2041.ふたつの交渉
「その腕時計でもいいですよ」
「えっ? これ? これはまぁ、時計機能もあるけど、俺の体調とか個人情報も入ってるから、あげられないな」
ロークは、バルバツム人記者クアエシートルが語った理由を湖南語に訳した。クラウストラは、湖南語が全くわからないフリで応じる。
「情報でもいいって言ってますけど」
「情報? バルバツムのコトとか?」
ロークが共通語に訳すと、記者は作業服姿の二人を交互に見て聞いた。
「バルバツム軍が魔獣と戦う場所とか」
「えッ? ……それを知って、どうするんだ?」
記者が警戒の目を向ける。
「バルバツム軍でも一応、土魚は倒せるけど、死骸をきっちり燃やさないから共食いでどんどん強くなってるって聞いて、そっち行けば、こんな雑魚じゃなくて、大物を狩れそうって」
「二人ともそんな強いんだ?」
記者が恐る恐る聞く。
「魔法使いの強さや年齢は、外見じゃわかりませんよ。俺は違いますけど、長命人種が居ますからね」
「ちょうめいじんしゅ?」
「この辺のコト、調べないで来たんですか? 命知らずだなぁ」
ロークが呆れてみせると、クアエシートル記者は困った顔で頭を掻いた。
「急に言われて時間なくて。衛星移動体通信のシステムを調達するだけで、精一杯だったんだ。食事を奢るから、この辺のコト、詳しく教えてくれないか?」
記者が背負う荷物は、通信機器らしい。
ロークが訳すと、クラウストラは頷いた。
「まず、お店が開いたら、そこで朝ごはん食べながら説明しますね」
「文字通り、あのくらいの魔獣やっつけるの、朝飯前なんだな。わかった。君たちからの情報には、食事か食料品。俺からの情報には、魔獣を倒すとこを取材させてもらうってコトで契約……いいかな?」
クアエシートル記者は、ポケットからタブレット端末を出してつついた。
「君たち、名前は?」
「教えられません」
「えっ? そりゃないよ」
「理由は、朝ごはん食べながら説明します」
「……わかった。銀行が開くまで両替できないから、それまで君たちが魔獣やっつけるとこ、先に取材させてもらっていいかな?」
ロークが湖南語に訳すのを待って、クラウストラが了承する。
「今日、あなたが予定している取材先へ行って、その近くで朝ごはん……って言うか、着いてすぐ両替しなかったんですか?」
「したよ。でも、一日の限度額がこんな安いなんて知らなかったから、毎日、銀行通いだ。手数料で頭痛いよ。ネット繋がらないからってクレジットカードも使えないし」
クアエシートル記者は、早口で愚痴を吐きながら東へ歩く。
ロークが事前に確認した地図では、ホテルの東側には教会と工業高校、公民館などがある。
十五分ばかり道なりに進むと、道路にバリケードが築かれ、アルブム市警の車両が道路封鎖するのが見えた。
クアエシートル記者は構わず直進する。
「この先、アルブム市立工業高校で魔獣駆除作戦が行われます。大変危険ですので、規制区域内には立入らないよう、ご協力お願いします」
ワゴン車の屋根に設けられた見張り台から、マイクで呼掛けられる。
クアエシートル記者は、首から提げた記者証を掲げて、手を振った。
マイクを握った警察官が、湖南語で同じ警告を繰り返す。
三人がバリケードの二十メートル手前まで近付くと、警察官が五人駆け寄った。
「この先、軍の魔獣駆除作戦があるので、危険です」
「一般人は立入禁止です」
「忘れ物を取りに行くのは作戦終了後にお願いします」
湖南語の警告を意に介さず、クアエシートル記者は共通語で言った。
「俺はバルバツム連邦から来た記者です。軍の取材許可はあるので、通して下さい」
ロークが湖南語に訳して記者証を指差す。
警察官たちは記者証の表裏を確認し、作業服姿の二人に視線を移した。
「君たちは?」
「私たちはランテルナ島の魔獣駆除業者。少なくとも、あなたたちより強いよ」
クラウストラが不敵な笑みを浮かべると、警察官五人は一斉に道を譲り、一人がバリケード前の者に合図した。
バリケードの一部が開かれ、警察官の一人が片言の共通語で言う。
「キシャ気をツけて」
「有難う。あなた方にも聖者様のご加護がありますように」
クアエシートル記者は片手を挙げて応じ、バリケードの奥へ向かった。
校門前の道路には、アーテル陸軍の輸送車と通信車、作戦指揮車が展開し、アーテル陸軍対魔獣特殊作戦群の兵士三名、バルバツム陸軍の記章を着けた兵士が二十二名、整列するのが見えた。
記者が片手を小さく挙げて会釈し、一眼レフカメラを構える。
現場指揮官らしきバルバツム兵が鷹揚に頷き、兵士たちの前に立った。
「本日の作戦は、校庭に出現した土魚の掃討及び、小型無人機で確認した校舎内に巣食う鱗蜘蛛の駆除。我々の任務は、アーテル陸軍対魔獣特殊作戦群の隊員三名の掩護だ。光ノ剣を携えた彼らの為に突破口を開け」
「了解!」
クアエシートル記者は、首から提げたICレコーダで録音し、何度もシャッターを切る。
バルバツム連邦陸軍の兵が十一人ずつの小隊に分かれ、輸送トラックから土嚢を降ろした。校庭に向けて機関銃を設置する。
「おはようございまーす。駆除屋でーす」
「今、鱗蜘蛛が出るって聞こえたんですけど、狩らせてもらっていいですか?」
クラウストラが湖南語で挨拶し、ロークが共通語で用件を告げた。
バルバツム軍の現場指揮官が、アーテル兵に目配せする。
特殊部隊のアーテル兵が一人、近付いて聞いた。
「傭兵として雇えと言うコトか?」
「雇ってくれたら、土魚とかの死骸を焼却します。そうでないなら、勝手に入って狩りますから、撃たないで下さい。記者さんが私たちの取材もするんで」
アーテル兵が、クラウストラの湖南語を流暢な共通語に訳す。
ロークは、リュックサックからロープと【簡易結界】の呪符を取り出した。
「クアエシートルさん、これ、ベルトに通して下さい。腰のとこ二カ所だけでいいんですけど」
「何するんだ?」
「雑妖や弱い魔獣とかを防ぐ【簡易結界】を張ります。土魚より強いのは防げませんけど、校庭だけなら安全ですよ」
バルバツム人記者は指示に従い、ロークはロープの両端を結んで自分も輪の中に入った。




