2105.魔肉料理の店
「ここ」
オリョールが足を止めたのは、肉屋の店先だ。
両隣と向かいは飲食店で、開け放たれた扉から肉料理の匂いが通路に溢れる。
向かいの店は、内に向かって開いた扉に小さな黒板が掛けられ、定食の内容を羅列する。
どの店も、看板は湖南語表記しかない。フリージャーナリストに請われ、呪符使いの青年が読み上げてから共通語訳した。
「湖水亭は湖の民専用なので、俺たちは入れません」
「なんだそりゃ? 差別があるのか?」
バルバツム陸軍の先任軍曹が口をひん曲げたが、呪符使いは落ち着いた声で応じた。
「湖の民は大量の銅が必要です。緑青を調味料としてたくさん使うのです」
「あの髪、もしかして染めてるんじゃなくて、銅の色?」
フリージャーナリストが狭い通路を見回した。
他に道行く者はなく、肉屋の向かいの店は入ってすぐの所に「満席」と書いた立札が置いてある。見える範囲に緑髪の客は居ない。
呪符使いが呆れる。
「もしかしなくてもそうですけど、それも調べずに来たんですか?」
「アーテル領には居ないって、観光案内のサイトで見たから」
「ランテルナ島には居ますよ」
「バルバツム人は何もなきゃ、こっちの島へ渡る用なんざないだろうからな」
先任軍曹が言うと、魔力が発覚した兵士は暗い顔で下を向いた。
「これ、今朝獲った奴。席空いてたら、十人食わせて欲しいんだけど」
「あぁ、空いてるよ。モノはなんだ?」
「背の毒と、跳び縞」
オリョールが肉屋の店主と湖南語で話し、【慰撫囲】を重ねた【無尽袋】を通路に面したカウンター越しに渡す。
店主が奥へ引っ込むと、フリージャーナリストがタブレット端末を手に質問を浴びせた。
「セノドクってさっき教会に居た魔獣ですよね? あれ、毒があるって聞きましたけど、食用になるんですか?」
オリョールが簡潔に答える。
「腿肉だけ」
フリージャーナリストは、ひとつ答える度に矢継早に幾つも質問を繰り出す。
「美味しいんですか? 毒抜きとかするんですか? 島民は魔獣を常食してるんですか?」
「供給が不安定だから、常食は無理だ。専門店も少ない」
オリョールが語ったのが、ランテルナ島だけの事情か、ネモラリス共和国の都会のことか、魔装兵ルベルにはわからなかった。
故郷のアサエート村は、ウーガリ山脈の山奥にあり、食卓には魔獣の肉が頻繁に上った。基地の食事も、駆除した魔獣がよく出る。
「定食十人前どころじゃなかったな。これ、次の袋と、こっちは報酬だ。次もよろしく頼むよ」
「わかった」
肉屋の店主がイイ笑顔で【慰撫囲】を付与した【無尽袋】一枚と、普通の【無尽袋】を数枚、オリョールに手渡す。ネモラリス憂撃隊の指導者は、魔法の袋を無造作に作業服のポケットに捻じ込んだ。
「ありがと。獲れたらまた来るよ」
湖水亭の反対隣にある魔肉亭にさっさと入る。
扉を押える椅子の上に小さな黒板があり、定食の料理名だけ書いてあった。
呪符使いが湖南語で音読し、少し考えて共通語で解説する。
「血魔那狐の腿炙り焼き……えー……狐っぽい見た目の魔獣の腿肉を炙り焼きにしたもの」
「湖西地方まで狩りに行ったんですか?」
ラズートチク少尉が純粋に驚いた眼をオリョールに向ける。武闘派ゲリラの穏健派指導者は、人の好さそうな魔獣駆除業者の顔で笑い、胸の前でひらひら手を振った。
「まっさかぁ。流石にそれは無理。俺じゃないよ」
「でも、これ、湖西地方へ行って生きて帰った人が居るってコトですよね?」
呪符使いが黒板を指差し、湖南語で言う。
「俺だって知らないよ。スクートゥムの商人が売りに来たかもしれないし、店長に聞きなよ」
「あ、そ、そっか。そうですね」
呪符使いは、フリージャーナリストに肩をつつかれ、早口に遣り取りを共通語訳する。
「血魔那狐は、湖西地方にしか居なくて、俺も図鑑でしか見たコトないんです」
五人ずつ分かれて席に着くと、フリージャーナリストは質問を再開した。
「湖西地方ってどんなとこ?」
「強い魔獣がいっぱい居て、人が住めない土地です。国どころか町や村もありません」
「えッ? そんなとこで魔獣狩りする人いんの? 何で?」
「魔獣から採れる素材が高価だからですよ……多分」
間口は狭いが奥は意外と広く、六人掛け四卓と二人掛け六卓、それにカウンター席があり、半分くらいが埋まる。
料理はそれしかないらしく、みんな同じ定食で、腿肉の炙り焼きとサラダ、魚肉団子と夏野菜のスープ、拳大のパンがふたつだ。
フリージャーナリストに雇われた業者四人は彼と同じ卓、オリョールは、アーテル人の司祭、バルバツム人の先任軍曹、兵士、新聞記者と一緒に座る。
料理はすぐ来たが、隣の卓はオリョールをじっと見詰めるだけで、誰も手を付けなかった。
フリージャーナリストは動画を撮りつつ、早速、血魔那狐の炙り焼きを口に入れる。ルベルも初めてで味の想像がつかないが、匂いは普通に美味しそうだ。
「弾力があって歯ごたえがしっかりしてて、食べ応えがあるカンジ。味は……初めての味で、似た味も、例えも思いつかないんだけど、肉の味だ。割とあっさりめで、スパイスとよく合って、臭みとかはないな」
フリージャーナリストはよく噛んで一口飲み下し、タブレット端末に向かって感想を言語化する。
魔装兵ルベルとラズートチク少尉も、それを聞いて炙り肉を口に入れた。確かに肉の味だが、これまで食べたどの肉とも違う。好みは分かれそうだが、ルベルは不味いとは思わなかった。
先任軍曹が恐る恐るスープを啜る。
「スープは普通の魚と野菜だよ」
オリョールが言うと、司祭と兵士もパンを手に取った。
星光新聞本社特派員だけが、卓の下で拳を握り、食事に手をつけない。
司祭は新聞記者を気遣わしげに見守るが、掛ける言葉がみつからないらしく、何か言いかけては言葉を飲み込んで、パンを口に運んだ。
オリョールは全く気にする素振りもなく、どんどん食べ進める。
「思ったより癖がなくて食べやすいな」
「そうですね。命懸けで獲りに行きたいって程じゃないけど、美味しいです」
ラズートチク少尉に話し掛けられ、ルベルは素直な感想を口にした。
「川向こうの拠点、どうよ?」
「修理はちまちま進んでるよ」
隣の卓の声が耳に入った。




