2076.癒し手の疲弊
第二十九診療所が騒然とする。
「魔獣駆除、完了しました!」
「診察終わった人は出て下さい」
「怪我人、通りまーす!」
「椅子、立って、出る人通して」
看護師の息子たちが顔を綻ばせた。
全く何の連絡もなかったが、終わったらしい。
避難した患者たちが、診療所の台所からぞろぞろ出てゆく。
薬師アウェッラーナは、年配の女性に声を掛けた。
「患者さんを【操水】で洗うの、できそうですか? 病み上がりですから、無理はしなくていいんですけど」
「任せて。なんせ常連だからね。しょっちゅう見てたし、やり方はわかるわよ」
請負ってくれたが、改めて見ると、おばさんの顔は疲れが濃い。
……あれっ?
「ちょっと診てみますね」
アウェッラーナは、年配の女性に【見診】を掛けた。
やや血圧は高いものの、病気と言う程ではない。だが、疲労の蓄積が著しい。魔獣の消し炭を擂り潰した粉を【操水】で、結晶と炭の粉に分けてくれただけでも有難い。
「無理言ってすみません。やっぱり、かなりお疲れなので休憩なさって下さい」
「病気はもう治ったんだし、このくらい大丈夫よ」
「いえ、【見診】したら、思った以上に疲労が蓄積していました。まだ【跳躍】できるようでしたら、お住まいに戻ってゆっくり」
「小屋に戻ったりなんかしたら、あれこれ用事頼まれて、それこそ休んでなんていられないの。通院の日はね、ボランティアさんが魔法でする家事を代わってくれて、息抜きになってたんだけど、それも今日で終わりね」
弟が調剤室を出て行き、兄が空の木箱を壁際に並べた。すぐ戻った弟が、年配の女性に毛布を一枚手渡す。
「おばちゃん、ガンガンうるさいけど、寝てなよ」
「杏も、もっとどうぞ」
アルキオーネが袋ごと渡す。
「魔獣の消し炭、炭と結晶を分けない分も要るので、今日はもう、魔法の処理、ありませんから」
アウェッラーナはそれだけ言って、調剤室の外から扉を閉めた。
「どんな具合ですか? 少しだけ【青き片翼】学派の術も使えるんですけど」
血の臭いが充満する診察室には、外傷の患者しか居なかった。
開け放たれた扉の外で、傷のない患者たちが不安げに見守る。
魔法使いの看護師とボランティアが【操水】で血と泥に塗れた患者を洗浄し、呪医プーフが【止血】する。
「身のほつれ 漏れだす命 内に留め 澪標
流れる血潮 身の水脈巡り 固く閉じ 内に流れよ」
「傷薬、ちょっと待って下さい。【癒しの水】で塞ぎます」
薬師アウェッラーナは、プラ容器を手にした科学の看護師に声を掛け、診察室を見回した。
「滅菌処理済みのお水は」
「これです!」
ボランティアに【無尽の瓶】を渡され、会釈して呪文を唱える。
「血は血に 肉は肉に 骨は骨に あるべき姿に立ち返れ
損なわれし身の内も外も やさしき水巡る
生命の水脈を全き道に あるべき姿に立ち返れ」
魔力を帯びた水が、裂けた皮膚を這って修復してゆく。牙で穿たれた穴に水を侵入させて塞ぎ、千切れかけた肉片を元の形に繋いだ。
骨に達する傷なら、水が触れた部分だけは骨折も修復できるが、【癒しの水】では水が届かない部位までは治療できない。
「骨折も一応、治せますが、【骨繋ぐ糸】なので整復と【麻酔】が要ります」
「テモさん、診察台で整復お願いします」
呪医プーフが、体表の治療を終えてもまだ骨折が残る患者に【麻酔】を掛け、科学の男性看護師に任せる。
アウェッラーナは、次々搬送される負傷者に【癒しの水】を掛け、血液で汚染された水塊をボランティアに預けた。パテンス神殿信徒会の会員たちは、すっかり慣れた様子で水を浄化し、【無尽の瓶】に戻す。
