2038.冷却の難しさ
アミエーラとジェルヌィは、防壁の閉門時間ギリギリで夏の都に帰った。
マリャーナの屋敷に着いた途端、緊張が解け、疲れがどっと押し寄せる。
アルキオーネとオラトリックスの組も、ほぼ同時に着いた。今からではリャビーナ市には帰れない。オラトリックスは急遽、泊めてもらうことになった。
「こっちは一応、全部回れましたけど、そっちはどうでした?」
「第七区画に魔獣が出て、それどころじゃなかったから、診療所は明後日以降、他にも色々頼まれ事されて、残り四区画はまた明日よ」
アルキオーネが溜息交じりに言う。
オラトリックスは、ジェルヌィよりたくさん【魔力の水晶】を持って行ったが、喋る元気もなさそうだ。
食堂に入ると、ファーキルたちの他、薬師アウェッラーナの姿もあった。
すぐ、使用人が四人分の料理を運んでくれる。
「お昼過ぎにジョールチさんとラゾールニクさんが来て、放送は上手くいったから、泊まり込みで一週間、魔法薬作りに集中して欲しいって言われたんです」
「難民キャンプの方々も、その方が助かりますし」
薬師アウェッラーナが、小さくなって説明する。家主のマリャーナは、気にするなと言いたげに付け加えた。
食事を進めながら、情報交換する。
「要冷蔵の科学のお薬を【保冷布】で? ちょっと危ないですね」
「えっ? どうして?」
アミエーラより先にアルキオーネが疑問を口にした。
薬師アウェッラーナは、食べ終えた皿にフォークを置いて答える。
「あれ自体には、冷やす力がないからです」
何度も出し入れすれば、取扱者の体温や室温に触れて、温度は上がる一方だ。薬品が劣化して効果が落ちるだけでも良くないが、劣化が酷ければ、最悪の場合、患者の体質や病状によっては命に関わる。
「だから、ちゃんと冷却できる物があった方がいいです」
薬師が締め括ると、マリャーナが遠い目をして言った。
「魔力を動力とする発電機は、開発から日が浅く、製造できる職人が少ない上にネモラリス共和国で需要が急増して、現在も品薄です」
「経済制裁で買えなくなりましたけど、余りませんか?」
総合商社役員のマリャーナは、ファーキルの質問に首を振った。
「この辺りでは、大抵のコトは魔法でできますから、力なき民向けの製品なのです。電力供給が安定した場所なら、わざわざ維持費が高くつく魔力発電機を使う人は居ません」
「えぇ? じゃあ、何の為にあるのよ?」
アルキオーネが困惑する。
「災害時などの停電に備える非常用電源です。納入先は、病院や役所などが中心です」
マリャーナが即答すると、食卓に納得の空気が満ちた。
「でも、太陽光発電は、夜や天気悪い日ってムリでしょ?」
タイゲタが茶器を手にして一同を見回す。
空いた皿を下げられ、ファーキルがタブレット端末を出した。
「職人さんに【炉盤】の逆で、冷やすの作れないか、聞いてみました」
「なんて?」
アルキオーネが前のめりに聞いたが、ファーキルは浮かない顔だ。
「加熱より冷却の方が魔力がたくさん必要で、【水晶】でやるなら、ずっと魔力を充填し続ける係の人が居なくちゃムリって言われました」
「あぁ、俺らも、【操水】でお湯沸かすより、氷作る方がキツいもんな」
ジェルヌィが何度も頷く。
アミエーラは、呪文を教わったばかりで、まだ使えず、何とも言えなかった。
「でも、冷蔵庫なかったら、食中毒とかヤバくないですか?」
エレクトラが、食べ終えた皿を使用人に渡しながら言う。使用人は難しい顔で、呪医セプテントリオーを見た。
「現在は保存食が中心なので、今のところ、傷んだ食材による食中毒の発生件数はそれ程多くありません。保存食を調理しても、不足する日の方が多く、食べ残しが出ませんし、畑の収穫も腐る程ありません」
呪医が疲れた声で言うと、使用人は表情を和らげ、食器の回収を再開した。
「ただ、鹿や猪などを生焼けで食べて……えー、まぁ、治療を要する症例が散見されますので、その方面の啓発がもっと必要です」
呪医セプテントリオーは言葉を濁したが、アミエーラは、ランテルナ島で猪肉のバーベキューを食べた日のことを思い出し、食事の手が止まった。
ジェルヌィが、使い捨ての【保存】容器と、病人食の下拵えの件で、話題を変える。
「あー、そっか。朝ごはんの時間、ボランティアの人、まだ着いてないから」
「今はまだいいのですが、冬になると防壁の門限が早まりますので、夕飯の支度も厳しいそうです」
ファーキルが頭を抱え、呪医が更に困った顔で付け足した。
難民キャンプの診療所は、どこも限界近い。
一週間の研修でほんの少し身体を休めたところで、焼け石に水だ。
使用人が、食べ終えた席に香草茶のお代わりを注いで回る。
「あ、薬罐」
アウェッラーナが声を上げ、みんなの視線が集まる。
「デレヴィーナ市の商工組合が、アルミ缶やスチール缶と、魔獣や野生動物の皮をくれたら、薬罐を作ってくれるそうです」
「薬罐? どうしてですか?」
サロートカが首を傾げる。
「消毒しやすくて、飲み物をたくさん運べて、畑のテントに置けるからです」
「あっ!」
「しかし、どうやって取引するのだね?」
介護食を食べ終え、ラクエウス議員が首を捻る。
「ネモラリス人同士ですし、どこか合流できる場所で直接……なのか、まだ、そこまでは確認できていないそうですけど、初回は在庫の薬罐を三十五個用意できるそうで、二回目以降は、その時に交換した空缶と手間賃の皮次第だそうです」
薬師アウェッラーナの説明に亡命議員たちが頷く。
「では、明日、各区画に皮の有無と空缶の残数を確認しましょう」
「こちらからは【軽量】の袋で運んで、デレヴィーナ市の方には【無尽袋】に詰めて持ち帰っていただいて、【軽量】の袋は回収すれば、一度にたくさん運べますわね」
「夏の都の西門までなら、来られる人がそれなりに居そうですね」
アサコール党首とモルコーヴ議員がいい、ファーキルがタブレット端末をつついてどこかへ連絡した。
☆魔力を動力とする発電機……「1660.教育用の品々」参照
☆【炉盤】の逆……「2029.吐露する苦境」参照
☆傷んだ食材による食中毒の発生件数はそれ程多くありません……他のは多い「1586.呪医の苛立ち」参照
☆治療を要する症例……「1975.飲酒の危険性」参照
☆ランテルナ島で猪肉のバーベキューを食べた日……「0320.バーベキュー」参照
☆一週間の研修……「1968.医療者の研修」参照
☆薬罐/畑のテントに置ける……「2031.避難民の生活」「2032.暑さを伝える」参照




