2097.自警団の再編
印暦二一九三年八月。
大使館を通じ、ネモラリス共和国のレーチカ臨時政府とアミトスチグマ王国政府の間で、難民キャンプに於ける司法管轄権に関する合意が成された。
今回の取り決めは、主として当事者がすべて難民キャンプに在留するネモラリス人同士の刑事訴訟についてだ。
通常なら、アミトスチグマ王国領内で発生した事件は、領域国であるアミトスチグマの法を適用。同王国の司法捜査機関と裁判所が、捜査・立件・審理を行う。
しかし、それではあまりにも、アミトスチグマ王国側の負担が過大だ。
一方、都市部では、縁故を頼って流入したネモラリス人の関係する事件が急増。そちらは通常の手順に則り、アミトスチグマ人と同じ扱いをする。
現場職員からは、急激な負担の増加に悲鳴が上がり、予算の増額や人員の拡充が叫ばれる。この上、難民キャンプの四十数万に上るネモラリス人の対応も負担するとなれば、破綻しかねなかった。
協議を重ねた結果、難民キャンプ内で発生したネモラリス人同士の事件は、アミトスチグマ王国に駐在するネモラリス大使館が扱うことになった。
アミトスチグマ人が加害者、ネモラリス人が被害者の事件は、今のところ、難民キャンプ側から報告がない為、後日に持ち越す。
難民キャンプ内で発生した殺人などの重犯罪は、基本的に駐在武官セルジャントが対応すると決まった。
証拠品や被害者の遺体などを大使館の【鵠しき燭台】に掛け、加害者を特定。自警団と協力して加害者を捕縛し、大使館へ連行する。
裁判は、イーニー大使が【明かし水鏡】と【鵠しき燭台】を用いて行う。
死刑や蟇蛙刑の執行は、受刑者を本国へ移送し、ネモラリス共和国の執行官が担当する。
無期懲役と、常命人種は十五年以上、長命人種は五十年以上の有期懲役も、本国の刑務所に収監する。
刑が比較的軽いその他の犯罪については、刑罰も含め、難民キャンプに在留する法曹と自警団に一任。加害者の特定が困難な場合、証拠品をセルジャント駐在武官が預かり、【鵠しき燭台】に掛けて結果を伝達する。
「これって本、国に居たら懲役数年の泥棒とかが、指切り落とされて治療させてもらえない流れですよね」
ファーキルは、下着泥棒が自警団に指を切断され、診療所に助けを求めたが、治療を妨害される現場に居合わせた。
呪医セプテントリオーとアサコール党首が説得し、指を接続した上で大使館に引渡した。【鵠しき燭台】の力で他の事件も暴かれ、指の切断どころでは済まされない重罪が確定したのだ。
「難民キャンプができてから今まで、ずっとそうだったんでしょ?」
「まぁ、そうですけどって言うか、私刑で犯人死んじゃったりとか」
「今まで単なる私刑で殺されてたんでしょ?」
「……そう言うこともあったみたいですけど」
「役所が自警団にお墨付きを与えて、改めて研修して、刑罰としてなら、ここまでは黙認するけど、これ以上はダメって線引きを伝えた方がマシじゃない?」
「あ、そっか」
ファーキルは一瞬、納得しかけたが、すぐ別の疑問にぶち当たった。
「研修の時間、取れるんですか?」
「時間?」
「自警団も大使館も人手不足だし、研修中に魔獣とか出たら」
「その辺は、大使館の方で人手を何とかするんじゃない?」
「イーニー大使の連絡待ちってコトになりますね」
数日後、難民キャンプの各集会所に湖南経済新聞の号外が貼り出された。
記事に目を通した者から驚きを以て話が伝わり、いつにも増して掲示板前の人垣が厚くなる。
第二十一区画とその周辺で発生した広域事件。その裁判、刑の執行までの概略記事だ。
下部には囲みで、ネモラリス共和国とアミトスチグマ王国が取り交わした覚書の要約も載る。
「へぇー……重罪の事件は、この記事みたいに大使館で裁判すんのか」
「今、本国の刑務所ってどうなってんだ?」
「さぁ? でも、モルコーヴ議員たちの話だと、経済制裁のせいでシャバに居ても食べ物やらなんやら、何もかもが値上がりして大変らしいから」
パテンス神殿信徒会のボランティアが、ネモラリス大使館の依頼で持参した「研修の告知」を貼る。
法曹や法曹経験者が、各区画に最低五人は居るように再配置する。
また、自警団も、警察官や退職した警察官を各区画に満遍なく配置し直す。彼らの転居完了後、【不可視の盾】や【耐衝撃】の手袋を支給し、防禦力の底上げを図る。
「防具あんなら、最初からくれりゃよかったのに」
「研修? いつ、どこでするんだ?」
「追って連絡しますって書いてある」
「決まってないってコト?」
「引っ越しが終わってからって書いてあるし、今はまだ無理なんじゃない?」
「あー……でも、誰がどこへ引っ越すかで、揉めそうよね」
難民たちが顔を曇らせた。
イーニー大使は、自警団を司法、治安維持、害獣対策の三班に分けたいらしい。
だが、警察官や警察経験者は、力なき民でも武術の心得がある。戦えない難民を野生動物や魔獣から守る活動の中心的存在だ。
……そんなキレイに分けられるとは思えないけどなぁ。
ファーキルは人垣をすり抜け、集会室に減塩料理の新しいレシピを置いた。
イーニー大使は、自警団員を一区画ずつ大使館へ呼び、三日間集中して研修する計画を立てた。その間、彼らの区画には複数の駐在武官を派遣すると言う。
午前は法律関係の座学、午後は魔獣対策の座学と【不可視の盾】の実践訓練だ。
……たった三日で【不可視の盾】の呪文と身体の動きを覚えろって厳しいよな。
ファーキルは、自警団の組織改編で難民キャンプの治安が良くなる期待が持てない。だが、代替案がない以上、余計な口出しなどできる筈がなかった。
☆下着泥棒が(中略)現場に居合わせた……「2023.自警団の制裁」「2024.罪人の取扱い」参照




