2074.下処理の分業
「俺たち、看護師の息子です。父にお姉さんたちを手伝えって言われました」
十五、六歳の少年が言い、十歳くらいの少年が頷いた。
「えっと、じゃあ、そのお薬を診察室へ持って行って、魔獣の消し炭を下処理する道具、革袋と木槌がどこにあるか、教えてもらえるかな?」
薬師アウェッラーナが、魔獣の消し炭が詰まったビニール袋を抱えて聞くと、茶髪の兄弟は元気よく返事した。傷薬と咳止めを入れたレジ籠を持って、診察室へ駆けてゆく。
アルキオーネが、眉を顰めて看護師の息子たちの背中を見送る。
「今まで呪医の手伝い、してなかったってコト?」
「さあ? でも、まだ子供ですし」
「でも、パン屋のコたちは、小学生でもあなたの手伝い、してるんでしょ?」
「えぇ、まぁ、やむを得ず手伝ってもらったコトはありますけど」
「あ、別に責めてるんじゃないの。ここも人手不足なのにどうして手伝わせないのかなって」
「採取と枯葉取りと、水抜きまでは手伝ってもらってるみたいですよ」
他所の事情など、傍から見てわかるものではない。そして、世の中には知らない方がいいコトもあるのだ。
兄がバケツくらいある直方体の缶を抱えて戻り、作業机の脇に十八リットル入りの四角い缶を置いた。
「これ、菜種油です。昼前にモルコーヴ議員が来て、いつもの補充の他に寄付があったって」
弟は少し遅れてタオルを持ってきた。畳んだタオルを机に乗せて言う。
「魔獣の消し炭潰す時、革袋の下に敷いて下さいって」
机の抽斗から木槌と革の巾着袋を出し、アウェッラーナに手渡した。
「有難う。えっと、まだ、怪我人は来てない?」
よく似た顔の少年二人は同時に頷いた。
患者が診療所から溢れ、台所まで入ったが、今は落ち着いた様子で静かだ。
兄の方に聞いてみる。
「あなたは、魔獣の消し炭を下処理したコトある?」
「全然。虫とか薬草とか採って、枯れたとこ捨てるのしか」
「力なき民だし」
弟が兄の後ろに隠れて言った。
「そう。乳鉢と乳棒って、もう一組ある?」
「呪医一人だから多分、一個しかないと思います」
「そう。じゃあ、魔獣の消し炭をこぼさないようにビニール袋の中で割って、革袋に入れて口を括って、木槌でそっと叩いて粉々にしてもらっていい?」
「はい!」
兄は元気よく返事して、早速、袋越しに消し炭を掴んで割り始めた。
弟が兄を羨ましそうに見る。
「僕は何したらいいですか?」
「まず、この容れ物の蓋を開けて机に並べて、この紙にこう書いて……蓋と本体に挿し込んでくれるかな?」
薬師アウェッラーナは、先程と同じ直方体のプラ容器をひとつ見本にして、机に置いた。
「今から傷薬を入れるから、蓋してレジ籠に入れて欲しいんだけど、いい?」
「はい!」
弟は段ボール箱からプラ容器を幾つも出して机に並べ、名札用紙に「傷薬:加工日」と今日の日付を書き始めた。拙いが、丁寧な字だ。
薬師アウェッラーナは、棚から薬草が詰まった四十五リットルのビニール袋を四つ取り、十八リットル入りの油缶を開封した。
「元は根を張る仲間たち 土に根を張る仲間たち
油ゆらゆら たゆたい馴染め
緑の仲間と生命結い 溶け合い結ぶ生命の緒
基はひとつの生命の根 結び留めよ 現世の内に」
袋から次々と薬草を掴み出しては、宙で生き物のように動く菜種油に取り込ませる。兄弟の手が止まり、緑色に染まった油を目を丸くして見詰める。
「早く蓋開けて容れ物並べて」
アルキオーネから声が飛び、弟が慌てて蓋を開ける。
