薬師アウェッラーナが居なければ、首都を脱出するどころか、そのまま死んでもおかしくない状況だった。
西門近くの雑貨屋一家が、今も無事か気になる。
……アウェッラーナさんにちゃんと恩返ししないと。
旧直轄領の村で、クーデター後も翌年の一月まで首都に居た学生たちから、思いがけず、光福三号の消息を得た。
アウェッラーナたちの身内は、船長だった老漁師アビエースから船を奪った後、宣言通りに首都クレーヴェルに行ったらしい。
レノは、アビエースに酷いコトをした身内が、クーデターの混乱から逃れる人々を無償で助けたのが意外だった。
惨状を目の当たりにして、ネミュス解放軍を支持する気持ちがなくなったのか。
学生たちは、彼らが何故、首都脱出に協力するのか、意図を聞き出す余裕などなかった。光福三号を人助けの為だけに使ったなら、アウェッラーナたちと再会できた時に和解できるかもしれない。
現在、首都クレーヴェルは全域がネミュス解放軍の支配域だ。
差出人不明の日誌めいたメモによると、もう一年以上、政府軍と解放軍の戦闘はないらしい。
星の標によるテロも、鳴りを潜めて久しい。
他の都市では、ファーキルとラクエウス議員の計略で、リャビーナ市をはじめとする星の標の支部に聖職者用の聖典を送り付けた効果だろう。
キルクルス教本来の教義を知って、自分たちの活動に疑問を抱き、少なくとも、爆弾テロや呪符泥棒をやめる良心は、隠れキルクルス教徒にもあったのだ。
だが、首都クレーヴェルは状況が全く違う。
ロークの調査によると、首都には星の標の支部が複数あったらしい。
ネミュス解放軍の制圧によって、リャビーナ支部から首都の支部への経路が断たれ、聖典は届けられないだろう。
自爆テロでも星の標に死傷者が出たが、双子のサル・ウルとサル・ガズを中心とする隠れキルクルス教徒狩りによって、始末された者の方が圧倒的に多かった。
一人でも捕えられれば、【強制】の術で支部の位置や武器の隠し場所、仲間の居場所まで、何もかも白状させられる。
双子の兄弟は、ラキュス・ネーニア家の本家筋で、シェラタン当主の甥だ。力なき民の隠れキルクルス教徒が、湖の女神パニセア・ユニ・フローラの血に連なる者の強大な魔力に抵抗できるワケがなかった。
また、【鵠しき燭台】など魔法の道具を使えば、死体の一部からでも、同じ情報を得られる。
首都を脱出した学生たちの証言から、隠れキルクルス教徒狩りの苛烈さがよくわかった。捕まる前に脱出できなかった星の標たちは、恐らく一人も生き残れなかっただろう。
その後、双子は人狩りの件でウヌク・エルハイア将軍に咎められ、シャウラ・ラキュス・ネーニアと言う人物の監視下に置かれたらしい。
隠れキルクルス教徒狩りは止んだらしいが、レノたち力なき陸の民は、用心するに越したことはなかった。
首都で放送するか否かは、情報収集して、状況をしっかり見極めてからだ。
少なくとも、ウヌク・エルハイア将軍はDJレーフに友好的な態度を示した。将軍に従う派閥には襲撃されないだろうが、ネミュス解放軍は一枚岩ではない。
また、移動舗装局プラエテルミッサの車両は、どちらも無断拝借だ。国営放送ゼルノー支局のイベントトラックと、FMクレーヴェルのワゴン車には、局のロゴがある。
国営放送本局アナウンサーのジョールチと、FMクレーヴェルのDJレーフは居るが、どちらの局にも車両の正式な使用申請を出したことがない。
申請できる状況ではなかったが、レーチカ臨時政府と解放軍のクーデター政権、双方に逮捕の口実を与えてしまった。
実際、レーチカ臨時政府の差し金で、チェルニーカ市での放送を妨害され、レノたちは警察署で事情聴取された。
灰色の取調室を思い出し、レノは我知らず拳を握る。
……いや、今は、ウハー鮮魚店探すの、集中しよう。
光福三号の乗組員と取引があるクレーヴェルの魚屋らしい。
移動放送局を手伝うようになってからずっと、レノは食料品店の調査担当だ。
やっと、力なき民のレノでも、薬師アウェッラーナに恩返しできる機会が巡ってきた。
アウェッラーナとアビエースは、昨日から口数が少ない。
首都で負傷した者、家族を失った者、家や職場を失った者、クーデターに加担した可能性がある身内が居る者。移動放送局プラエテルミッサには、何かしら心に傷を抱え、喜んで首都入りできる者は一人も居ない。
それでも、前に進むしかなかった。
☆レノたちは徒歩で脱出を試みた……「710.西地区の轟音」参照
☆レノも右腕を骨折/ティス……「713.半狂乱の薬師」参照
☆薬師アウェッラーナが居なければ/西門近くの雑貨屋……「713.半狂乱の薬師」「714.雑貨屋の地下」参照
☆翌年の一月まで首都に居た学生たち……「1617.帰郷した学生」~「1629.支配者の命令」参照
☆光福三号の消息……「1620.学生らの脱出」「1621.得た手掛かり」参照
☆アウェッラーナたちの身内は、船長だった老漁師アビエースから船を奪った……「825.たった一人で」~「827.分かたれた道」参照
☆差出人不明の日誌めいたメモ……「1444.餌を撒く息子」「1445.合同開催計画」「1446.旧街道で待つ」「1447.日誌から読む」「1448.その後の情報」「1934.首都圏の情報」参照
☆星の標の支部に聖職者用の聖典を送り付けた……「0958.聖典を届ける」「0959.敵国で広める」→「0977.贈られた聖典」~「0979.聖職者用聖典」参照
☆双子のサル・ウルとサル・ガズを中心とする隠れキルクルス教徒狩り……「1620.学生らの脱出」「1622.高校生の報告」~「1627.生存の罪悪感」参照
☆【強制】の術で(中略)何もかも白状……「1625.横行する密告」「1626.異教徒を狩る」参照
☆【鵠しき燭台】など魔法の道具……「1624.首都の異教徒」参照
☆シャウラ・ラキュス・ネーニアと言う人物……「1746.制度の例外地」参照
☆双子は(中略)監視下……「1552.首都圏の様子」「1553.贖罪で生かす」参照
☆ウヌク・エルハイア将軍はDJレーフに友好的……「917.教会を守る術」参照
☆チェルニーカ市での放送を妨害……「0970.チェルニーカ」「0971.放送への妨害」参照
☆レノたちは警察署で事情聴取……「0980.申請方法調査」参照
☆ウハー鮮魚店……「1630.首都での予定」参照




