2039.生きてゆく縁
アーテル共和国生まれの無自覚な力ある民は、魔力の発覚後、大半が路線バスで南ヴィエートフィ大橋を渡る。
だが、最近はあまりにも急激にランテルナ島への移住者が増加。身ひとつで渡った者の窃盗などで、治安が悪化しつつあった。
一部はランテルナ島に留まらず、運び屋フィアールカらの手で、ラクリマリス王国領へ流出する。
ロークは、フィアールカの報告書で非公式会合の内容を知り、積極的に声を掛けるようになった。
無自覚な力ある民は追放同然でランテルナ島へ渡り、多くがホームレスになる。突然の事態で途方に暮れ、残飯や、パン屋が一般ゴミと分けて出すパンの耳などを食べて暮らした。
八月初旬、盛夏の太陽は、情け容赦なく地上を炙る。
地下街チェルノクニージニクに降りれば、様々な術で守られ、涼しく安全だ。だが、キルクルス教の「魔術は悪しき業である」との教えが染みついた者の多くは、酷暑のカルダフストヴォー市に留まる。
地上の街にも【魔除け】の敷石など、魔法が組込まれた物が無数にあるが、太陽と星が見える場所の方が落ち着くらしい。
「ちょっとした仕事があるんですけど、どうですか?」
ロークは、汗と皮脂の饐えた臭いに気付かないフリで、街路樹の下に蹲る男に声を掛けた。
無精髭に覆われた顔は垢染み、乾いた汗が白い筋を描く。
瞼が上がり、目だけを動かしてロークを見上げた。薄汚れた肌の中で、充血した眼球の白がやけに目出つ。
「防壁の外で、薬草や、お茶にする香草を摘む作業なんですけど」
呪符屋の仕事はシフトが休みだ。
午前中はフィアールカに頼まれた件を片付け、今は午後二時。力なき民が屋外で活動するには厳しい時間帯だが、魔物や魔獣の活動は鈍り、雑妖は強い陽射しの下では消滅する。
男の表情は動かない。だが、唇は動いた。
「報酬は?」
「採れた素材次第ですけど、道中の飲み物は出します」
「何で……俺なんだ?」
「このままじゃよくないからですよ」
男は無言でロークを見上げる。汚れた服の影から雑妖が滲み出ては消える。街路樹を囲む敷石の【魔除け】を発動させるのは、この男の魔力だ。
「このクソ暑い中、出てったら死んじまう」
「そうならないように飲み物を渡すんです」
「タダでか?」
「仕事の斡旋ですよ。ヤル気ありそうな人だけに声を掛けてます」
同様の会話をもう何度繰返したか。確認するのも面倒だ。
この男に限らず、ホームレスとなった本土出身者は、自警団の監視下にある。死ねば即座に遺体を灰にし、魔物や魔獣の発生を防ぐ手筈だが、夜間に市内で絶命されると厄介だ。
窃盗などの悪事を働いた者は、すぐ始末されて居なくなる。
そうでない者は、地上と地下両方の商店会と自警団が、さりげなく守った。
「陽射しがキツい時間帯の方が、魔物が少なくて安全です。暑さ対策ができればですけど」
「対策も何も」
男は春物のコートを頭から被って木漏れ日を防ぐ。脱いだ背広を腰に巻き、緩めたネクタイの下にあるYシャツは、汗で貼り付いて酷い悪臭を放つ。
「今日は防壁の影沿いを回って、あなたが一人で行く時は、朝早くに行けば、何とかなりそうですけどね。それと、こんな感じの帽子を自分で作ってみるとか」
男は街路樹の幹に手をついて立ち上がった。
体臭が鼻を突く。ロークは嘔吐きそうになるのを堪え、防壁の東門へ向かった。
「どこへ行くんだ?」
「外です」
「外? 魔獣が出るのにか?」
声がやや遠くなる。ロークは構わず進んだ。
風に乗って饐えた臭いがついてくる。
