2070.見習いと確認
薬師アウェッラーナは、パテンス神殿信徒会の女性に手を引かれ、患者でごった返す第七診療所を出た。【跳躍】用の広場まで無言で引っ張られ、問答無用で第十八区画へ跳ぶ。
「お掃除まで、有難うございました」
「いえ、お気になさらず。棚の裏に雑妖が居たものですから」
小屋に掛けた【巣懸ける懸巣】学派の護法では、外部からの侵入は防げても、内部での発生は防げない。
あの水の濁り具合からすると、診療所の完成以来、二年近く掃除すらできない忙しさだったようだ。
「他もこんな調子ですから、診療は手伝わず、とにかくどんどん渡しましょう」
「説明待ってる間にできるコトがあったらやっとくから」
「有難うございます。急ぎましょう」
薬師アウェッラーナは、信徒会の女性と黒髪の歌姫アルキオーネに応え、歩調を上げた。
第十八診療所は、常勤薬師も診察で忙しい。
「えッ? いつものとは別に補充? 有難うございます! 一番奥の部屋に見習いが居ますんで、その子に渡して下さい」
常勤薬師は、早口に言ってすぐ患者へ向き直り、【見診】を唱えた。
三人は朝食の跡片付けを邪魔しないよう、台所を素早くすり抜け、廊下の突き当りへ進む。ノックすると、中学生くらいの少年が顔を出した。
「おはようございます。魔法薬と中間素材を持ってきました」
「えっと、あの、先生は今、診察中で」
アウェッラーナが来意を告げると、金髪の少年は、廊下の向こうに青い目を向けて、泣きそうな顔になった。
二人の外見年齢は同じくらいだが、少年は長命人種の大人ではないようだ。
「薬師の先生にこの部屋へ置くように言われたんです」
「納品を確認する間、素人でもできる作業があったら手伝うわよ」
アルキオーネが言うと、少年は息を呑んで首を横に振った。
「作業も修行の内なんで、手伝ってもらうなんてとんでもない」
「えっ?ダメなの? じゃあ何もしないから早く通して」
アルキオーネが少し残念そうに言うと、少年は扉を開放した。
傷薬になる薬草の匂いが廊下に溢れ、叢に足を踏み込んだような心地になる。
作業机には薬草が山盛りで、机の周囲には膨らんだ布袋が幾つも転がる。
アルキオーネが目を丸くした。
「えっ? これ全部、あなた一人で下処理するの?」
「はい。薬草の目利きの練習も兼ねて、虫綿付きとそうじゃないのを分けて、虫綿付きを見本にして、持って来てくれたのが薬草か、似てるけど違う草か、見分けるんです」
少年は机から一本ずつ取って、三人に見せた。虫綿がないものは、よく似た別の草だ。
「仕分けが済んだ分の枯葉とか、取っとこうか?」
「えッ? いえ」
「その作業は、目利きも魔法も関係ありませんよ。それより、処理が遅れて萎れたら、傷薬の品質が下がりますから、早めに水抜きの工程に進んだ方がいいです」
アウェッラーナがプロとして助言すると、少年は緑髪の少女をまじまじと見た。
諦めて、襟の中から【思考する梟】学派の徽章を引っ張り出す。
「私、長命人種の大人です。先に納品の確認をお願いします」
「仕分けが済んだのって、どれ?」
アルキオーネが机の傍へ行く。
パテンス神殿信徒会の女性が、部屋を見回して微笑んだ。
「お掃除、頑張ってるんですね。凄くキレイです」
「は、はい。そのくらいしかできないし、汚いとこで薬作るの、なんかヤバそうなんで」
少年の困惑した顔に微かな笑みが混じった。
「では【操水】はきちんと使いこなせるんですね。枯葉を取り終わった分は、私が水抜きしましょう」
信徒会の女性が言うと、少年は薬師アウェッラーナの顔色を窺った。
「納品確認でお時間いただきますから、その分、少しでも作業を進めた方がいいですよ」
「は、はい。あの、すみませんけど、お願いします」
少年は二人にぺこりとお辞儀して、スーパーマーケットのロゴが入ったレジ籠をふたつ指差した。
「こっちは虫綿付きで、こっちはなしの薬草です。違うっぽいのはビニール袋に入れて、後で先生に見てもらいます」
「虫綿、見本に一本だけ残して、他は外していいわよね?」
「は、はい。お願いします」
アルキオーネの口調は、質問ではなく確認だ。少年はこくこく頷いた。
黒髪の歌姫アルキオーネが、【軽量】の袋を床に置き、オリーブ油を一本、少年に差し出す。
「はい、傷薬の材料」
「は、はい! 有難うございます」
受取って棚に目を走らせるが、少年は一リットルのガラス瓶を抱えて動かない。
「落として割らないようになるべく下の段で、横向きに置くといいですよ」
アウェッラーナが空っぽの棚の最下段を指差すと、少年は言われた通り、瓶を横倒しで置いた。注ぎ口が棚板からはみ出し、通路に突き出る。
「その向きだと、瓶の口に足を引っ掛けてしまうので、棚の中に収まるように横に向けた方が安全ですよ」
「ご、ごめんなさい」
少年がアウェッラーナに怯えた目を向ける。
「いいんですよ。普通のお店やおうちは立てて置きますから、知らなくて当たり前です」
アウェッラーナは、威圧感を与えないように微笑を浮かべて言うと、納品する箱を出した。
少年に一覧表を渡し、何になる素材か説明しながら棚に片付ける。
「先生は普段、足りない素材について、何か言ってませんか?」
「昨日は植物油が欲しいって言ってました。ツナ缶の油は大豆油だけど、魚油が混ざって使えないからって」
住民たちがせっせと傷薬の材料を持ち込むのは、それだけ負傷者が多いからだろう。呪歌【癒しの風】の歌い手が増えたとは言え、傷薬の方が呪歌より深い傷に対応できる。
だが、植物油がなければ、傷薬は作れないのだ。
手帳に控え、説明と片付けを続ける。
少年は一覧表に鉛筆でメモしてから、中間素材を棚に収めた。
「完成品の魔法薬は、確認だけしてすぐ診療所へ持って行きますね」
「はい、お願いします」
空のレジ籠に段ボール箱の中身を空けると、半分にしかならなかった。
確認済みのものを別のレジ籠に移してゆく。
「この紙袋は、熱冷ましの粉薬が標準使用量一回分ずつ、薬包紙で小分けにして入ってます」
「紙袋はどれも粉薬なんですか?」
「そうです。どれも、大人の標準使用量一回分ずつです」
間違えないよう、紙袋の色と、薬包紙に薬品名と加工日、内容量を書いたペンの色も変えてあった。
☆植物油がなければ、傷薬は作れない……「0009.薬師の手伝い」参照
☆濃縮傷薬……「619.心からの祈り」「620.ふたつの情報」参照




