2054.派遣先の常識
「えっと、だから、その兵隊さんは、後方支援に回すか、早くバルバツム連邦へ帰った方がいいと思います」
「星光新聞の記者さんもそうです。植込みから充分な距離を保っていたにも拘らず、土魚が跳びついたのは、あなたの魔力と無防備さのせいですよ」
呪符使いの青年とラズートチク少尉が言うと、現場指揮官の先任軍曹は拳を握って部下を見詰め、バルバツム本社からの特派員記者は膝から力が抜けてその場に頽れた。
オリョールが、聖アルブム教会の司祭に向き直る。
「ルフス神学校では昔から、神学生全員に魔力検査するって聞いたけど、司祭様は何で自分に魔力があるって知らなかったんです? まさかモグリ?」
「違います」
年配の司祭は蒼白な顔で即答した。
オリョールが共通語で言ったせいで、バルバツム兵たちは困惑と疑心に満ちた目で、同胞の記者と現地の聖職者を見る。
小学校から偵察用小型無人機が戻った。通信車から兵士が降りて回収する。
「あ、まだ居たんだ。ちょっとこれ、光ってないの、持ってくれる?」
オリョールが、子供のように泣きじゃくる兵士から手を放し、小型無人機を抱えた通信兵に【魔力の水晶】が入ったビニール袋を突き付ける。通信兵は路上にへたり込んだ同僚を見下ろし、無言で先任軍曹を見た。
「ここでは必要なコトだ。入国直後にやってりゃ、犠牲者を出さずに済んだかもしれんな」
「あの、何ですか? これ?」
通信兵が、上官に不安な目を向ける。
「心配すんな。俺も触った。他の連中も呼んで、全員に触らせろ」
「了解」
通信兵が首を傾げながら車輌へ戻ると、オリョールは司祭に聞いた。
「じゃあ、なんで自分の魔力を知らなかったんです? 魔力があったら、特別な司祭って奴になれるのに」
年配の司祭は何か言いかけて口を噤んだ。目を閉じ、ゆっくり吐いて答える。
「私は半世紀の内乱中、ラニスタに疎開してあちらの神学校で学んだからです」
「へぇー、アーテル支部の中じゃ格下なんだ?」
……聖職者の名簿が手に入れば、学歴から対象者を絞れそうだな。
魔装兵ルベルはラズートチク少尉を横目で窺った。上官は何食わぬ顔で、バルバツム連邦陸軍の先任軍曹に聞く。
「彼は、この先どうなるのですか?」
「前例がない。取敢えず上には報告する。俺個人としては、呪符使いに賛成だ」
魔力が発覚した兵士は、涙と鼻水に塗れた顔を上げたが、言葉は出ない。通信兵たちが【魔力の水晶】を手に取ったが、魔力を持つ者は一人も居なかった。
少尉が作業服のポケットから小袋を出し、【操水】で鎮花茶を煮出す。茶器一杯分くらいのお茶が宙で沸き立ち、辺りに甘い芳香を振り撒いた。兵士が泣き止み、特派員記者と司祭の顔色がややマシになる。
「司祭様と記者さん、それから、そこの兵隊さん。これまで、お酒を飲んだ経験はありますか?」
「慰めに宴会でもしてくれるってか?」
答えない三人に代わって、先任軍曹が作り笑いで少尉に聞く。
「いいえ。重要な質問です」
「どうしてです? もしかして、それも魔法と関係が?」
フリージャーナリストも食いついた。
作業服姿の四人が同時に頷く。
呪符使いの青年が目を丸くして、キルクルス教徒たちを見回した。
「えっ? この辺では常識ですが、みなさん、ご存知ないのですか?」
「俺たちを子供だと思って教えてくんねぇか?」
「情報料、戦闘糧食二人前一食分」
呪符使いが片手を差し出すと、現場指揮官は苦笑して了承した。
「おい、お前。質問に答えろ。酒呑んだコトあんのか、ないのか」
「宗教上の理由で、飲み会は全て断っています」
「宗教? お前、キルクルス教徒じゃないのか」
先任軍曹が意外そうに聞くと、兵士は立ち上がって答えた。
「母方はキルクルス教徒で、俺も信仰の誓いをしました。父方は高祖父さんがルニフェラ共和国からの移民で、母や俺たちに信仰の押し付けとかはないんですが、禁酒だけは厳しく言われます」
「それこそ、信仰の押し付けってんじゃないのか」
先任軍曹が苦笑する。
「母方の身内は全員、酷い下戸なので、その件に関して何も言いません。俺も、体質的に飲まない方がいいと思っています」
「はい。あなたは絶対にお酒を飲んではいけません」
呪符使いに視線が集まり、フリージャーナリストが質問する。
「どうして?」
「魔力が暴走するからです。最悪の場合、本人の肉体がその場で崩壊するだけでなく、周囲も巻き込みますし、その遺体は異界の扉になりやすいのです」
「両輪の国では、力なき民にのみ飲酒を許可する所もありますが、魔法使いの飲食物にアルコールを混入する事件やテロが、時々発生していますよ」
ラズートチク少尉が言うと、バルバツム兵たちは魔力が発覚した同僚から一歩離れた。
「あんたたち、一滴も呑んだコトないのか」
先任軍曹が感心し、少尉は頷いた。
「死にますからね。三界の魔物がこの地に至る前の古い時代には、安全に飲酒できる護符があって、呑みたい人は刺青したそうですが、今はその術が失われて、誰も呑みませんよ」
「えっ? そんな術あったんだ?」
オリョールも知らなかったらしい。ルベルも初耳だ。
少尉が残る二人に向き直る。
「司祭様と記者さんはどうですか?」
「若い頃、一口でとても具合が悪くなったので、それ以来、一滴も口にしていません」
「私も」
バルバツム本社の特派員記者は短く答え、大きく息を吐いた。
「バルバツム人でも、魔力ある奴が居るってわかったろ。全員検査して、引っ掛かった奴は早く帰国させた方がいい」
「検査だ? その水晶細工が何個要ると思ってんだ? そんな予算ねぇぞ」
オリョールに言われ、先任軍曹が自嘲気味に反論した。
「最低一個でできる。当たりの人が居ても、充填された魔力を使い切ればいい」
「俺たちゃ魔法なんざ使えねぇ」
「使い減りしない魔法の道具でもいい。彼みたいに【護りのリボン】を巻いて、【水晶】を握ればあっと言う間だ」
オリョールは、呪符使いの青年に顎をしゃくった。
「そいつは幾らだ? どこで手に入る?」
先任軍曹が呪符使いに聞く。青年は相棒への湖南語訳を中断して答えた。
「ランテルナ島の地下街です。今の相場なら、銀の弾丸五個か六個くらいだと思います」
「そのお店、案内してくれないか? 勿論、ガイド料は出すけど」
呪符使いの青年は、フリージャーナリストの求めに応じ、特派員とルベルたちを見た。
☆特別な司祭……「810.魔女を焼く炎」「811.教団と星の標」「0953.怪しい黒い影」参照
☆ラニスタに疎開してあちらの神学校で学んだ/アーテル支部の中じゃ格下……「924.後ろ暗い同士」参照
☆信仰の誓い……「592.これからの事」参照
☆魔力が暴走する……「1975.飲酒の危険性」参照




