2045.呪歌を生配信
クアエシートル記者のタブレット端末には、【炉】の炎に焼かれる魔獣の死骸だけが映る。コメント欄では、魔法使いの定義について、議論が始まった。
「日輪の小さき欠片 舞い降りよ 輪の内に 灯熱 火よ熾きよ」
ロークは魔力切れ【水晶】を作業服のポケットに片付け、力ある言葉を唱えた。
「これが、火を点けた【炉】の呪文です」
呪文を共通語訳して繰り返すと、コメント欄が「もう一回言って」で埋め尽くされる。
バルバツム人のクアエシートル記者は、端末に向かって叫んだ。
「アーカイブで残します!」
記者を称える言葉や喜びの絵文字がコメント欄に溢れ、ロークは感心した。
……反応早いなぁ。
「何か他のも……あ! 治療できるって言ったよね? それも魔法で?」
クアエシートル記者が左手を上げ、動画のフレームに入れた。絆創膏を貼った小指を中心に映す。
「三日前、ホテルのドアで挟んで爪割れちゃったんだけど、治せる?」
「治療の報酬を払えば、可能です」
「幾らだい?」
「二人分の保存食を三日分」
「安いな。よし。商談成立だ。銀行が開いたら両替して、朝食を食べに行って、それからスーパーマーケットだ。ちょっと端末持って、小指を映してくれる?」
ロークが撮影を代わると、クアエシートル記者は慎重に絆創膏を剥がした。
――ヒェッ! 怖ッ!
――グロいモン見せンな!
――俺、ダメージ爪ダメなんだよ。痛爪ぇ。
――見てるこっちまで痛い気になる。
――早く治したげて!
ユアキャストの生配信に共通語の勝手なコメントや絵文字が流れる。
クアエシートル記者は、剥がした絆創膏を上着のポケットに突っ込み、ロークに持たせた端末を受取った。爪が割れた左手の小指を映し、ロークに向き直る。
「魔法の治療って、どうするんだ?」
「色々あります。俺は素人です。この程度の軽い怪我しか治せません。魔法は、【青き片翼】学派の呪歌【癒しの風】です」
ロークが共通語で答えると、クアエシートル記者は慌てた。
「待って、待ってくれ。情報量が多い。ひとつずつ整理させてくれ」
「どうぞ」
「まず、魔法による治療方法は、何種類もあるってコト?」
「はい。説明が長くなります。電池は充分ですか?」
「おっと……」
記者はポケットに手を突っ込み、充電器を引っ張り出して繋いだ。ポケットの中で割れた爪が引っ掛かりでもしたのか、新たな出血が始まった。
「先に癒しましょう」
ロークが共通語で告げると、記者は充電器がぶら下がる端末を小指に向けた。
「今から使う魔法は、【青き片翼】学派の呪歌【癒しの風】です。肉声と魔力が届く範囲に居るこの世の生き物が対象です。体の表面付近の軽い怪我や、浅い火傷を癒します」
共通語で説明し、【魔力の水晶】を握って力ある言葉で謳った。
アルブム市立工業高校の校庭に場違いな歌が響く。土魚に囲まれ、四眼狼の死骸が【炉】で燃える傍らで、作業服姿の青年の口から、のんきな童歌のような旋律が飛び出す。
校門の外で待機するバルバツム連邦陸軍兵たちが失笑した。
ロークたちと共に校舎前に立つアーテル陸軍対魔獣特殊作戦群の隊員たちは、真剣な表情で呪歌に耳を傾ける。
バルバツム連邦から来た記者の表情が変わる。
「みんな、見えるかな? 俺の爪、割れたとこ、傷が埋まってく感覚。これ、動画じゃ伝わらないけど、小指があったかい。なんか、やさしい風が身体の中を吹いてくみたいな。上手く言えないけど、ずっとこの風に身を任せていたい。すっごいイイ風」
共通語で実況するが、感覚を伝える言葉がみつからないらしく、何度も同じ言葉を繰り返す。
バルバツム兵から笑いが消え、真剣な顔で記者を見た。
「あッ! 爪、今、見えた? 再生した爪の上に乗りあげてたとこ、割れた古い爪、取れたの。見た? 痛くない。ちっとも痛くない。なにこれスゴい! 魔法! これで素人だって? 嘘だろ?」
クアエシートル記者が驚きと喜びの溢れる笑顔をロークに向ける。
ロークは呪歌を最後まで謳い、共通語で答えた。
「一回で治ってよかったです」
「一回で治らなかったら、どうするんだ?」
「もう一度、謳います」
「魔法の歌を繰り返せば、効果が強くなるってコト?」
予想外の角度から質問され、ロークは面食らったが、表情を変えずに答える。
「いいえ。続きを治します。効果は同じです。何度繰り返しても、範囲外の深い傷……骨や内臓、重度の火傷は治りません」
「そうか。有難う。君のお陰で俺の爪はすっかり元通りだ。科学の医療じゃ有り得ない。驚異的な回復速度だ!」
記者が小指の爪を画面いっぱいに映す。
――スゲぇ。
――トリックだろ? 騙されんな。
――いやいやいやいやマジで?
