2057.現場での救命
第十九区画の自警団員と畑仕事の担当者は、槍や農具で魔獣と戦って仲間を救おうとしたらしい。骨折や咬傷で酷い有様だ。
傷が癒えても、魔獣や土壌からの感染の懸念が残る。
学生ボランティアたちが応援を二人連れて戻った。
一人は、ガルチーツァ製薬の薬師ラザヴィーカで、残る一人は、診療所を手伝うパンテンス神殿信徒会の女性だ。
「警備員さんに呼ばれて、第十九診療所に行ったんですけど、学生さんにすぐ来てくれって言われて……えっと、魔獣は?」
「有難うございます。助かります」
「二頭倒して、三頭逃げました。警備員一人が、男の人を咥えて逃げた奴を追ってます」
呪医が礼を言い、警備員が簡潔に答える。
薬師ラザヴィーカは顔を引き攣らせたが、リュックサックから魔法薬の容器を出した。手持ちの魔法薬は一部、他の負傷者用に診療所へ置いてきたと言う。
咬傷の治療を薬師に任せ、呪医は骨折の治療に専念した。
骨折と言っても、単純なものではない。魔獣に手足を咬まれ、骨を噛み砕かれた粉砕骨折だ。出血が酷く、意識のある患者も予断を許さない。
学生ボランティアたちが、応急処置が終わっても意識の戻らない患者を【跳躍】で診療所に運ぶ。
薬師ラザヴィーカが、洗浄を終えた傷に濃縮傷薬をたっぷり縫って【薬即】を唱えた。
「星々巡り時刻む天 時流る空
音なく翔ける智の翼 羽ばたきに立つ風受けて 時早め
薬の力 身の内巡り 疾く顕れん」
第十九診療所には今日、常勤医療者たちの他、ラクリマリス王国から来た【白き片翼】学派を修業中の学生ボランティアが居る。少なくとも、【見診】で科学の外科医とベテラン看護師たちに状態を伝えるくらいはできるだろう。
警備員が【操水】を唱えて水を担架にし、先程【活力移送】した重傷者を日除けテントに入れた。治療に一区切りついた意識のある重傷者も自力で入る。
影が更に短くなり、八月の陽射しがじりじり肌を焼く。
軽傷者たちが蔓草細工の帽子を脱いで扇ぎ始めた。学生が持って来た飲み物は既に飲み干し、このままでは熱中症になる。
警備員が、影に入れない軽傷者の頭を【操水】で冷やした。
「あ、有難うございます。でも、あの、怪我が酷い人を【跳躍】で運んでもらった方が」
「俺がここを離れたら、あいつらが襲ってきますよ」
軽傷者たちがテントの陰から顔を出し、警備員が指差す方を見た。
木立の間に巨大な樹棘蜥蜴の姿が見え隠れする。力なき民たちは息を呑んで顔を引っ込めた。
呪医セプテントリオーと薬師ラザヴィーカが治療を進めるが、重症の負傷者が数十人に上る為、応急処置すらなかなか終わりが見えない。
夏品種のジャガイモを収穫する為、いつもより多く畑に出たことも被害の拡大に繋がった。
「追跡した同僚もまだ戻りませんし、血の臭いを嗅ぎつけて、新手が来るかもしれません」
アミトスチグマ人の警備員は、森に警戒の目を向けたまま淡々と言った。
難民が今にも泣きだしそうな声で質問を重ねる。
「あの、もう一人の警備員さんは?」
「レーシィさんとリグニートさんの護衛を続けてますよ」
今朝、出発早々に火の雄牛が獲れた。その近くのシレームの古木で、大型のザジガーニイ茸も発見。【無尽袋】が品切れだった為、一旦、第三十四区画の拠点車輌へ置きに戻った。
丁度そこへ、学生ボランティアが魔獣の襲撃を報せに来たのだ。
第十九区画には、別行動中のセルジャント駐在武官も居る。
警備員が、森の奥へ向かった調査隊に【花の耳】で連絡したところ、加勢が二人寄越された。
警備員二人は、第十九区画の畑へ、薬師ラザヴィーカは第十九診療所へ跳び、残る三人は調査を続行中だ。
「魔獣に連れて行かれた人、助かりますよね?」
軽傷者が不安な声を出す。
警備員は硬い表情で森を見詰めて動かなかった。
学生ボランティアと信徒会の女性が、軽傷者を一人ずつ【跳躍】で診療所へ連れて行くが、力なき民数十人に対して魔法使い四人で、なかなか捗らない。
「手持ちの薬がなくなったので、移動を手伝います」
「お願いします」
薬師ラザヴィーカに応え、呪医セプテントリオーは意識のある重傷者を癒し続ける。手足を咬まれた者より、尾で叩かれた者が多かった。打撲と骨折だけでなく、内臓にも傷があり、移動に耐えられない。
「呪医、呪医! 脈が弱ってきました!」
日除けテントから悲愴な声が呼ぶ。瀕死の重傷を負った青年の幼馴染の声だ。
「どなたか、打ち身だけの方、彼に生命力を分けていただけませんか?」
呪医の呼掛けに応える声はない。
呼吸を整え、不安を打ち消す情報を与える。
「滋養のある物を食べてゆっくり休めば回復します。寿命には影響ありません」
再度の呼掛けで、軽傷者たちは顔を見合わせた。
無言の押し付け合いの中、呪医は重傷者たちの治療を続ける。
これ以上生命力を融通できない幼馴染の啜り泣きが聞こえた。
「先に治してもらえるんですよね?」
「はい。勿論です」
「じゃ、俺やります」
高校生くらいの若者が、テントの影から出る。呪医はホッとして酷い打撲と擦り傷を癒し、二人でテントに入った。
「彼と手を繋いで、私が詠唱を終えたら、声に出して十数えて下さい」
「わかりました」
「あなたは少し離れて下さい」
幼馴染が、意識が戻らない重傷者から泣く泣く手を放す。
呪医セプテントリオーは再び【活力移送】を唱えた。
「開け門 個の垣越え 高きから低きへ 命の水脈流れよ」
「一、二、三……」
若者がゆっくり数え始めた。
重傷者の蒼白な顔に血色が戻る。微かに地響きが聞こえた気がするが、二人から手を放して外を確認するワケにはゆかなかった。
「……八、九、十!」
呪医セプテントリオーは、若者の声で一旦手を放して【見診】を掛ける。意識はまだ戻らないが、脈拍は正常に戻った。
「ご協力、有難うございます。移動の順番が来るまで、テントで休んで下さい」
「助かったんですか?」
「容態はひとまず落ち着きました。引き続き様子を見てあげて下さい」
向き直って声を掛けると、幼馴染は涙で声を詰まらせ、何度も頷いた。
地響きが大きくなる。
「どなたか、もう一人……」
呪医はテントから出て息を呑んだ。
森から樹棘蜥蜴の群が現れた。
警備員が【光の槍】で迎撃するが、多勢に無勢だ。負傷者たちは言葉にならない声を上げるが、足が無事な者も腰が抜けて動けなかった。
呪医セプテントリオーは【無尽の瓶】の中身をすべて引き出し、水壁を建てた。
頭を撃ち抜かれて五頭倒れたが、攻撃が間に合わない。
……一、二、三……まだ十一頭も。
魔獣の群を水塊で絡め取り、宙に浮かせた。
☆樹棘蜥蜴……「1921.産官学調査隊」参照
☆第三十四区画の拠点車輌……「1923.調査隊の目的」参照
☆【花の耳】で連絡……「1966.救援の調査隊」参照




