2094.四月分のメモ
運び屋フィアールカが夏の都を訪れた。マリャーナ宅のパソコン部屋へ使用人に案内され、すっかり慣れた様子で入る。
ファーキルは画面から顔を上げた。今は、ファーキル一人だ。
「クレーヴェルからの定期連絡。例によって、発信者は特定できなかったけど」
緑髪の運び屋が、肩掛け鞄から紙片を出してマウスの横に置く。手帳の切れ端にあるのは、手書きの短文だ。
旧王国時代の文官招集
参集した元文官は嘱託採用
行政手続きなどを担当
日付は、いずれも今年の四月だ。前回のメモは先月の日付で、後から届いた理由はわからない。
「クレーヴェルの役所が、普通に経験者枠の求人出して雇ったんですか?」
「このメモを見た限り、そんなカンジよね」
ネモラリス共和国の首都クレーヴェルでは、印暦二一九一年九月にネミュス解放軍がクーデターを起こした。
政府軍と解放軍の戦闘や、星の標による爆弾テロに巻き込まれ、多数の都民が死傷。力なき陸の民ら非戦闘員の都外への避難が始まる。
その後、双子のサル・ウルとサル・ガズを中心とする隠れキルクルス教徒狩りが行われ、更に脱出者が増えた。
都内でどの程度、麻疹による死者が出たか不明だ。
ウヌク・エルハイア将軍の命令でワクチン製造工場を稼働させ、ネモラリス島北部へ医師団を派遣した件を考えると、都内の被害は比較的軽微なのかもしれない。
首都クレーヴェルの人口減少は、死亡や個人による家族単位の避難だけでなく、クリペウス政権のレーチカ臨時政府樹立に伴う職域単位の移転も大きい。
ネモラリス共和国の行政機関、ラクリマリス王国を除く各国の外交公館をはじめとして、民間企業も本社を首都から地方都市へ移した。
クルィーロの父パドールリクが勤めた会社は、ギアツィント市へ移転し、倉庫を借りて従業員の住居も同時に確保する。
ファーキルも、王都ラクリマリスに逃れた一家から、クレーヴェルの様子を聞き取った。
だが、他所に行くアテのない者や、自家用車などの移動手段がない力なき陸の民は、首都を脱出したくともできない。
ネミュス解放軍に恭順の意を示す者や、クリペウス政権を快く思わない者は、自主的に残っただろうが、その割合は不明だ。
開戦前のネモラリス共和国の人口は約六百万で、首都圏には百万人余りが居住した。
ネモラリス政府は、被害があまりにも深刻なせいで調査すらできず、未だに開戦初年の空襲犠牲者の統計情報を出せない。
アーテル・ラニスタ連合軍による空襲を直接の死因とする者、遺体を扉に発生した魔物や魔獣による捕食、医療機関の機能不全や飢餓などによる関連死の全体像を把握できないのだ。
また、捕食による遺体の消滅と生存者の行方不明は、区別が極めて困難だ。略奪や【魔道士の涙】目当ての殺人も横行する。
ネーニア島の立入制限区域から国内の他地域へ避難し、仮設住宅に入居できた者は、ネモラリス共和国の行政機関が把握済みだ。
だが、移動放送局プラエテルミッサのように転々として暮らす者や、駐車場などに住まざるを得ない者は把握しきれない。事情があって敢えて住民登録しない者も居る。
アミトスチグマ王国政府は、予防接種などを通じて難民キャンプ住民のカルテを作成し、凡その人口を把握する。しかし、正規の経路を通さず、先にキャンプ入りした身内や知人の【跳躍】で避難した者は、その限りではなかった。
現在の難民キャンプ住民は、アミトスチグマ王国が把握しただけでも約四十三万人。縁故を頼って都市部へ逃れた者は、差別を恐れて名乗り出ないことが多く、所在の確認すら覚束ない。
アーテル軍の攻撃が中断して久しいが、幾つもの要因が重なって人材が不足し、ネモラリス共和国領内の復興を進めようにも、思うに任せない状態が続く。
そこへ、経済制裁が追い打ちを掛けた。
