2075.待機中の不安
「えッ? こんなにたくさん作って下さったんですか」
呪医プーフが目を瞠った。
第二十九診療所に身を寄せる患者たちも、緑髪の薬師アウェッラーナに驚いた眼を向ける。
アウェッラーナは、魔獣と戦ってこれから搬送されるであろう自警団員らを思うと、素直に喜べなかった。
「乳脂とラードがないので、濃縮傷薬にはできなかったんですけど」
「傷薬がこれだけあれば、大勢の人が助かります。今も、胃薬と併せて消化器系の患者さんを何人も完治させられたんです」
呪医プーフに続いて、元患者たちが明るい顔で口々に礼を言う。
「自警団から連絡は」
「いえ、まだ全然、音沙汰ありません」
力ある民の女性看護師が、首を横に振った。服の襟には【花の耳】が一枚ある。アウェッラーナの視線に気付いて説明してくれた。
ネモラリス共和国駐アミトスチグマ王国大使館が、中古の【花の耳】を掻き集めて、難民キャンプの各診療所に配布した。
花弁を何枚も紛失した品ばかりで、多い所でも五枚中二枚しかない。中心と合わせても、相互に連絡できるのは三人だ。
最低限、診療所と自警団が一人ずつ持てば事足りる。
また、それなりの魔力がなければ、道具の効果を発動させられない為、魔法使いでも、使いこなせる者は多くなかった。
「まさか、全滅……とか?」
患者のひとりがポツリと呟き、診療所内に不安と動揺が一気に広がった。
「何で誰も何も言ってこないんだ?」
「自警団、食われちまったのか?」
「もうおしまいだ!」
「えっと、自警団の人が応援を呼ぶって言ってましたし、魔装警官だったボランティアの人が一人、現場へ行ってくれましたよ。【花の耳】を落としたか何かで、連絡できないだけ……かも」
アウェッラーナは、患者たちを落ち着かせようと、安心できそうな情報を口にしたが、自分でも全く自信がなく、次第に声が小さくなって語尾が消えた。
「そのボランティアの人もやられたんじゃあ」
「駐在武官にもらってから、レカールスタヴァさんに連絡入ってたんですよ」
「自警団が現場から、怪我人が何人とかどんな具合だとか、ちょくちょく」
「それがない頃も、自警団は戦いの途中に【跳躍】で怪我人を運んでたんだ」
常連の患者たちが、いつもの出動との違いを並べ、不安を口にする。
呪医プーフが、廊下の奥を見遣って話題を変える。
「すみませんが、まだ、素材があるようでしたら、何か作っていただいていいですか?」
「今。魔獣の消し炭を粉にしてもらってるところで、それを分離したら、他の素材と合わせて腎臓病の薬を作ります」
「有難うございま……えっ? お若いのにそんな高度な術まで?」
「私、長命人種なんです」
「失礼しました。よろしくお願いします」
「あのー、私、もう完治したそうなんで【操水】でできるコトがあれば、お手伝いしますよ」
年配の女性に声を掛けられ、アウェッラーナは【飛翔する梟】学派の呪医プーフを見た。呪医は元患者に会釈して言う。
「有難うございます。ご無理のない範囲で、お願いします」
「診療所のみなさんには、いつもお世話になってますから」
女性がにっこり笑って先に調剤室へ向かう。
薬師アウェッラーナも慌てて後を追った。
「薬師のお姉さん、傷薬の名札、みんな付け終わりました!」
「有難う。これ、名札が見える向きで重ねて、この棚に仕舞ってくれるかな?」
「はーい!」
弟が元気よく応じ、傷薬を入れたレジ籠を抱えて棚の前に移動した。
「私は何しましょうかね?」
「擂り潰した魔獣の消し炭を結晶と粉に分けて、この瓶に入れてもらっていいですか?」