防壁の東門を出ると、西門側より破損が酷い廃港には、炎天下でも釣り糸を垂らす者が何人も居た。
「何してんだ? あいつら?」
本土出身者は、ほぼ全員が同じ反応を示す。ロークは、何度も繰返した説明と注意をこの男にも与え、防壁沿いを北へ歩いた。
バス道の東側、ちょっとした雑木林で人影が動く。
「あいつら、あんなとこで何を?」
「あなたと同じです。キルクルス教の信仰を捨てて、魔法使いとして生きる決心がついたから、【魔除け】の術で身を守りながら薬草とかを採って売って暮らしてます」
「信仰を……教えを……捨てる」
彼らは、キルクルス教の教義に基づき「穢れた者」としてアーテル社会から排除された。それでもまだ、信仰にしがみつく者の気持ちは、ロークには全く理解できない。
肩掛け鞄からペットボトルを一本出して立ち止まる。
「これ、約束の飲み物です」
濃く煮出して塩を少し入れたオルヅォだ。
「有難う」
男は駆け寄って受取った。早速、開封して喉を潤す。
ローク自身は、メドヴェージが編んだ蔓草細工に【耐暑】のリボンを巻き、【魔力の水晶】を付けた帽子を被る。魔力が尽きるまでは、この暑さでも平気だ。
三十分ばかり、防壁沿いに進むと、傷薬になる薬草がみつかった。
同定のコツと虫綿の説明をして、ビニール袋を二枚渡す。男はロークの指示をよく守り、黙々と薬草を摘んで、虫綿を採った。時折、オルヅォを含む以外、口を開かない。
ロークはやや離れた所で蔓草を採る。
ラキュス湖を渡る風は涼しく、防壁の影から出なければ、石畳の照り返しがキツい市内より過ごしやすい。
少しずつ北へ進み、一時間余りで薬草の袋がいっぱいになった。
「そろそろ帰りましょう。遅くなると魔獣が出ます」
「そうか」
男は手の甲で汗を拭って立ち上がった。
ロークは鞄から布袋を出して渡す。地下街チェルノクニージニクの雑貨屋でおまけにもらったが、パン屋の姉妹が作ってファーキルが売りに行ったものだ。
何時間も掛けて頑張って作っても、何の魔法もない単なる布袋は、ここではほぼ無価値なのだと思い知らされた。
男が、空のペットボトルと薬草を布袋に入れる。
「じゃ、売りに行きましょう」
ロークは、もう一本のオルヅォと、蔓草細工の説明書を渡して歩き出した。
道々【操水】の術と魔法使いの入浴と洗濯について語る。男は返事をしなかったが、ロークは防壁の門に着くまで話し続けた。
「汚ねぇカッコで街へ入ンな!」
門番の一人がロークの連れを止め、もう一人が【操水】で丸洗いする。
「合格だ」
「礼はいらねぇ。さっさと行け」
「合格……?」
洗われた男が呆気にとられた顔で聞く。
ロークは男の手首を掴んで先を急いだ。
「あなたがこの街に来てからずっと、泥棒とか悪いコトしないで真っ当な手段で稼ぐようになるか、見られてたんですよ。自警団に」
「見張られてたのか」
愕然とした囁きに振り返らず、手首を握る手に力を籠めた。
「見守られてたんです。魔物に取り込まれないように」
何カ月振りかで垢の落ちた男は、無言でロークに続いて階段を下りる。
「今日、この街で生きてゆく縁ができました。合格ってそう言うコトです」
ロークは、顔馴染みの素材屋に本土出身の男を紹介した。
☆治安が悪化……「1796.生存の選択肢」参照
☆非公式会合の内容……「1990.逃げ果せた者」~「1992.無反応を貫く」参照
☆自警団の監視下……「1900.情報と引換え」参照
☆パン屋の姉妹が作ってファーキルが売りに行ったもの……「448.サイトの構築」参照