「移動放送局のみんなも、首都より東の街や村で、首都で新しい国造りが進んでるって情報、拾ってますけど」
「中身はまだ、神聖復古する以外、全然わかんないのよね」
「そう言えば、八月一日に新憲法を発布してウヌク・エルハイア将軍が新国王に即位するとかってニュースの要約がありましたけど、まだ、その動きってないみたいですね」
運び屋フィアールカは唇を歪めた。
「神聖復古ったって、シェラタン当主は行方不明だし、ウヌク・エルハイア将軍にはその気がないんだから、土台無理だったってコトよ」
「あー……予定を発表して外堀埋めて断れないようにするつもりで、ラジオで先行報道したのかもしれませんね」
「でしょうね。ラゾールニクは、それを調べに行くみたいだけど」
フィアールカは隣の席に腰を下ろし、タブレット端末を手に取った。
ファーキルはメモをテキストに入力し、いつものクラウドにアップロードする。フォルダを開くと、既にメモの写真があった。
「万が一、マガン・サドウィスが島守をやめて、神政の王になる動きを見せようものなら、アル・ジャディ将軍は総攻撃を仕掛けるでしょうね」
「えぇッ?」
ファーキルは緑髪の元神官を見た。今は運び屋の彼女は、眉ひとつ動かさず言い放つ。
「権力を持たせちゃダメなタイプって、移動放送局のみんなも、あちこちで情報拾ってたでしょ」
「まぁ、そうですけど、その人、解放軍も支持しないんじゃありませんか?」
ファーキルは、島守マガン・サドウィスがそんなコトをすれば、政府軍が動く前に他の身内が消すのではないかと思ったが、口には出さないでおいた。
「シェラタン当主がみつからなくて、ウヌク・エルハイア将軍も動かない。ボリス様はレーチカ臨時政府に居るとなったら、テキトーにゴキゲン取りしてマガン・サドウィスを傀儡の王にしようって派閥ができても、不思議はないと思うけど?」
「あッ……! でも、オーストロフ島って、ネーニア家の血筋の人じゃないと上陸できないんですよね?」
「継承順位ずーっと下の人が、摂政の座を狙ってるかもよ?」
ファーキルは、長命人種の魔女をまじまじと見た。
☆クレーヴェルからの定期連絡
存在……「1444.餌を撒く息子」「1445.合同開催計画」参照
中身……「1446.旧街道で待つ」「1447.日誌から読む」「1448.その後の情報」参照
☆ネミュス解放軍がクーデター……「599.政権奪取勃発」~「602.国外に届く声」参照
☆隠れキルクルス教徒狩り……「1622.高校生の報告」~「1629.支配者の命令」参照
☆ウヌク・エルハイア将軍の命令で(中略)へ医師団を派遣した件……「1090.行くなの理由」「1195.外交官の連携」「1211.懸念を伝える」「1228.安全な場所は」参照
☆パドールリクが勤めた会社……「780.会社のその後」参照
☆王都ラクリマリスに逃れた一家……「651.避難民の一家」~「653.難民から聞く」参照
☆【魔道士の涙】目当ての殺人……「0190.南部領の惨状」「0304.都市部の荒廃」参照
☆駐車場などに住まざるを得ない者は把握しきれない……「1469.追加する伝言」参照
☆事情があって敢えて住民登録しない者も居る……「1414.放送の管轄区」「1505.市外の支援者」「1513.喜べない理由」参照
☆予防接種などを通じて難民キャンプ住民のカルテを作成……「1586.呪医の苛立ち」参照
☆八月一日に新憲法を発布(中略)ニュースの要約……「1934.首都圏の情報」参照
☆アル・ジャディ将軍は総攻撃を仕掛けるでしょう……「1486.ラクテア神殿」~「1488.水呼びの呪歌」参照
☆ボリス様はレーチカ臨時政府に居る……「1742.継承権者たち」参照




