0210.パン屋合唱団
ファーキルは、「レコード」が何かわからなかったが、彼らの様子から何か変わったことをするのだろうと思い、タブレット端末の動画撮影アプリを起動した。
工員クルィーロの起動した発電機が唸りを上げる。女の子たちがノートを持って、トラックの横に並んだ。
少し間があって、発電機の駆動音に負けない音量で音楽が流れた。
初めて耳にするが、軽快なリズムに乗せて流れる旋律が心地よい。
前奏が終わると、女の子たちが声を揃えて歌った。
「届けるよ あなたの許へ 焼きたてのおいしいパンを……」
ファーキルは、息を詰めてタブレット端末を支え、ズームした。斜め後ろからのアングルで、三人の顔は写らない。
適当に距離があるお陰で、歌声は発電機の駆動音に掻き消されなかった。演奏が終わっても、同じ曲が楽器を変えて何度も流れ、女の子たちは繰り返し歌う。
日当たりがいい場所で、充電しながらとは言え、動画撮影は消耗が激しい。四回目、ギター演奏の途中で落ちた。
仕方なく、充電器を日にかざしながら、女の子たちの歌に耳を傾ける。
ギターが終わり、次に流れたハーモニカの素朴な音色にも同じように合わせ、三人は声を揃えて歌った。
「届けるよ あなたの許へ 焼きたてのおいしいパンを
ふっくらとふくらむパンは 心満たして 笑顔を作る
大きなトラック 幸せ積み込んで みんなで今日も街から街へ
生地 捏ね上げて 今 発酵中
生地 整えて 今 焼いてるよ
おひさまの新しい光 昨日から今日に移ろう
手から手へ幸せ分けて みんな笑顔で 一日生きる
大きなトラック 幸せ積み込んで これから今日も街から街へ
生地 捏ね上げて 今 発酵中
生地 整えて 今 焼いてるよ
パン 分け合って 皆 幸せに
パン おいしいよ 皆 分け合って
生地 捏ね上げて 今 発酵中
生地 整えて 今 焼いてるよ
パン 分け合って 皆 微笑んで
パン ふっくらと 皆 幸せに」
……ちっちゃい子も、歌……上手いな。
先程は撮影に集中したが、聴くことに専念すると、その歌声の良さに気付いた。
同時に、祖国アーテルの歌番組で見たアイドルを思い出し、心がささくれ立つ。
外見も雰囲気も可愛い少女たちが、男の夢を詰め込んだ衣裳を纏い、歌って踊る偶像。
勿論、競争率の高いオーディションに合格し、厳しいレッスンを受けたプロだから、歌も踊りも上手いし、熱狂的なファンも多い。
大衆向けのわかりやすい歌詞は退廃的で、時にキルクルス教の聖職者や、信心深い大人たちは眉を顰めるが、概ね好意的に受け入れられ、商業的には大成功を収める。
だが、ファーキルはどうしても、流行りの曲を好きになれなかった。
同級生が、アイドルの話題で盛り上がっても、話の輪に加わる気になれない。夕飯時に両親がテレビをつけるから、風景として視界に入るだけで、自発的に見たいとも思えない。
単に好みの問題なのだろうが、ファーキルの心に響かず、興味を持てないのだ。
今、目の前で歌う女の子たちの歌は、ファーキルの心を激しく揺さぶった。
素人の女の子たちが、急いで作った拙い歌詞だ。
テレビ用の派手な演出も華美な虚飾と消費者への媚もない。
歌詞は、単に自分たちがパンの行商だと告げるに過ぎない。
ただそれだけの歌が、ファーキルに時の過ぎるのも忘れさせた。
曲が全て終わり、草地には発電機の駆動音だけが、低く響く。
魔法使いの工員クルィーロが、妹たちと何か話す。
トラックの運転手が、満面に笑みを浮かべて拍手した。我に返ったファーキルと工員も加わり、女の子三人に喝采を送る。
ファーキルは、言葉にできない感動を精一杯、拍手に籠めた。
工員が発電機を止めに行き、女の子たちも荷台に戻る。
何か作業をするらしいが、ファーキルは加わらず、充電中の端末を手に日当たりのいい場所へ移動した。
森に目を向ける。
薬草を採りに行った人たちが小さく見えた。
トラックの運転手が国道の北を見張る。
ファーキルは南を向いて、北へ行く車輌が来ないか、道の先に目を凝らした。
南側には、ラキュス湖と森に挟まれた平野が広がり、地平線が見える。
国道脇に淋しげに立つ標識が示す距離は、モールニヤ市まで二十キロ。
国道の両脇は、見渡す限り枯れ野だ。日当たりのいい所だけ、水溜まりのように若葉が萌える。
十分くらい眺めたが、北へ帰る渡り鳥の群の他は、何も見えなかった。
……そう言えば、昨日も今日も、アーテルの空軍機、見てないな。
詳しい戦況はわからない。
アーテルに居た昨日の朝までは、学校では普通に授業があり、大人たちは普通に仕事をして、店も普通に営業中だった。
ネモラリス領に最も近いランテルナ島でさえ、活気に満ちていた。
手元の端末を見る。充電切れで落ちた暗い画面に顔が写り込んだ。
彼らとそう変わらない疲れた顔だ。こんな有様だから、彼らがファーキルの嘘にあっさり騙されたのだと今更ながら納得できた。
ニュースサイトにアクセスしたい衝動を抑え、充電が溜まるのを待った。
☆アーテルに居た昨日の朝……「0173.暮しを捨てる」参照
☆ネモラリス領に最も近いランテルナ島……「0174.島巡る地下街」~「0176.運び屋の忠告」参照
☆彼らがファーキルの嘘にあっさり騙された……「0197.廃墟の来訪者」~「0199.嘘と本当の話」参照




