2056.死線を彷徨う
ボランティアの青年が、興奮気味に話す。
「でかい蜥蜴みたいのが五頭も出て、二頭倒して三頭どっか行って、動かすの無理そうな重傷の人が何人も居るんで、呪医に来て欲しいんですけど」
「わかりました。彼の腕を繋いでから行きます」
呪医セプテントリオーが応じると、青年はもどかしげに叫んだ。
「おなか咬まれて内臓見えてる人も居るんですけど!」
第十九区画診療所に居合わせた者たちが顔を顰めた。
「彼の腕をこのままにしては、ここから魔物が涌く可能性があるのです」
「押し問答の時間が勿体ねぇ」
「呪医、ちゃっちゃとくっつけて行って下さいよ」
順番待ちの列から声が掛かり、ボランティアの青年は頷いた。
呪医セプテントリオーは、受取った片腕を洗浄し、傷口を合せて【縫合】の呪文を唱えた。
「命繕う狭間の糸よ
魔力を針に この身繕い 流れる血潮 現世に留め
黄泉路の扉 固く閉じ 明日に繋げよ この命」
続いて接続した部分に【癒しの水】を掛け、魔力を帯びた水を内部に行き渡らせて、血管や神経などを修復した。
ボランティアの青年は、【操水】で返り血を洗い流して呪医を急かした。
「その人、もう大丈夫ですよね? 早く現場へ」
「呪医! そのゴッツいの着てった方がいいんじゃねぇか?」
「現場って、逃げた魔獣がまだ近くをウロついてるかもしれないんでしょ?」
呪医セプテントリオーは、白衣を脱いで薬の段ボールに置き、軍医用の白衣に袖を通した。久々の重い感覚に身が引き締まる。
ボランティアの青年が、呪医の腕を掴んで【跳躍】を唱え、第十九区画の中心部にある診療所から、大森林との境界にある畑へ跳んだ。
ガルチーツァ製薬が雇った警備員の一人が、魔獣の死骸を焼却する。その傍らでは、比較的軽傷の者と、駆け付けたボランティアが重傷者に応急処置を施す。
「あの人、あの人、一番ヤバいんで!」
青年が呪医の手を引き、踏み荒らされたジャガイモ畑をどんどん進む。
休憩用テントの手前に倒れた男性は虫の息だ。血塗れの青年が彼の手を取り、何度も呼称を叫ぶ。
呪医は傍らにしゃがんで【止血】を唱えた。【見診】する余裕はなく、【無尽の瓶】から滅菌処理済の水を引き出し、【癒しの水】で内臓の傷を修復してゆく。
「血は血に 肉は肉に 骨は骨に あるべき姿に立ち返れ
損なわれし身の内も外も やさしき水巡る
生命の水脈を全き道に あるべき姿に立ち返れ」
ボランティアたちが【操水】で一人ずつ負傷者を洗い、不純物を捨てた水を加熱して滅菌処理する。宙で煮え立つ水を薄く広げて放熱し、次の患者を洗った。
呪医セプテントリオーは、重傷者の首筋に手を触れたが、顔は蒼白で脈拍が速く弱い。【縫合】で腹部の傷を塞いだが、まだ意識が戻らなかった。【見診】を掛けて診る。
外傷はすべて癒えたが、失血が多いせいでショック状態に近かった。
「呪医、何でコイツ、治ったのに起きないんですかッ?」
彼の呼称を叫び続けた難民が、泣きながら詰め寄る。
「出血が激しかったせいです」
「輸血! 俺、血液型一緒なんで、幾らでも使って下さい!」
「設備がありません」
「そんな……! 何でもするから助けて下さい! 兄弟同然で育った幼馴染なんです!」
重傷者の幼馴染が懇願する。軽傷だと思ったが、彼の右足もあらぬ方へ曲がり、右腕と右足の裂傷から血が流れ続ける。
「生命力を分け与える術がありますが、先にあなたを治療します」
「先にコイツを」
「共倒れになりますから」
呪医セプテントリオーは有無を言わさず、【骨繕う糸】と【癒しの水】で治療した。【見診】すると、彼も衰弱が激しい。
「五秒間だけ、彼にあなたの生命力を移します」
「呪医、もっと」
「無理です。あなたまで生命が危うくなります」
「そんな……」
青年は、幼馴染の呼称を繰返して再び泣きだした。
「そのまま、手を握っていて下さい」
呪医セプテントリオーは、二人の手に自分の手を重ね、力ある言葉を唱えた。
「開け門 個の垣越え 高きから低きへ 命の水脈流れよ」
呪医は声に出して数える。
「一、二……」
【白き片翼】学派の【活力移送】の術だ。強い方から弱い方へ生命力を移送し、均等化するが、両者の差が開けば開く程、初期の短時間で流入する生命力の量が多くなる。【家守る鸛】学派の【精力移送】以上に提供者の負担が大きかった。
「……五!」
呪医セプテントリオーは手を放して立ち上がり、辺りを見回した。
学生ボランティアたちが【操水】で水を担架にして、動けない重傷者を近くに運んで待つ。軽傷者たちも自力で呪医の周囲に集まった。
一度に五頭の魔獣が出現した畑は、ざっと見ただけでも、重傷者が二十人は下らない。軽傷者は更に多かった。
「呪医! もっと」
「これ以上はあなたの身が持ちません。脈拍と呼吸を見て、衰弱が進んだら教えて下さい」
呪医セプテントリオーは縋りついた手をそっと放し、意識が戻らない青年の首筋に添えた。
幼馴染二人組から離れ、中年男性の千切れかけた足に【癒しの水】を掛ける。ひとまず先に骨以外の部位だけ接続し、【骨繕う糸】は後回しだ。
警備員が枝を拾い、畑に大きな円を描いて負傷者全員を囲む。【簡易結界】を掛けた上から【魔除け】を重ねる。
水の担架を支える学生ボランティアが、魔力切れの【水晶】をウエストポーチに戻し、新しい物を握った。
八月の空は晴れ、足下に落ちる影は濃い。
呪医セプテントリオーは意識のない患者から順に【止血】を掛け、【癒しの水】と【縫合】で取敢えず傷を塞いでゆく。
警備員が【軽量】を唱え、畑の隅からカーテンを縫い合わせた日除けテントを運んだ。
傷が塞がり、ひとまず生命の危機を脱した重傷者を中に入れる。軽傷者たちは大型テント外側の日陰に避難した。だが、日が高く昇り、入れない者の方が多い。
意識不明の重傷者七名は傷を塞ぎ終え、学生ボランティアに診療所への搬送を依頼した。
「魔力がキツい人は、診療所で【水晶】を借りて、すぐ戻って下さい」
「わかりました」
「まだ、治療、まだ時間掛かりますよね? 飲み物持ってきます」
学生三人が、まだ意識の戻らない重傷者たちを一人ずつ抱えて跳ぶ。
「あの人はいいんですか?」
「急変に備えて、まだ私の傍に居た方がいいのです」
警備員に応え、呪医は意識のある重傷者の治療に取り掛かった。
☆ガルチーツァ製薬が雇った警備員……「1921.産官学調査隊」「1922.久々の昼休み」参照
☆【家守る鸛】学派の【精力移送】……「1589.最初から難民」参照