「お安いご用よ。お水はどこかしら?」
「そこ」
兄が木槌で部屋の隅を示す。
年配の女性は、水瓶の中身に力ある言葉で命じ、大皿に盛られた魔獣の消し炭を掬い取った。片手鍋一杯分程の水塊が、あっという間に黒く濁る。まず、赤い結晶を瓶型プラ容器に排出させた。
薬師アウェッラーナも【操水】で深皿一杯分の水を汲む。
薬草を三束入れて宙で煮込んだ。調剤室に苦みのある草の匂いが充満する。出涸らしを捨て、更に煮詰めた汁を深皿に注ぐ。
棚から中間素材の瓶を取り、薬匙で計って小皿に盛る。
樹皮から抽出した黄色い粉に魔獣の消し炭の黒い粉を足し、均等になるまでしっかり混ぜた。薬草の煮汁を薬匙で計って粉と混ぜ合わせる。
粘土状になったところで、呪文を唱えた。
「樹の鎧 魔の炭互物 一杯の土に根を張る草の液
疼く身 もつれ絡んだ糸の道 解き熱取れ 渾和せよ」
皿の中で粘土状の薬が泡立ち、大豆の半分くらいの粒に分かれて丸くなる。
小皿を軽く揺すると、暗灰緑の丸薬がコロコロ転がった。瓶型プラ容器に名札を付けて丸薬を入れる。
……流石にこれは、一気に大量生産するの、無理ね。
この薬は、単に服用しただけでは薬効を発揮しない。それどころか、魔獣の消し炭による深刻な副作用が出る。
一粒飲んでから、症状に応じて【飛翔する梟】学派の術を掛けて、副作用を抑えつつ薬効を引き出す必要があった。
この調合なら、大抵の腎臓病が即座に完治する。魔獣の消し炭と組合せる素材を変えれば、感染性腸炎の治療薬にもなるが、今はその素材がなかった。
術と魔法薬、どちらか一方では効果を発揮しないが、腎不全も完治する為、呪医が存在する魔法文明圏では、科学文明圏のような臓器移植は実施する必要がなかった。人工透析は一部で実施するが、呪医の数が少ない為、治療の順番を待つ間の一時的なものだ。
この一回で生成できた魔法薬は十五粒。腎臓病患者十五人の命が助かる。
難民キャンプでは、この第二十九診療所にしか常勤の【飛翔する梟】学派の呪医が居ない。
他の区画に住む腎臓病患者は、対症療法で時間稼ぎして、巡回医の到着を待つしかないのがもどかしかった。
……でも、あるだけ全部作ろう。
弟は傷薬を片付け終え、ビニール袋の中で魔獣の消し炭を割り始める。
年配の女性が、水に混じった魔獣の消し炭の粉をプラ容器に排出し、清水を水瓶に戻した。木箱に腰を下ろして大きく息を吐く。
「ちょっと……休憩させてちょうだいね」
「どうぞ」
アルキオーネが干し杏の袋を開けて差し出す。
「えッ? いいんですか?」
「どうぞどうぞ。君たちも」
一人一個ずつ口に入れ、作業を続ける。
口に広がる杏の甘酸っぱさで、ほんの気持ち程度、疲れが取れた。
……どうせここで作るんなら、【保冷布】で乳脂とか持って来ればよかった。
パテンス神殿信徒会の女性は元魔装警官だと言ったが、退職から何年経ったか不明だ。戦闘の勘を取り戻せず、彼女が捕食されたら、魔獣が強化されて手が付けられなくなるだろう。
第三十四診療所から、産官学合同調査隊に連絡できるが、警備員は大森林の奥地から引返せるのか。
状況が全くわからず不安しかないが、今はとにかく、呪医プーフの負担を減らす為、魔法薬を作った。
☆魔装警官だったボランティア……「2073.出られない間」参照
☆科学文明圏のような臓器移植……「716.保存と保護は」参照
☆第三十四診療所から、産官学合同調査隊に連絡できる……「1966.救援の調査隊」参照
☆産官学合同調査隊……「1921.産官学調査隊」参照