「これ、どうぞ」
ボランティアに小さな革袋を差し出された。
右手を出すと、【魔力の水晶】がひとつ掌に転がる。礼を言って握ると魔力が補われ、消耗の激しさを実感させられた。
……これじゃ、あのおばさんをとやかく言えないわね。
科学の女性看護師と若い女性が、熱中症で搬送された患者に魔法薬を飲ませる。診療所が魔獣に襲われた負傷者で溢れても、それとは別に緊急性の高い患者も来るのだ。
薬師アウェッラーナは【魔力の水晶】を四個使い潰し、【癒しの水】による重傷者の治療を終えた。だが、まだ骨折の治療が残る。
別のボランティアがくれた追加の【水晶】を握り、整復を終えた患者に【骨繋ぐ糸】を掛けた。
「青き風 片翼に起き 舞い上がれ 生の疾風が骨繕う糸紡ぎ
無限の針に水脈の糸 毀つ骨の綻び繋げ」
高度な【骨繕う糸】ならば、整復を同時に行って痛みもないが、薬師アウェッラーナと【飛翔する梟】学派の呪医プーフには使えなかった。
……プーフ呪医が【麻酔】を掛けられる人でよかった。
男性看護師に骨折部位を示してもらい、【見診】を省略してひたすら骨を繋ぐ。噛み砕かれた手足、叩きつけられて折れた鎖骨と肋骨、頭や腰のヒビを流れ作業で修復する。
呪医プーフが治療を終えた患者に【見診】を掛け、今日持ってきた化膿止めの魔法薬を飲ませた。
出血が酷かった者などは、まだ数日は安静が必要だ。ボランティアが肩を貸し、重傷だった者たちを外科病棟へ連れてゆく。
患者の中に元魔装警官の女性は居なかった。
「魔力を融通しましょう」
中年男性の声で顔を上げる。軍服姿の男性が、掌を差し出した。【水晶】に魔力を充填してくれるらしい。渡そうとして伸ばした手を掴まれた。
「あっ」
「間に【水晶】を挟んで手を握れば、【水晶】経由で魔力を融通できます」
「あ、そ、そうでした。お願いします」
改めて、軍人と手を繋ぎ直した瞬間、魔力が高圧で一気に流入した。思わず手を引っ込めそうになったが、軍人は薬師の小さな手を掴んで離さない。
……それだけ、私が消耗してるのよね。
体表の治療を終えても骨折が残る患者は、整復用の診察台の順番待ちで一旦、外に出された。比較的軽傷の患者は診療所に入りきれず、血と泥を洗い流されただけで待つ。
呪歌【癒しの風】で治療中の患者も含めれば、一体どれだけ負傷者が出たか、被害の全体像もわからなかった。
外から森の風が吹き込み、診療所に満ちた血と汗と薬の臭いを掻き混ぜる。
薬師アウェッラーナは、目の前で苦痛に顔を歪める患者に意識を集中した。
下位の治癒術とは言え、【骨繋ぐ糸】にもそれなりの魔力が必要だ。軍人の協力で、アウェッラーナだけでは到底、捌き切れない人数を連続して治療できた。
軍人は時々、手を繋ぐ相手を呪医プーフに変える。彼も【麻酔】の連続使用で顔色がよくなかった。
負傷者の治療がひと段落したのは、十八時を回った頃だ。八月初旬とは言え、日が傾きつつある。
「あ、あの、ボランティア……元魔装警官の女の人、知りませんか?」
「彼女は現場に残って死骸の後始末をしています。放置すると危険ですから」
「あ、有難うございます。無事なんですね?」
「数が多くても所詮、樹棘蜥蜴は飛べませんからね。【飛翔】で上空から攻撃すれば、無傷で倒せますよ」
安心した途端、どっと疲れが押し寄せた。
☆【骨繋ぐ糸】なので整復と【麻酔】が要ります……凄く痛い「720.一段落の安堵」、呪医プーフも使える「1591.区画間の格差」参照
☆間に【水晶】を挟んで手を握れば、【水晶】経由で魔力を融通……「718.肉屋のお仕事」参照




