2100.視えなくても
「信仰とは本来、人々を幸福へ導く為にあるのです」
西教区南端の畑から、リストヴァー大学に移動し、空調の効いた講義室で学生を交えて語る。
大聖堂から派遣されたフェレトルム司祭は、黒板を背にする教壇に立たず、床に固定された座席の間を歩き回った。新聞記者たちは困った顔をしながらも、カメラを構えて通路を移動する。
夏休みだが、涼しい校舎で研究や自習に取組む学生は多い。
教育学部の学生も休まず、東教区の識字教室で教鞭を執る。
「聖典に誤った解釈を加え、本来の教えから乖離した規範を創作し、その為に生命が脅かされるなど、あってはならないのです」
「司祭様、“本来の教えから乖離した規範”とはどんなものか、具体例を教えて下さい」
記者の一人がカメラを下ろして挙手する。
フェレトルム司祭は座席間の通路で足を止め、教壇の方を向いて答えた。
「例えば、魔術の全面禁止です。聖典では悪しき業の使用を禁じる一方、光ノ剣など、魔獣に対抗できる魔術を用いた武器などの製法を記しています」
「悪しき業でなければ、魔術を使用しても構わない……と言うコトですか?」
記者の追加質問で、学生たちがざわつく。
「そうです」
フェレトルム司祭の肯定で、座席が半数近く埋まった講義室が水を打ったように静まった。
先程の記者の声が、壁に反響する。
「では、悪しき業とそうでない魔術の線引きは、どこにあるのでしょう?」
「私は魔法使いではないので、非常に難しい質問ですが、わかる範囲でお答えしましょう」
「よろしくお願いします」
「少なくとも、三界の魔物を創り出した系統の魔術は全面禁止です」
「それは、魔法生物の製造や研究を行う【深淵の雲雀】学派で、現在は魔法文明圏の国でも条約で禁止されています」
湖南経済新聞の記者が共通語で付け加えると、魔装兵たちが頷いた。
フェレトルム司祭が会釈して続ける。
「聖典から少し離れ、科学文明圏で例えるなら、核兵器や化学兵器、生物兵器、クラスター爆弾など、様々な条約や法律で、所持や使用、製造などを禁じられた兵器があります」
記者たちが、タブレット端末でメモを取る。
「一方、条約を批准しなかった国は、それらを所持し、必要とあらば使うでしょう。条約の締約国は道義的には彼らを批難できますが、条約を批准しない国の行動までは束縛できないのです」
学生たちは難しい顔で共通語の話に耳を傾けるが、クフシーンカを含め、大人たちは誰も湖南語訳しない。
「しかし、その条約を批准した国でも、銃などの通常兵器を製造、所持し、実戦にも投入します。国によっては、一般人も所持して、殺傷事件の深刻化を招いているのです」
学生がたどたどしい共通語で質問を発する。
「同じ、人殺しの道具なのに……どう違うんでしょう?」
「大量破壊兵器とかは、戦争で使われた時に一発で大勢殺すけど、銃とかは、普通に出回ってる数の多さで、平和な時の殺人件数を戦争並みに押し上げてる」
フリージャーナリストが、共通語でゆっくり、はっきり発音して司祭を見る。
フェレトルム司祭は、学生と記者の視線を受け留め、小さく肩を竦めた。
「話を戻しましょう。キルクルス教圏の国々では、武器に関してそのように矛盾を孕む対応を平然と続けながら、本来の教えとは異なる規範を創出して魔法使いを差別し、魔獣による捕食を看過し、魔術による治療ならば助かる命をむざむざ捨てさせているのです」
「このリストヴァー自治区でも、ゼルノー市立中央市民病院への救急搬送を拒む者が多かったのです」
「歪んだ信仰のせいですね」
「はい。それに、市民病院で呪医の治療を受けて一命を取り留めても、退院して自治区へ戻った途端、星の標に“悪しき業を受容れて穢れた存在”として、一家が皆殺しにされる事例が後を絶ちませんでしたから」
