2108.つかない決心
ラズートチク少尉は、魔肉料理専門店がある細い通りから、大通りへ戻った。
昼食の時間帯が終わって、通路から飲食店の看板がなくなった分、歩きやすい。
「我々も最近、マコデスから出稼ぎに来たばかりで不案内ですが、看板くらいは読めますよ」
「いい店知ってたら、教えてくれないか?」
魔装兵ルベルが、地元民らしき魔獣駆除業者に湖南語で聞くと、黒髪の少女は大柄な余所者を見上げた。
「何屋さん? 美味しいとこ?」
「安くて美味しいとこ。それと、この人たち、今夜から島に泊まるんなら、なるべく安い宿も先に決めた方がいいんじゃないかな?」
「素泊まりの安いとこは、本土から来た人で埋まってるよ。あの人たち、宿代どのくらい持ってるの?」
黒髪の少女が、肩越しにちらりと振り向く。
呪符使いの共通語訳を聞いて、バルバツム陸軍の先任軍曹は苦笑した。
「流石に無断外泊まではできん。今でさえ、懲罰モノなんだからな」
力ある民だと発覚した兵士が安堵した顔で上官を見る。
先任軍曹は、足を止めた部下の肩をそっと押して歩かせた。
「魔力の有無がわかる水晶細工を一個手に入れて、ついでに魔法使いの暮らしをコイツにちょっと見せて、身の振り方のヒントを仕入れたら、すぐアルブム市へ戻りたい」
「司祭様、どうします?」
フリージャーナリストが聞くと、聖アルブム教会の司祭は表情を失った顔を足元に向けた。
聖職者の衣を脱ぎ、平服で来た彼は、魔力が発覚するほんの数時間前より十歳は老けて見える。
半世紀の内乱時代に生まれ、ラニスタ共和国に疎開して神学を学んだと言うことは、五十代半ばか六十代前半だろう。
この歳で、文化や生活習慣、何もかもが異なる地で、自身の魔力と向き合って魔法使いとして、生き方を百八十度変えるのは、心理的な負担があまりにも大きい。
聖職者としての地位と職、そして、キルクルス教の信仰と、これまでの暮らしのすべてを捨て、穢れた力を持って悪しき業を用いる存在として生きてゆかなければならないのだ。
「しばらく……考えさせて下さい」
年配の司祭がようやく絞り出した声は、震えて掠れ、地下街チェルノクニージニクの喧騒に紛れた。
フリージャーナリストが明るい声を出す。
「もし、司祭様さえよかったら、今夜は取敢えず本土へ戻って、俺と同じホテルに泊まりませんか?」
「宿代が」
「この辺の常識を教えて下さい。それに、宿泊費用は後で経費につけとくんで大丈夫です」
「今日中に身の振り方を何もかも決めるなんざ無理だ。記者さん、あんたもだ。一緒に派遣された奴に知らせとかねぇと、行方不明で捜索隊でも出されたら、会社に余分な迷惑が掛かるぞ」
先任軍曹が言うと、星光新聞バルバツム本社の国際部特派員は、顔を強張らせて足を止めた。大きく息を吐いて首を縦に振ると、再び歩きだす。
「あ、ここ、呪符屋ですね」
ラズートチク少尉が看板を指差す。小鳥がペンを咥えた意匠だ。
先任軍曹が呪符使いに向き直る。
「呪符ってのは、どうやって使うんだ?」
「大抵のものは、それに書いてある呪文を唱えると、籠められた魔力が開放されて、その術が発動します。力なき民でも使えますし、魔法使いなら、自前の魔力を上乗せして威力を上げられます」
「呪文を覚えて咄嗟の状況でトチらず唱える……か。訓練期間が足りんな」
「攻撃や防禦の呪符は値上がりしてます」
「却下だ。道具屋へ行こう」
先任軍曹の決断は早かった。
ラズートチク少尉はさっさと呪符屋を離れ、看板を見上げて歩く。
オリョールが苦笑した。
「日没までに本土へ戻りたいんなら、知ってる店へ案内した方が早いだろ」
「あんまり買わないし、行きつけって程じゃないんで、値引きとかは期待しないで下さいよ」
呪符使いが先頭へ出て案内する。
二十分ばかり歩く間にも、通りすがりにみつけた魔法の服屋、魔法薬専門店、素材屋などに寄り道する。
フリージャーナリストが瞳を輝かせて質問を連発し、呪符使いは共通語で簡潔に説明した。その一部始終をタブレット端末で動画に収める。
魔肉亭から三十分あまりで、細い通路の奥にある道具屋に着いた。
扉に掛かる看板には店名がなく、鳥の巣に郭公が居る意匠の木彫だけだ。
駆除屋の少女が扉を開けたが、飴色のカウンターには誰も居なかった。商品も見当たらない。カウンターの背後に天井まで届く棚はあるが、抽斗や扉が閉まって、中身は一切わからなかった。
「ごめんくださーい」
「はーい。ちょっと待ってー」
少女がカウンターから身を乗り出して声を掛けると、男性の声が応答した。
奥の扉から姿を現したのは、レースやフリルたっぷりのエプロンドレスで、筋肉質な身体を包んだ黒髪の中年男性だ。
「あらー、もしかして、随分お待たせしちゃったかしらー?」
「いえ、今来たところです。あの人が【魔力の水晶】欲しいそうなんですけど」
呪符使いが、戸口で呆然と突っ立つ先任軍曹を掌で示す。
「あらぁ、初めましてー。ウチはこんなカンジの魔法のカワイイモノ屋さんなんですけど、どの大きさの【水晶】がご入用かしら?」
「えッ? あ、あぁ、魔力の有無を判定できればいい。なるべく安い物を」
先任軍曹は、共通語訳を聞いてカウンターの前で背嚢を下ろし、戦闘糧食を一パック出した。
店内は狭く、五人も入ればいっぱいだ。
「あら、もしかしてバルバツム連邦軍の人? こんなとこ来て大丈夫?」
筋肉質な女装店主が、先任軍曹の肩に着いた記章を見て心配する。
「キルクルス教徒には売れないってのか?」
「私は気にしないけど、後で返品しに来ても、応じられないわよ」
「それはないから、安心して売って欲しい。これで交換できないか?」
「何かワケありみたいね」
「相談に乗ってくれるのか?」
「魔法の道具で何とかなるコトならね」
呪符使いは、ほぼ同時通訳をやってのけた。
「おい。ちょっと来い」
先任軍曹は、魔力が発覚した部下を隣に立たせた。