二袋分の薬草と菜種油が霊的に結合して溶け合い、緑色の軟膏になった。弟の並べた容器を傷薬が次々に満たしてゆく。
兄が木槌を置き、傷薬に蓋をしてA5判くらいの容器を重ねた。空いた場所に弟が空き容器を並べるが、並べる端から傷薬で満ちる。
アルキオーネが床にレジ籠を並べ、兄が蓋を閉めた容器を入れる。
「急がなくていいので、さっきみたいに読みやすい字で書いて、名札を付けて下さいね」
「は、はい、頑張ります」
弟が顔を引き攣らせてペンを取る。
薬師アウェッラーナは、油缶に蓋をして、再び大皿いっぱいになった地虫の粉を熱冷ましに変えた。それでも、瓶型プラ容器はまだまだ余裕がある。
「アルキオーネさん、魔獣の消し炭を粉にしてもらっていいですか?」
「いいわよ」
黒髪の歌姫は、少年から革袋を受取り、深皿に中身を出した。
「この赤い粒は何?」
アルキオーネが、胡麻の半分くらいの大きさの赤い粒を指差す。
「魔力が結晶化したものです。【魔道士の涙】になる途中で、これも別の中間素材になります。【操水】で分離するので、気にせず擂り潰して下さい」
「わかったわ」
革袋を少年に返し、作業に取り掛かる。
弟は名札を付け終えた傷薬を別のレジ籠に移し始めた。
兄が革袋の口を左手で握り、右手の木槌で軽く叩いて魔獣の消し炭を細かく割ってゆく。
アウェッラーナは、瓶型プラ容器を二本取り、それぞれ「魔獣の結晶」「魔獣の消し炭」の名札を挿し込んだ。少し考えて「魔獣の消し炭(結晶含有)」の瓶も二本用意する。
机の空いた場所に蓋を外したプラ容器を並べた。
「残りの油も傷薬に変えます。蓋とかお願いしますね」
「俺がするから、お前は名札書いとけ」
「うん」
兄は革袋の中身を深皿にあけ、調剤室の隅からプラ容器を段ボール箱ごと持ってきた。
アウェッラーナは、力ある言葉で菜種油に命じ、宙に浮かせて薬草を取り込ませる。たった二回の処理で、植物油十八リットル分もの傷薬を調合できるようになったのは、ドーシチ市の屋敷とネモラリス島北部の村で、大量生産の経験を積んだお陰だ。
アガート病院で働いた平和な頃とは、同じ術でも魔力の巡らせ方が変わった。
……このやり方、大学で教えてくれればよかったのに。
だが、アウェッラーナ自身、この感覚を他人に伝える言葉が見つからない。
兄弟が息の合った連携で、充填済みの容器をレジ籠に片付け、空容器を机に並べる。アルキオーネは黙々と魔獣の消し炭を擂り潰し続けた。
アウェッラーナは緑色の軟膏を容器に移し終え、大皿に盛られた魔獣の消し炭の粉を【操水】で、赤い結晶と黒い粉末に分離する。それぞれ別の瓶型プラ容器に収め、きっちり蓋をした。
赤い結晶は、魔法薬そのものの素材ではなく、加工時の触媒になる。
魔獣の消し炭の粉末は、魔法薬としては劇薬に指定される。腸炎や腎臓病など、魔法薬の中間素材だけでなく、呪符用インクの基本素材でもあった。
単に擂り潰しておくだけでも、呪医プーフの負担はかなり減るだろう。
薬師アウェッラーナは、名札を付け終えた傷薬の籠を持って診察室へ出た。
☆俺たち、看護師の息子……「1591.区画間の格差」「1592.勉強しない訳」「2025.研修の休養日」参照
☆ドーシチ市の屋敷……「0230.組合長の屋敷」~「0232.過剰なノルマ」、「0245.膨大な作業量」「0262.薄紅の花の下」「0266.初めての授業」参照
☆ネモラリス島北部の村……「1271.疲弊した薬師」「1284.過労で寝込む」~「1286.接種状況報告」参照




