0209.森と枯れ野で
メドヴェージが速度を緩めた。
冷たい風が荷台の隅々まで吹き込む。窓を全開にしたらしい。
「こんにちはー」
メドヴェージが朗らかに挨拶する。
対向車も速度を緩めた。
「あぁ、こんにちは。どちらへ?」
「パンを寄付しに行って、戻るとこでさぁ」
「そうかー、御苦労さーん」
対向車の声が遠ざかる。
メドヴェージは速度を上げ、更に南へ向かった。
……そっか。「行く」じゃなくて「戻る」って言えば……?
クルィーロは、メドヴェージの意外な演技力に感心した。
救援物資を運ぶトラックの運転手は、こんな子供騙しの頓智で誤魔化せたが、検問所はどうだろう。幼馴染の姉妹がガムテープで拵えたパン屋のロゴで、誤魔化せるとは思えない。
……だからって、強行突破ってワケ、いかないよなぁ。
万が一、捕まった場合を考える。
クルィーロたち兄妹は、少なくとも、ネモラリスの首都クレーヴェルに父が居る筈だ。何とかして、ガルデーニヤ市ではなく、ネモラリス島へ送ってもらえないだろうか。身元引受人の指定でどうにかならないものか。
……あ、ダメだ。出張先の住所とかわかんねぇ。
しかも、テロと空襲の後、父がずっと同じ所に留まるとは思えない。
ゼルノー市内にあった父の勤務先は、星の道義勇軍のテロで焼失した。その後、ゼルノー市やその周辺地域は、政府が立入制限区域に指定した。
父も、自宅や家族がどうなったのか、知る手段がない。
……俺たちきっと、もう死んだと思われてるよな。何とかして、生きてるって伝えたいけど……どうすりゃいいんだ?
クルィーロは、思考が堂々巡りして焦燥感が募るばかりで、何も思いつけなかった。
「あ、あの、すみません。ちょっと停めてもらっていいですか?」
少年兵モーフの知人アミエーラが、小部屋に声を掛けた。レノがメドヴェージに取次ぎ、すぐ停車する。
荷台が開くと、アミエーラはみんなを見回して言った。
「ちょっと早いですけど、そろそろお昼にして、ついでに少し森に行って、薬草とか蔓草とか採って、少しでも売り物を増やした方がいいかなって、思うんです」
枯れ野の東側には森が広がる。道路からは、二百メートル程しか離れていない。
クルィーロが見回すと、道路沿いにポツポツ【魔除け】の呪印が刻まれた石碑や距離表示の標識があった。
モールニヤ市まで、あと二十キロらしい。
ソルニャーク隊長と運転手のメドヴェージも気付いたのか、針子アミエーラの案に同意した。
焼魚と堅パンで軽く済ませ、二手に分かれる。
森へ行くのは、薬師アウェッラーナ、ソルニャーク隊長、少年兵モーフ、高校生ローク、針子アミエーラ、パン屋のレノの六人。クルィーロを含む半数は、トラックで見張りをすると決まった。
「お兄ちゃん、いってらっしゃーい」
明るい場所だからか、エランティスは笑顔で手を振ってレノを送り出した。レノも安心した笑顔で手を振り返す。
ここには、ネモラリス領のような死の気配はなく、空襲の心配もない。
森へ行くと言っても、枯れ野との境界だけで、木立の中へは入らない。
それでも念の為、ソルニャーク隊長と少年兵モーフは、護身用にカッターナイフを握り、他の者も鋏を持って行った。
「お兄ちゃん、天気予報のお歌、聴かせて。今だったらトラック停まってるし、いいでしょ?」
「えっ?」
アマナに手を引かれ、クルィーロはメドヴェージを振り返った。
運転手は、瞳を輝かせてねだる女児に柔和な笑み向け、クルィーロに聞く。
「兄ちゃん、あの発電機はレコード一回、回すのにそんなたっぷり燃料食うのかい?」
「いえ……そんなには……」
「だったら、聴かせてやれよ」
運転手の大きな掌が、クルィーロの肩を叩く。そのぬくもりに押され、荷台へ戻った。
発電機を起動し、係員用の小部屋でレコードの再生機を操作する。盤面に針を落とし、前奏が流れるのを聞き届けて荷台を降りた。
アマナとエランティス、ピナティフィダがノートを広げ、トラックの前に立つ。
前奏が終わり、主旋律が流れると、三人は声を合わせて歌い始めた。
「届けるよ あなたの許へ 焼きたてのおいしいパンを……」
メドヴェージが、おどけた身振りでクルィーロに静かにするよう示す。
クルィーロは頷き返し、足音を忍ばせてピナティフィダの背後に回る。
女子中学生の肩越しにノートを覗くと、妹のアマナの字で、歌詞が清書してあった。
三人は歌詞を追うのに夢中で、クルィーロに気付かない。
クルィーロはファーキルがどうしているかと思い、首を巡らせて姿を探した。
少し離れた所でタブレット端末を充電する。太陽光発電のパネルになるべく日が当たるよう、端末をこちらに向けた姿勢で動かず、歌に聞き入るようだ。
妹たちが作った歌詞は、リズムに合わない箇所も幾つかあるが、他は元からこうだったようにぴったりだ。
最初のインストゥルメンタルが終わり、少し間を置いて、ピアノの単独演奏が流れる。女の子たちは先に話し合ったらしく、これにも合わせて歌った。
ピアノ、フルート、ギターの単独演奏が次々と流れ、ハーモニカでA面が終わってレコードが止まる。
三十分近く同じ歌を歌い続けた女の子たちは、息を大きく吐き出して、上気した顔を見合わせた。
弾かれたように身を翻し、アマナが驚く。
「……お兄ちゃんッ? いつから居たの?」
「最初から」
レノの妹たちも驚いた顔を向けたが、すぐにはにかんだ。
「……どうでした? 今の?」
ピナティフィダに感想を求められ、クルィーロは感じたまま答えた。
「上手かったよ。元々こう言う歌詞だったのかと思った」
「おう、ホントの歌手みてぇだったぞ」
メドヴェージが拍手する。
クルィーロとファーキルも拍手に加わると、照れたアマナが抱きついてきた。
「このお歌ね、パンを売る時に歌うの」
「そっか。行商のパン屋さんか。スゴイこと思いついたな」
妹の金色の髪を撫で、パン屋の姉妹に笑顔を向ける。
「これで買ってもらえるかどうかわかりませんけど、何もしないより、できるだけのコトはしたいなって……」
ピナティフィダが、道の先に目を遣る。
南の街モールニヤ市は、まだ見えない。
「そうだよな。じゃあ、段ボール切って、看板も作ろうか」
クルィーロは妹の肩を叩き、パン屋の姉妹も促した。




