2098.農作業と魔獣
国連の人権査察団と、彼らに随行する記者団は毎日、ジゴペタルム共和国のペタロン市から、ネーニア島のリストヴァー自治区に通う。
ネーニア島のネモラリス領側で唯一、再開したトポリ空港と自治区の間は軍用ヘリで移動。トポリ空港とペタロン空港は、運航を再開した民間機やチャーター機で往復した。
経済制裁発動以降、貨物機の運航が停止したネモラリス共和国の航空会社にとっては、小型機による少人数の旅客とは言え、貴重な収入源だ。人権査察団と大聖堂が、記者を力なき陸の民に限定した為に生じた「特需」だった。
それも、八月中旬で終わり、今は静かに報告を待つ。
クフシーンカは、星道の職人兼通訳として、西教区の査察にも同行した。
調査と取材の主な対象は、武装解除された元星の標と、羽矢尾鼠の出現場所だ。
区長は、自身が星の標幹部であるコトをおくびにも出さず、いけしゃあしゃあと西教区を案内する。
魔獣の出現地点はいずれも屋外だ。
午前の涼しい時間帯、ワゴン車に分乗して回る。
農道沿いに立つ電柱から切れた電線が垂れ下がる。木製の電柱には深い爪痕が幾筋もあった。だが、現場のアスファルトには何の痕跡もない。
魔装兵が軍用車から降り、収穫を終えた麦畑を指差した。
小動物の糞が点々と転がり、麦の切り株に短い毛の塊がこびりつく。
「羽矢尾鼠は雑食です。落穂があると食べに来ますよ」
二台のワゴン車に分乗した記者団が、窓から望遠レンズを伸ばして撮った。
「今日は天気がいいですし、我々が居ますから、降りても大丈夫ですよ」
「地元の人は普段、ここで農作業してますよね」
魔装兵が言うと、外国人記者たちは顔を見合わせた。
星光新聞リストヴァー支社と、国営放送リストヴァー支局のワゴン車は、それぞれ定員より一人ずつ多く詰め込んで、傍から見ても窮屈だ。
記者たちが、自家用車の助手席で縮こまる区長を見た。
「ガソリンなどはギリギリの量が入ってくるのですが、ディーゼル燃料の不足と尿素の欠品で、農機を動かせないのですよ」
「えッ? では、農作業は」
「それは昔ながらの手作業でもできますから、人海戦術でなんとかしておりますが、なんせ慣れた人が大勢亡くなった関係で、まだまだ不慣れな人が多くて、落穂拾いまで手が回らないのですよ」
バルバツム連邦から来た星光新聞本社社会部の記者が、ワゴン車から降りて辺りを見回す。
「あの辺、まだ落ちてますけど、雀とかも食べないんですね?」
魔装兵が空を見上げ、記者もつられて八月半ばの空へ顔を向ける。日射しに目を細め、すぐ畑の南へ視線を下ろした。
今立つアスファルトの農道は、西教区を東西に走る。
南北を麦畑に挟まれ、畑の南は緩衝地帯。低いブロック塀の向こうには雑木林が暗い影を作り、クブルム山脈に続く。
「ここは山が近いですし、糞とかあって魔獣の臭いがするから、小鳥や普通の鼠は怖がって近付きませんよ」
「こんな日射しがキツい日でも……ですか?」
魔装兵の説明に外国人記者が、目陰を差して山を見詰めたまま聞く。
「魔獣は日射しを浴びても雑妖みたいに消えませんからね」
「あそこ、ブロック塀ちょっと崩れてますけど、直さないんですか?」
別の記者が指差す。
区長と大工のフェロスが首を横に振った。
「ブロックやセメントも輸入が止まって、あちこちで工事が滞ってるんですよ」
「自治区は経済制裁の対象外ですよね?」
大工のフェロスが困った顔をしたが、記者は首を傾げた。
湖南経済新聞の記者が共通語で言う。
「アーテルで魔獣が大量発生したせいで、土魚対策のブロックやタイル、セメント、コンクリートなどが品薄なんですよ」
「えッ? 経済制裁のせいじゃなかったんですね」
大工のフェロスが区長と顔を見合わせる。
国営放送リストヴァー支局の記者が、溜息を吐いた。
「なんせ、経済制裁発動から外部の情報が入り難くなりましたので」
「みなさんとのお話で、外国の様子が少しわかって助かっています」
星光新聞リストヴァー支社の記者が頷いて、本社社会部の特派員を見た。
バルバツム人記者が半ば呆れた顔で言う。
「インターネットがあれば、もっと情報が手に入り易いんですけどね」
「我が国は未だにその為の法整備が進んでおりませんので、半世紀の内乱からの復興も遅れていたのですよ」
レーチカ臨時政府の復興省職員が眉を下げる。
「国際社会と教団の支援で、自治区だけでもなんとかなりませんか?」
区長が媚びを含んだ声で言ったが、特派員はブロック塀の向こうに視線を固定して応えない。
クフシーンカも雑木林を見た。
生い茂った濃い葉陰に雑妖が蠢く。
藪が音を立て、大きく動いた。灰色掛かった緑と黒の縞模様が、木立の間を移動する。縞模様の塊の上で、無数の細長い物がそれぞれ別方向に揺れ動く。木々の間に捩じれた角が見えた。
「背の毒か。こんなとこまで降りて来るなんて珍しいな」
「近くに動物の死骸でもあるんじゃないか?」
魔装兵二人が湖南語で言って、力ある言葉を短く唱えた。
何かを投げる動作の直後、何も持たない手から光の塊が放たれる。光は長く尾を引いて雑木林に吸い込まれた。
クフシーンカが半世紀の内乱中、何度も目にした【光の槍】だ。
閃光が、葉の裏を一瞬白く染めて消える。
縞模様の塊と細長い物が同時に灰と化し、形を失った。
「存在の核に当たったのか」
魔装兵は肩を落とした。
バルバツム人記者が興奮気味に質問を連発する。
「今のは何だったんですか? 何が起きたんです? 何故、残念がるんです?」
「背の毒って言う魔獣が山から下りて来たんですよ」
「で、俺たちが【光の槍】って言う魔法で倒したんですけど、一撃で灰にしてしまったから、素材が採れなくて」
魔装兵二人はメモを待ってひとつずつ回答した。