――魔法の歌覚えたら、ボロ儲けじゃね?
――俺の足の小指も治して欲しい。箪笥の角でぶつけた。
ロークは記者の足下から爪の欠片を拾った。
「これも土魚の餌になります。回収して下さい」
「えッ? あッ、爪! すまない」
クアエシートル記者は瘡蓋付きの爪を上着のポケットに入れた。
「ところで、その歌を覚えられたら、世界中の人が助かるんだけど、楽譜とか手に入らないかな?」
「本土の書店にはありません」
「何で? 便利なのに……戦争のせい?」
「宗教上の禁忌です。キルクルス教は魔術を悪しき業と定義し、断罪します」
この場に居合わせたキルクルス教徒たちの顔から血の気が引いた。
「バルバツム連邦は知りません。しかし、このラキュス湖周辺地域は、魔物や魔獣がたくさん居ます。魔法がなければ生きてゆけません」
「でも、三十年くらい前、アーテル共和国は、キルクルス教徒だけで独立したよな?」
クアエシートル記者が、アーテル兵にタブレット端末を向ける。三人はカメラに向かって、硬い表情で頷いた。
「以前から、本土のキルクルス教徒は、密かにランテルナ島の魔法使い、俺たちのような駆除屋に頼っていました。『冒険者カクタケア』の設定や話の筋は、アーテル共和国ではありふれたコトです」
――え? あのラノベ、マジなの?
――は? ラノベ?
――共通語版あるよ。電書。
――あ、ホントだ。セールしてる。
――何これ? ステマ?
ロークが付け加えた一言で、コメント欄が騒然となる。
クアエシートル記者は構わず話を戻し、魔術による治療の種類について幾つも質問した。
ロークは医療系の学派をひとつずつ解説し、治療法の種類は、術、魔法薬、呪歌があると締め括る。
「呪医はとても少ないのです」
「えっ? なんで?」
「医療系の術は、術者の身体的な条件が難しいのです」
「規制緩和しないの? 何で?」
「例えば、失った指を再生させる術は身体欠損の経験者だけです。呪文を正確に唱えて魔力が充分あっても、未経験者では発動しません」
「人間の政府が規制してるんじゃなくて、術そのものが、そう言う人じゃないとダメってコト?」
「そうです。生まれつきの条件や、一度失えば二度と取り戻せない条件など、術によって個別に難しい条件があります」
バルバツム人たちは息を呑み、口を閉ざした。
☆【青き片翼】学派の呪歌【癒しの風】……呪文「348.詩の募集開始」説明「349.呪歌癒しの風」参照
☆傷が埋まってく感覚/やさしい風が身体の中を吹いて……「872.流れを感じる」参照
☆共通語版あるよ。電書……三巻まで翻訳済み「1483.出版社に依頼」→「1667.駆け足の翻訳」→「1860.金糸雀の呪歌」「1807.後任の補佐官」参照
☆術者の身体的な条件/失った指を再生させる術は身体欠損の経験者だけ……「632.ベッドは一台」「717.傲慢と身勝手」参照




