2073.出られない間
難民キャンプ第二十七、二十八診療所では、魔法薬と中間素材の引渡しがすんなり済んだ。
昼食後、パテンス神殿信徒会会員の【跳躍】で、今日最後の訪問先、第二十九区画へ跳ぶ。
景色が変わった途端、悲鳴と怒号が耳を襲った。
「早く小屋へ!」
「応援呼んで来い!」
「西だ! 西へ逃げろ!」
女子供の悲鳴を縫って、自警団らしき声が避難指示を出す。
トラック一台分くらいの【跳躍】広場は、第二十九診療所の目と鼻の先だ。
「お二人は早くお薬を届けて下さい」
「えっ? あなたは?」
薬師アウェッラーナは、思わず聞いた。
住民たちが、次々丸木小屋に駆け込む。
信徒会の女性は周囲に視線を走らせた。
「出産で辞めましたけど、魔装警官だったんです」
「えッ?」
「魔装兵程ではありませんが、戦う力は持ってます」
診察を待つ患者が、後ろから順に向かいの集会所へ招じ入れられる。
「た、戦うんですか? その服、【鎧】じゃありませんよね?」
「危なくなったら【飛翔】で逃げますよ。早く診療所へ入って下さい」
「ご安全に!」
黒髪の歌姫アルキオーネが背筋を伸ばして敬礼した。
元魔装警官の女性が返礼し、人の流れに逆らって走り出す。
「魔獣ですか? 野獣ですか? 私、戦えます!」
避難誘導する自警団員が、振り向いて顔を輝かせた。
「東の畑に魔獣! 怪我人の搬送だけでも」
「了解……地の軛 柵離れ 静かなる 不可視の翼 羽振り行く 天路雲路を 縦舞う」
女性の身体が屋根の上まで浮き上がり、鳩のような速さで東へ飛び去った。
アウェッラーナとアルキオーネは、患者と一緒に診療所へ入る。看護師の腕章を巻いた男性が外を見回し、扉を閉めた。
「魔法薬と中間素材、お持ちしました」
「有難うございます! 何がありますか?」
首に【飛翔する梟】学派の徽章を提げた男性が、椅子から腰を浮かした。ぎゅうぎゅう詰めの患者たちも、期待に満ちた顔を向ける。
「濃縮傷薬とか、量は少ないんですけど、色々持ってきました。こんな時にすみませんが、どなたか納品の確認をお願いしたいんですけど」
「新着の魔法薬ですぐ完治する人が居るかもしれません。しばらく席を外しますが、よろしくお願いします」
男性呪医が席を立つと、患者たちは少しずつ身を寄せて道を作った。
奥の調剤室へ通され、一覧表と突き合わせて確認する。
「あ、これと傷薬で胃潰瘍や十二指腸潰瘍を完治させられます」
呪医が胃酸過多用の胃薬を手に顔を綻ばせた。【飛翔する梟】学派は【融癒】の術で、一部の魔法薬を患者の体内で霊的に結合し、強力な癒しの力を引き出せるのだ。
「まぁ、ストレスが掛かったらあっという間に再発するでしょうけど」
男性呪医は力なく笑って肩を落とした。
アウェッラーナは、何とも言えない気持ちで中間素材の木箱を開け、一覧を呪医に渡す。
第二十九診療所の調剤室は清掃が行き届き、棚の幾つかの段が素材で埋まる。どうやら、傷薬になる薬草と虫綿、乾燥地虫と魔獣の消し炭らしい。
アルキオーネが、オリーブ油の瓶と干し杏の袋を作業机に置いた。
「傷薬の素材と呪医の夜食です」
「えッ? そんなものまで? 有難うございます。でも、夜十時には寝室へ追いやられて作業できないんで、夜勤する看護師さんたちに渡してもいいですか?」
「えぇ? まぁ、呪医の好きにして下さい。これ擂り潰しましょうか?」
アルキオーネが地虫の詰まったビニール袋を手に取る。
「えッ? そんなコトまで、いいんですか?」
「魔獣が出たらしくて、どうせしばらく外へ出られませんし」
調剤室の窓は閉め切られ、外の様子はわからない。
アウェッラーナは襟の中から薬師の証【思考する梟】学派の徽章を引っ張り出した。
「今ある素材でお薬作ります」
「何もお礼できなくてすみません」
呪医が悲痛な顔で言う。
「お礼とか気にしないで下さい。怪我人が来たら私も治療します。でも、夕方には帰るので」
「プーフ呪医ー! ちょっといいですかー?」
診察室から声が掛かり、呪医プーフは、魔法薬を移し替えたレジ籠を抱えて駆け戻った。
アルキオーネは早速、地虫を擂り潰しにかかる。
薬師アウェッラーナは中間素材を棚に片付け、隅の段ボール箱から、空の蓋付きプラ容器を三本取った。一リットル入りの牛乳瓶のような形で、密閉できる。ラベルは、蓋と本体のスリットに紙を挿し込む方式だ。
虫綿の詰まった四十五リットルサイズのビニール袋を空の木箱に入れ、机の横に口を広げて置く。
水瓶から【操水】で清水を汲み出し、虫綿を半分くらい掬い取った。
白い虫綿を煮溶かし、術で抽出した薬効成分が、あっという間にプラ容器一本を満たす。二本目も三分の一余りを埋めた。
薬草の屑など不純物を屑籠に排出し、水を浄化して一気に残りの虫綿も咳止めの薬に変える。
砂粒のように粗い粉薬は、プラ容器三本分になった。三本目はやや少ない。紙に薬品名と加工日を書いてスリットに挿し込み、レジ籠に入れる。
傷薬の薬草と箱型のプラ容器を取った。
持参したオリーブ油は一リットルしかない。傷薬は、A5判くらいのプラ容器四個分しかできなかった。
アルキオーネも席を立ち、同じ瓶型プラ容器を二本、机に置いて蓋を開けた。
アウェッラーナは、紙に「解熱剤・地虫」と今日の日付を書き込み、瓶型プラ容器に取付けてから呪文を唱える。
「静かなる地の霊性を受け継ぎし小さき者よ
その身の内の地の力 ここに広めよ
ゆるやかに熱鎮め 火の余り 平らかなりて常ならむ」
水が生き物のように動き、大皿から地虫の粉を掬い取って内に取り込む。茶色い粉が内部で渦巻き、薬効成分が水に溶け出す。
水に溶けない固形分は、屑籠に排出した。
地虫の水溶液から薬効成分だけを抽出し、茶色くきめ細かい粉薬をプラ容器に落とす。
粉は嵩高かったが、薬にしてしまえば、瓶の底十分の一にも満たなかった。乾燥地虫は、まだ、半日は作業できる量がある。
壁掛け時計は、お茶の時間の少し前だ。
傷薬の容器をレジ籠に入れ、棚から魔獣の消し炭を取る。
ノックの音で振り返ると、開け放たれた扉の横によく似た顔の少年が二人居た。
☆魔装警官……「0020.警察の制圧戦」「0029.妹の救出作戦」参照
☆呪医プーフ……「1756.野生動物の害」参照




