2068.支援を拒む者
風景が一変し、丸木小屋に囲まれた広場で木の香りに包まれる。
「第七診療所はあちらです」
薬師アウェッラーナと黒髪の歌姫アルキオーネは、パテンス神殿信徒会の腕章を付けた女性についてゆく。
木の板を並べた道を手桶や農具を持った難民たちが歩いて行った。
ショッピングカートにポリタンクを乗せた老人が、同じ方へ向かい、車輪が板を鳴らす軽快な音があちこちで響く。
「朝の涼しい内に水汲みするんですよ」
「えッ? 【操水】できる人、居ない小屋があるんですか?」
薬師アウェッラーナは驚いた。
数人が、振り向いて不審げな目を向ける。信徒会の女性が笑顔で会釈すると、笑顔を返してそれぞれの用に戻った。
「各小屋に最低一人は、魔法使いが居るようになってますよ」
「えっ? じゃあ、どうして?」
薬師アウェッラーナは、小型の手押し車やショッピングカートを押してゆく高齢者たちを改めて見た。
隣近所の者たちと世間話する声は、四方八方から降り注ぐ蝉の声にも負けず、賑やかで楽しそうだ。
「畑が増えて、体操できる広場が減ったんで、まだ涼しい内に水汲みして、運動不足を解消してるんですよ」
「あ、そうだったんですね」
アウェッラーナは安心した。
報告書によると、力なき民の高齢者は特に魔獣を恐れ、小屋から出られない者が多い。通院や当番など、やむを得ない用があれば渋々出る。出てしまえば案外、気晴らしになるらしかった。
持病の通院も、暑い寒い怠いここが痛いなどと文句や愚痴は絶えない。だが、他の小屋で暮らす患者と顔見知りになり、診療所前の待合所が、ちょっとした社交と情報交換の場になった。
また、編み物や蔓草細工で時間潰しする者も居る。最近は、蔓草細工の帽子と野菜を交換する者も現れた。
……みんな、逞しいわねぇ。
第七診療所に近付くと、報告書の記述そのままの光景が目に飛び込んだ。
難民キャンプは最初に井戸を掘り、その近くに診療所を建てた。
井戸端では、水汲みの順番を待つ者たちがお喋りに興じ、力ある民の少年が【操水】で彼らの容器へ順番に水を注ぐ。
数人が礼を言い、少年の足下の袋に何かを入れた。
礼だけ言って帰る者が大半だが、それでも、既に袋はかなり膨らんで、重そうに見える。
「水汲み当番には、ちゃんとそれぞれ働きに応じた報酬が出るんですけど、汲み上げ係に色々あげる人がちょくちょく居るんですよ」
「お年寄りとか、子供にたくさん食べさせるの、好きですもんね」
「たくさんもらっても食べきれないから、家族や友達と分けっこする人が多いんですけど、中には無理矢理取り上げられる人も居て」
「えッ?」
「それ、何とかならないんですか?」
溜息交じりに言われてアウェッラーナは言葉を失い、アルキオーネが信徒会の女性に詰め寄る。
信徒会の女性は、井戸から術で水を汲み上げる少年に目を向けて言った。
「あの子は違いますし、他人なら、我々や自警団も対処しやすいんですけどね。身内や恋人だとなかなか」
子供に限らず、女性、成人の弟妹、一族で唯一の魔法使いなど、立場の弱い者や少数派が、搾取や虐待の対象になりやすい。
同じ小屋の住民が窘めても、聞く耳持たないばかりか、人目を避けてもっと酷いコトをする場合が多かった。
搾取や虐待に遭う側も、家族だから、恋人だからと処罰や引き離しに応じず、逆に加害者を庇う者や、「助けてくれなんて頼んでない」「余計なお世話だ」と、手を差し伸べた者たちを詰る者さえ居た。
他人の目から見れば、明らかに虐待やドメスティックバイオレンスでも、高ストレスに晒され続け、正常な判断力を失った被害者の目には、加害者だけが大切な存在で、救いの手を差し伸べた者が攻撃者に映りがちだ。
被害者の認知の歪みが著しい場合、平常時に警察、行政、専門家、ボランティアなどが連携し、万全の態勢で臨んでも救出が困難だ。
況してや難民キャンプでは、全ての住民が困難の渦中にあり、我が事で手一杯。警察などの強制力を持つ機関や、調整にあたる行政機関はなく、専門家は全く足りない上に彼ら自身も難民だ。
ボランティアも人手不足で、多くの力なき民が必要とする「魔法による軽度の生活支援」も、なかなか行き届かない。
共同生活を送るとは言え、同じ小屋の住民たちでさえも、他人の家庭にまでは踏み込み難かった。
「急に姿が見えなくなってそれっきり行方不明の人が何人も居るので、我々としても、何とかしたいのはやまやまですが、中途半端な介入は却って事態を悪化させてしまうので、手を出せないんですよ」
「どこかの時点で、被害に遭っている人が助けを求めてくれたら、介入しやすくなるんですけどね」
薬師アウェッラーナの勤務先だったアガート病院でも、救急外来に時折、虐待やドメスティックバイオレンスの疑いがある負傷者が搬送された。
官民問わず、病院は警察と行政に通報する。
負傷者が助けを求めてくれれば、支援機関や専門家に繋ぎ、その後は比較的順調に行く場合もあるが、そうでない場合もある。
避難後、加害者が居場所を突き止めて連れ戻すこともあるが、被害者が自ら加害者の元へ帰ってしまう例も一件や二件ではなく、その理由も様々だ。
通報は、加害者だけでなく、被害者からも逆恨みされることがあり、担当者が苦慮する姿を何度も目にした。
アウェッラーナは対応チームに入れられたコトがない為、病院のソーシャルワーカーたちがどう対処したか知らない。
予備知識も何もない住民たちに一体、何ができるだろう。
「救援物資、お持ちしましたー」
「すみませーん。ちょっと通りまーす」
「魔法薬と素材でーす」
三人は患者の列をすり抜け、外来の受付が始まったばかりの診療所に入った。
まだ熱中症や外傷など、急患が搬送される時間帯ではないが、診療所の外まで慢性疾患の診察を待つ列が伸びる。
今日は巡回診療の日で、【白き片翼】学派の呪医が内科系の患者を診ると言う。呪歌【癒しの風】で間に合う患者は別棟に振り分け、常勤の薬師が対応するのは重傷の急患だけだ。
「薬師さんは奥でお薬作ってますよ」
看護師が、準備してあった薬をカルテで確認して入院患者に渡しながら、居住区画の扉を指差した。
開け放たれた扉を入ってすぐの部屋は台所だ。
出来上がった食事を盛り付ける者、患者別の指示を確認する者、確認済みの食事を運ぶ者が忙しなく動き回る。
「薬師さん、一番奥です」
お玉で示され、ぶつからないよう、急いで廊下の奥へ進んだ。
突き当りの扉をノックすると、年配の男性が顔を出した。
「急患?」
「いえ、救援物資です」
「あ、昨日、連絡来たあれ。どうぞどうぞ」
中はアガート病院の調剤室と同じ匂いがした。だが、棚の大部分は空で、床には薬品容器の段ボール箱が積み上がる。
作業机には、調合に必要な器具が一通り揃うが、どれも古びて少し錆が浮くものもあった。
☆力なき民の高齢者は(中略)小屋から出られない者が多い……「2026.支援者の連携」参照
☆最初に井戸を掘り、その近くに診療所……「1722.ゆっくり急ぐ」参照
☆急に姿が見えなくなってそれっきり行方不明の人……「2026.支援者の連携」参照




