2065.交通も食料も
「同様の理由で、鉄道の敷設もできないとお伺いしました」
フェレトルム司祭が言うと、ネモラリス人たちは一斉に頷いた。
星光新聞リストヴァー支社の記者が身振りを交え、国連の人権調査団と外国人記者団を相手に説明する。
「電車の架線も、電線と同じで巣材にされます。ですが、一番危険なのは、列車が線路の上しか走行できないことです」
通勤時間帯に側面から大型魔獣の突進を受ければ、列車が脱線転覆し、一気に数百人規模の犠牲者が出る。
自動車ならば、最悪の場合、道路のない荒れ地なども使ってバラバラに逃げられる。また、大型バスでも一台当たりの乗客数が列車より遙かに少ない為、誰かが食われる隙に他が助かる可能性が上がるのだ。
「特にリストヴァー自治区では、魔法による防護が何もできませんから、仮に鉄道ができたとしたら、大変な被害が出ますよ」
魔装兵が言い添えると、記者団がフェレトルム司祭を見た。
大聖堂から派遣された司祭は、純白の衣を少し摘まんで言う。
「ほんの僅かですが、聖典にも防禦の魔法が記されています」
「力なき民は発動させられませんから、ないのと同じですよ」
「例えば、その服だと、【編む葦切】学派の術者が仕上げに呪文を唱えて効果を発動させなきゃいけません」
「自分の魔力か【魔力の水晶】とかで外部供給して、必要な魔力を注ぎ続けないと効力を維持できませんし」
魔法使いにとっては当たり前のことなのだろうが、改めて己の無力を示された力なき民のキルクルス教徒たちは、複雑な表情を浮かべた。
大工のフェロスが聞く。
「じゃあ、俺が建てた教会の建物も?」
「建物は【巣懸ける懸巣】学派で、一部の術は、建物内に魔力の供給源があるだけでも発動しますよ」
「我々は教会の安全性を高める為、礼拝への参列を指示されました」
……そう言うコトだったのね。
クフシーンカは、魔装兵が毎回礼拝に顔を出す理由がわかり、納得した。
ウェンツス司祭が冬の大火の焼跡から回収した小さな【魔道士の涙】は、とっくに力を出し切って砕けただろう。
リストヴァー自治区の無自覚な力ある民だけでは、ネミュス解放軍侵攻の際、市民病院の呪医たちが起動した【頑強】の術までは、維持できないかもしれない。
「ラキュス湖は、女神のご加護で実体を持った魔獣はほぼ居なくて、実体のない魔物も少ないんですけどね」
「実体がないので、魔物には通常兵器が効きません」
「魔道機船でなければ、魔法防禦のない普通の壁をすり抜けて、船内に侵入されてしまいますから、危なくて航行できないんです」
魔装兵たちは東へ目を向けて言ったが、商店街と工場に遮られ、湖は全く見えなかった。
「魔物? 魔獣とどう違うんですか?」
「種類は同じなんですけど、この世に迷い出たばかりで、まだ実体……この世の肉体がないモノです」
「半視力の人には視えないんですけど、この世の生き物を食べると、だんだん存在が濃くなって、一定を超えると受肉します」
国連の人権査察団が、湖南経済新聞の記者を見る。
「私は力なき民ですが、霊視力はあるので、ちゃんと魔物も視えますよ」
「はんしりょく……とは、何でしょう?」
人権査察団の調査員に問われ、ウェンツス司祭が困惑を浮かべて答える。
「肉眼と霊視力、ふたつの視力の内、ひとつしかない状態のことです」
「この辺だと、力なき民でも大抵は霊視力がありますよ。半視力の人は魔物が近付いても認識できなくて、捕食されやすいんで」
湖南経済新聞の記者が言うと、アルトン・ガザ大陸から訪れたキルクルス教徒たちは、薄気味悪そうに商店街を見回した。
昼食の仕込みで香ばしい匂いが漂う。
夏の陽射しの下には勿論、魔物の姿などなかった。
「魔物は日の当たる場所には出られませんから、大丈夫ですよ」
ウェンツス司祭に言われ、外国から来た信徒たちが肩の力を抜く。
「リストヴァー自治区には船がないので、独自に貿易できません」
一同の眼が、レーチカ臨時政府復興省の役人に集まる。
「経済制裁の対象からは外されましたが、影響を受けて工場の稼働率が下がっています」
自治区外から訪れた中央省庁の役人は、国連の人権査察団を見詰めて続けた。
「自治区宛の寄付は届くのですが、輸出入は自治区外の企業が行う為、製品の輸出や原料の輸入は止まっています。このままでは、リストヴァー自治区も経済破綻してしまいます」
「船もないし、漁業もできないんで、蛋白質が足りてない感じですよね?」
魔装兵がウェンツス司祭に聞くと、東教区を預かる司祭は苦しげに頷いた。
「庶民の口に入るのは、救援物資の缶詰だけですからね」
「飲食店の仕入れはいかがですか?」
「仕入れも、現在は救援物資だけが頼りです」
「岸壁から釣竿で……と言うのは?」
外国人記者が聞くと、魔装兵が答えた。
「危険です。水や泥を纏って日光から身を守る魔物に引きずり込まれます」
「最低限、【魔除け】か【簡易結界】くらい使えないと、岸壁に近寄るだけで引きずり込まれますよ」
「えッ? でも、これ、湖岸沿いに工場ありますよね?」
外国人記者が、東の工場群を指差す。
大工のフェロスが腕を縦に振って答えた。
「岸壁との間に分厚いコンクリ壁を建ててますから、その向こうへ行かない限り大丈夫です」
「そうですか。よかったです」
「しかし、まさかここまで危険な地域だったとは」
記者団がざわついた。
工場前の商店街調査は、ウェンツス司祭、フェレトルム司祭、クフシーンカ、大工のフェロス、地元放送局員、地元記者を案内と通訳に立て、分かれて回る。
魔装兵は、ウェンツス司祭と星道の職人二人の組、臨時政府の役人はフェレトルム司祭の組に入った。
昼食の時間帯は忙しい為、飲食店は避け、小売店を中心に話を聞く。
まだ商品が少なく、修理が中心の店が大半だ。
記者たちは、インタビューに応じた店長や店番に気前よく菓子を渡した。
☆魔装兵が毎回礼拝に顔を出す……「1287.医師団の派遣」「1288.吉凶表裏一体」「1327.話せばわかる」参照
☆ウェンツス司祭が(中略)回収した小さな【魔道士の涙】……「560.分断の皺寄せ」「891.久し振りの人」参照
☆市民病院の呪医たちが起動した【頑強】の術……「896.聖者のご加護」参照
☆魔物/半視力の人には視えない……「370.時代の空気が」「432.人集めの仕組」「485.半視力の視界」「560.分断の皺寄せ」「590.プロパガンダ」「860.記された呪文」参照
☆経済制裁の対象からは外されました……「1844.対象品の詳細」「1846.自治区も影響」参照
☆魔物に引きずり込まれます……「0022.湖の畔を走る」「0058.敵と味方の塊」、王家の使い魔「496.動画での告発」参照




