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すべて ひとしい ひとつの花  作者: 髙津 央
第一章 印歴二一九一年二月一日
21/3487

0021.パン屋の息子

 いつも通り、のどかな午後の筈だった。

 昼食用の買物客が一段落し、夕飯の客までまだもう少し時間がある。


 「レノ、そろそろ代わっとくれ」

 「うん、今行くよ」

 母に呼ばれ、息子はエプロンで手を拭きながら厨房を出た。

 客が少ない時間でも店は閉められない。昼ご飯は家族で交代。今は、父が二階の台所で食べている。

 レノと呼ばれた青年は、母とレジを代わった。


 椿屋(つばきや)は、家族経営の小さなパン屋だ。

 店はスカラー区の大通りに面していた。ゼルノー市東部のこの道は、貿易港と工業地帯のグリャージ区から、漁港がある北のジェリェーゾ区にかけて南北に走る。

 スカラー区は二区の間にある商業地区だ。人通りが多く客の入りがいい。贅沢(ぜいたく)さえしなければ、一家五人が暮らすには充分、儲かっていた。


 妹二人はまだ小学生と中学生、長男のレノは去年、高校を出たばかりだ。

 今は店を継ぐ為の修行中。

 毎日、香ばしい匂いに包まれて生地を()ね、形を整えて石釜に入れて焼く。


 手伝いは幼い頃からしていたが、本格的な修行となると、父は厳しくなった。

 焦がさないように、生焼けで出さないように、食中毒を出さないように、あれこれ細々言われながら、狭い店内で忙しく働く。

 本格的な修行を始めて、もうすぐ一年。近頃は任される作業も増えた。


 レジに立ち、客が引いた店内を見回す。

 「おっと」

 入口近くの棚で、値札がひとつ倒れていた。カウンターを出て値札を起こす。

 外から悲鳴が聞こえた。

 驚きに手が止まる。

 更に大きな悲鳴が上がる。

 レノは恐る恐る店から顔だけ出し、辺りを見回した。

 道行く人々が立ち止まり、南を見て反対方向に駆けだす。

 湖の民は【跳躍】でどこかへ跳ぶ者や、流れに逆らって南へ走る者も居た。


 レノの濃い茶髪が風に煽られる。


 ……焦げ臭い……?


 ガソリンの臭いもする。

 「交通事故?」

 南から人が逃げて来る。その背後には、黒煙が上がっていた。それが、どんどん近付いてくる。

 腹に響く爆発音。

 窓ガラスがビリビリ震えた。

 「何だ何だ?」

 二階の窓が開き、両親が身を乗り出して外を見る。

 黒煙。悲鳴。爆発音。振動。怒号。


 レノは、通りを逃げる群に作業着姿の幼馴染を見つけた。

 「おいッ! クルィーロ! 何があったんだッ?」

 パン屋のレノが叫ぶと、工員クルィーロは駆け寄って叫んだ。

 「テロだ! 早くッ!」

 「テロ? 火事じゃなくて?」

 「爆弾と! 火焔瓶と! 逃げろッ! 銃ッ! テロッ!」

 恐怖で思考が回らないらしく、ひとつ年上のクルィーロ青年は、辛うじて単語を並べるだけで、要領を得ない。

 「いいから早くッ!」

 「あッ! ちょっとッ? 父さんッ! 母さんッ!」

 青いツナギ姿の幼馴染に腕を引っ張られ、通りに転がり出た。


 自宅兼店舗を見上げる。

 窓は無人。両親は階段を駆け下り、店内にいた。

 母が布袋にレジの金を回収し、父は売り物のパンをトレーから一気に、廃棄用の大きなビニール袋へ移していた。

 レノはクルィーロに手首を掴まれ、半ば引きずられるように走りだす。

 「父さんッ! 母さんッ!」

 「すぐに行く! 鉄鋼公園で待ってろ!」

 父に怒鳴り返され、前を向いて走る。

 視界の端で、母が店を飛び出す姿を捉えた。


 南北に走る四車線道路は、北へ逃げる車が信号無視してスピードを上げる。反対車線も、標識に逆らって北へ逃げる車列が埋めていた。

 鉄鋼公園も、妹たちが通う小中学校も、車道の西……坂の上にある。


 パトカーや消防車のサイレンが近付いてきた。

 坂を上る西方向の道路も、車列と逃げ惑う人で埋まる。緊急車両は避難の車が邪魔で、現場に近付けないらしい。サイレンが、近付いては遠ざかる。

 レノとクルィーロは、歩道を走る人混みに呑まれ、パン屋の夫婦を完全に見失った。


 街区の東はラキュス湖。

 湖の民ならともかく、力なき陸の民は、そちらへ逃げたが最後、魔物の餌になってしまう。

 船に湖の民が同乗していれば、魔物を追い払ってくれるだろうが、この状況で、どれだけ魔法の使えない足手纏いを助けてもらえるのか。


 湖の(ほとり)で乗船を断られれば、もう逃げ場はない。

 それなら、自分の足で逃げた方がまだ望みがあった。だが、北へ向かう車列は途切れず、徒歩では西へ渡れない。

 住民は力の限り、北へ走るしかなかった。


 爆発音に悲鳴が上がる。

 風向きが変わった。黒煙に巻かれ、人々が激しく咳込む。

 建物から人が溢れ、北へ行くに従って歩道の混雑が増す。身動きできない人混みの中、人々は必死に北へ向かった。

 レノはいつの間にか、クルィーロともはぐれていた。両親は勿論(もちろん)、見えない。


 動きが鈍った群衆の中で周囲を見回す。見知った顔はひとつもなかった。

 車道の標識を見る。坂を上る東西道の案内板で、隣のジェリェーゾ区まで流されたと知った。


 ゼルノー市立中央市民病院には、パンの配達に行ったことがある。その手前の鉄鋼公園は、家族みんながよく知っていた。

 西へ渡りたいが、車列が途切れず、徒歩の流れは北への一方通行のままだ。

 背後から聞こえる悲鳴が、次第に大きくなる。

 身動きもままならなくなった群衆の中、レノは東へ目を向けた。


 挿絵(By みてみん)

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野茨の環シリーズ 設定資料
シリーズ共通設定の用語解説から「すべて ひとしい ひとつの花」関連の部分を抜粋。
用語解説01.基本☆人種など、この世界の基本
用語解説02.魔物魔物の種類など
用語解説05.魔法☆この世界での魔法の仕組みなど
用語解説06.組合魔法使いの互助組織の説明
用語解説07.学派【思考する梟】など、術の系統の説明
用語解説15.呪歌魔法の歌の仕組みなど
用語解説11.呪符呪符の説明など
用語解説10.薬品魔法薬の説明など
用語解説08.道具道具の説明など
用語解説09.武具武具の説明など
用語解説12.地方 ラキュス湖☆ラキュス湖周辺の地理など
用語解説13.地方 ラキュス湖南 印暦2191年☆「すべて ひとしい ひとつの花」時代の地図と説明
用語解説19.地方 ラキュス湖南 都市☆「すべて ひとしい ひとつの花」時代の都市と説明
地名の確認はここが便利
用語解説14.地方 ラキュス湖南 地理☆湖南地方の宗教や科学技術など
用語解説18.国々 アルトン・ガザ大陸☆アルトン・ガザ大陸の歴史など
用語解説20.宗教 フラクシヌス教ラキュス湖地方の土着宗教の説明。
用語解説21.宗教 キルクルス教世界中で信仰されるキルクルス教の説明。
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