2060.繁忙を極める
「呪医、何か、すっごい生臭いんですけど?」
「生臭い? ……あッ!」
呪医セプテントリオーは、第十九診療所の外まで続く行列から患者に指摘され、つい先程、樹棘蜥蜴に咥えられた件を思い出した。冷汗がどっと噴き出る。
悪臭はともかく、雑菌などによる汚染源になるワケにはゆかない。【操水】で念入りに洗ってから、【跳躍】で現場へ戻った。
日除けテントで待つ負傷者を全員連れて跳ぶ。
まだ意識が戻らない患者を水の担架に乗せ、慎重に診療所内へ運んだ。
収穫作業の手伝いが一区切りついた学生ボランティアも、応急処置済みの負傷者たちを次々と連れて来る。
先に搬送された数十人に上る負傷者は、思った以上に状態がよかった。
薬師ラザヴィーカと研究員リグニートによる魔法薬の作成と投与、ラクリマリス王国から来た医学生の【見診】による容態の確認と報告で、常勤医療者たちが最善の治療をしやすくなったお陰だ。
難民たちが、化膿止め用の薬草をプランターから掻き集め、研究員リグニートに渡す。【思考する梟】学派の研究員は、片っ端から魔法薬にして、雑菌だらけの樹棘蜥蜴に襲われた負傷者に投与した。
薬師ラザヴィーカは濃縮傷薬と【薬即】で外傷を塞ぎ、出血を止めてくれた。
「こっちの人たちは、骨折の治療がまだです」
「了解です。有難うございます」
科学の看護師が、出血の酷かった治療済み患者に点滴を繋ぐ。
研究員リグニートが、化膿止めの投与を終えた患者の手の甲に青い油性ペンで印を付けた。投与漏れと二重投与の防止だ。
呪医セプテントリオーは、【骨繕う糸】で折れた骨をひたすら修復する。
ラクリマリス王国から来た医学生が、一通り治療を終えた負傷者に【見診】を掛け、状態をベテラン看護師に伝えた。
看護師たちが、追加治療の必要な入院、安静と経過観察の入院、帰宅可能に振り分け、次の治療を準備する。
昨日までに入院した患者には、常勤医療者の家族が総出で食事を用意し、パテンス神殿信徒会のボランティアたちが配食を済ませた。
だが、急増した入院患者にはまず、アレルギーの聞き取りや【見診】による食事制限の確認が必要だ。医学生が診てもわからない症状は、薬師ラザヴィーカが改めて【見診】した。
確認を終えた患者から順に備蓄の堅パンと紙パックの野菜ジュースを配る。
「お昼ごはん、簡易給食ですみませんね。夜はもう少し滋養のあるごはん用意するんで、もうちょっと辛抱して下さいね」
緑髪の大半が白くなった老婦人が、ワゴンに乗せたパックを新規の入院患者に一個ずつ手渡してゆく。
「あ! 忘れてた! さっき預けた荷物、あれ、肉のスープなんです」
「えッ?」
医学生の一言で、診療所のあちこちから声が上がった。
「アレルギー対応の缶と、小麦粉とミルクが入ってるクリームスープの缶。【無尽袋】は高くて買えなかったんで、【軽量】の袋二枚に詰められるだけ詰めて来たんで、もし、大丈夫でしたらどうぞ」
「えぇっと、ちょっと待って下さいね。先にこれ配ってから温めますから」
湖の民の老婦人が、簡易給食の配布を急ぐ。
隣の病棟へ配食に行った者たちが戻った。順番待ちの患者から缶詰の件を教えられ、居室へ飛び込む。
そうこうする間にも、熱中症や蜂などに刺された急患が運び込まれる。
常勤医療者たちは急患対応の合間を縫って、順番を待ち続ける慢性疾患の患者を診る。
目の回るような忙しさは、お茶の時間まで続いた。
呪医セプテントリオーたちは、やっと休憩に入り、ホッと息を吐いた。
「もう落ち着きましたよね。私、化膿止めの材料をくれた人たちに聞き取り調査しに行きますよ」
「僕は拠点車輌に戻って、標本を作りたいんですけど、いいですよね?」
「はい。お疲れ様でした」
「大変な時にすみません」
「お陰様で助かりました。有難うございます」
「何かお礼できればいいんですが」
常勤の医療者と彼らの家族が口々に礼を言う。
薬師ラザヴィーカと研究員リグニートは顔の前でヒラヒラ手を振って苦笑した。
「給料はちゃんと会社から出てますし、危険手当とかもありますから、強いて言うなら、調査にご協力いただけると助かります」
「僕も、研究費から人件費が出てますから。薬草とかみつけた場所を教えていただければ、大丈夫です」
二人は同時に【跳躍】を唱え、第十九診療所を去った。
新規患者へのスープの配食を終え、医療者の家族もようやく自分たちの食事にありつく。
根本的に難民の人数に対して、医療者の数が全く足りないのだ。
……【思考する梟】学派の術者二人の協力を得て、まだ足りないとはな。
「報告します。ジャガイモの収穫作業完了。住民を帰宅させ、畑に隣接する森林の一部に【流星陣】を施し、緩衝地帯を設置。樹棘蜥蜴の肉は、肉屋が【保存】と【立入禁止】を掛け、第十九区画の希望する小屋に配布。後程、診療所にも分配する予定だそうです。鱗付きの皮全部と魔獣の消し炭の一部は、警備員が会社に持ち帰り、残りは周辺の区画からも職人を呼んで分配中です。私は折れた牙を回収しました。以上!」
「報告は、この区画の区長さんと自警団長さんにお願いします」
呪医セプテントリオーは苦い顔を向けたが、駐在武官セルジャントは、診療所の居住区画の戸口で胸を張って応えた。
「既に伝達を済ませ、彼らは魔獣の肉と消し炭の分配を指示しております」
「そうですか。ご苦労様です」
「畑に居合わせた住民から、早速その白衣がお役に立ったと聞き及びました。今後も、魔獣襲撃現場にお越しの際は、忘れず着用をお願いします」
駐在武官が誇らしげに微笑む。
呪医セプテントリオーは忌々しさを押し殺し、形式的に礼を言った。
「お食事中、失礼致しました。では、報告に上がります」
駐在武官セルジャントは、満足げな笑みを残して【跳躍】した。
☆樹棘蜥蜴に咥えられた件……「2058.餌場になる畑」参照
☆研究員リグニート……「1923.調査隊の目的」参照
☆ラクリマリス王国から来た医学生……「2057.現場での救命」参照
☆肉屋が【保存】と【立入禁止】……「718.肉屋のお仕事」参照
☆その白衣……「2055.軍医の【鎧】」参照
☆早速その白衣がお役に立った……「2058.餌場になる畑」参照