西教区のヌーベス司祭が宙に視線を定めて言う。区長は窓の外へ目を逸らした。
「私と東教区のウェンツス司祭は、ゼルノー市当局との協議に先立ち、教義について再確認しました」
学生たちが、共通語で発言する地元司祭を無言で見詰める。
「会議に出席して、魔術による治療に信仰上の問題はないと回答したのは彼ですが、私も同意見です」
ヌーベス司祭はそこで言葉を切り、講義室の反応を待つ。
しばらく待っても、誰も発言しなかった。
「果たして、傷や病をいやす魔法は、邪悪な力による悪しき業なのでしょうか」
「自分たちにはできないのに魔法使いだけ助かって狡い。だから、治癒魔法も悪しき業だって考え方は、すっぱい葡萄ですよね」
学生の一人がキレイな発音の共通語で言った。
フェレトルム司祭が頬を緩める。
「その通りです。人々を傷や病の苦しみから助ける魔術を禁じて、一体、誰の魂が救われ、幸せになれると言うのでしょう」
「星の標が武装解除されたので、グリャージ区に建設された仮設病院で、呪医や魔法薬による治療を受けても、理不尽に命を奪われる心配がなくなりました」
ヌーベス司祭が言うと、地元民たちは複雑な表情を浮かべて首を縦に振った。
クフシーンカも意見を述べる。
「細菌やウイルスは、顕微鏡などがなければ、私たちの目には見えません。ですが、現にそこかしこに居て、モノによっては多くの命を奪う恐ろしい存在です」
「この間の麻疹みたいに」
学生が湖南語でポツリと呟いた。
「えぇ。そうよ。目に見えないからと言って、細菌やウイルスが存在しないワケではありません。半視力の眼には視えなくても、雑妖や魔物もそこかしこに存在して、人に害を為します」
「魔法なら、実体を持たない魔物などから身を守る手段がたくさんあります」
「物理攻撃が一切通用しない魔物が相手でも、魔法なら倒せます」
クフシーンカに続いて、魔装兵たちが力強く言う。
つい先程、魔獣をあっけなく葬ったばかりだ。
国連の人権査察団と随行する記者団が、何かを諦めた顔でぎこちなく頷く。
この地では、魔法の助けなしでは生きてゆけないと認めざるを得なかった。
☆現在は魔法文明圏の国でも条約で禁止……魔法生物拡散防止条約「726.増殖したモノ」、その他の条約「759.外からの報道」、魔法生物禁止条約「803.行方不明事件」、魔法生物兵器化禁止条約「1867.国際情勢の報」「2021.遅すぎる派遣」参照
☆魔法生物の製造や研究を行う【深淵の雲雀】学派……「0203.外国の報道は」「0239.間接的な報道」「365.眠れない夜に」「403.いつ明かすか」「431.統計が示す姿」「581.清めの闇の姿」参照
☆魔術による治療ならば助かる命をむざむざ捨てさせている……「0017.かつての患者」「0026.三十年の不満」「369.歴史の教え方」「551.癒しを望む者」「561.命を擲つ覚悟」「0942.異端者の教育」「1718.労災事故対策」参照
☆星の標に(中略)一家が皆殺しにされる事例……「0026.三十年の不満」「560.分断の皺寄せ」「561.命を擲つ覚悟」「591.生の声を発信」「859.自治区民の話」「900.謳えこの歌を」参照
☆ゼルノー市当局との協議……救急搬送に関する協定「529.引継ぎがない」「703.同じ光を宿す」参照
☆魔術による治療に信仰上の問題はないと回答したのは彼……「888.信仰心を語る」「905.対話を試みる」参照
☆グリャージ区に建設された仮設病院……「1287.医師団の派遣」「1288.吉凶表裏一体」「1327.話せばわかる」参照




