2035.暴かれた犯罪
ソファに浅く腰掛けたイーニー大使が、膝に肘をついて頭を抱えた。
「常任理事国の五カ国中、三カ国からは回答がありませんでした。アルポフィルム連邦は、ポジティブリストの作成には、やや前向きな反応だったそうですが、公表の可否は、他の常任理事国と協議の上で決定すると」
ラクエウス議員は、胃が痛んだ。
「発表しないと言われたも同然ではありませんか」
「バルバツム連邦は、門前払いで話も聞いてもらえなかったそうです」
イーニー大使が、床を見詰めて大きな息を吐く。
輸出入可能な物品の一覧がなければ、外国企業はネモラリス共和国の企業や個人と安心して取引できない。
ラキュス湖で漁ができる為、今のところ、大規模な飢餓の発生はないが、人は魚だけで生きられるものではない。この先、栄養失調でどれ程の病人が出るか、知れたものではなかった。
「まぁ、貿易が止まったので、国内製造の【無尽袋】が、個人でも買える程度まで値下がりしましたからね。王都の神殿へお参りして、市場で乾物や缶詰などをまとめ買いして帰る人が増えているそうですよ」
「ふむ。それである程度は凌げそうですな」
「但し、【無尽袋】には生き物を入れられません。蒔けば芽が出る種子が入った野菜や果物などは、なかなか」
「栄養が偏ってしまいますな」
「嵩は減りませんが、【軽量】の袋なら、生野菜も入れられますので、まぁ多少はなんとか」
何もないよりマシだが、足りるワケではない。
「ネーニア島北部のサカリーハ市周辺では、営農が再開されたそうです。次の春頃には、もう少しマシになるとは思います」
「それはひとつ、朗報ですな」
ノックの音でイーニー大使が顔を上げた。
「ご来客中、恐れ入ります。取急ぎ、イーニー大使にお伝えしたいのですが」
秘書官の声だ。
ラクエウス議員が目顔で促すと、イーニー大使は一言断って離席した。
……ミサイルの射程が不明では、難民の帰還を促しても難しかろう。
少なくとも、北ザカート市には届くのだ。
ネーニア島北部のサカリーハ市はともかく、中部や西部の都市や農村で防壁を復旧させても、一撃で叩き潰される懸念は拭えない。
バルバツム連邦陸軍がアーテル共和国入りした。魔獣討伐の為と称し、ネモラリス領を遠隔攻撃できる武器を持ち込んだ可能性もある。
……やはり、儂が教団を通じて、アーテル政府に和平交渉を呼掛けねばならんようだな。
だが、開戦の口実に使われたリストヴァー自治区の人権状況の改善が進み、レーチカ臨時政府が再三再四、報道発表しても、アーテル政府は全く反応しなかった。
何らかの方法で魔哮砲を処分しない限り、和平交渉の端緒すら掴めないだろう。
十五分ばかりして、イーニー大使が応接室に戻ったが、顔色が悪い。術で香草茶を再加熱し、芳香を深呼吸して切出した。
「先日、アサコール党首が難民キャンプで窃盗犯を捕え、セルジャント駐在武官がここに連行しました」
「その人物の犯行で、間違いなかったのかね?」
「はい。大使館には、旅券の再発行用に【鵠しき燭台】と【明かし水鏡】がありますから、それで調査しましたところ、常習窃盗が判明しました」
窃盗の常習犯は男だ。家族や友人、知人などは居ない。
昨年三月、難民キャンプ第二十一区画の東端にある丸木小屋に単身で入居した。
入居当初から、その小屋や周辺の小屋で生理用品が不足する。女性たちは訝りながらも、日々の暮らしに追われ、また、他の物資の不足も深刻な為、特に何も言わなかった。
しばらくして、女性の下着がなくなり始めた。
洗濯は、ボランティアが入浴も兼ね、【操水】でしてくれる。干す間に風で飛ばされたなど、偶発的な事故による紛失はあり得ない。
当時はまだ、段ボールの間仕切りしかなく、自警団が見回りを増やすようになったが、犯人は捕まらなかった。
二段ベッドが次第に行き渡り、個人の空間がある程度確保されてからも、女性の私物を中心に物がいつの間にかなくなる。巡回に来る保健師や理学療法士、ボランティアらを疑う者も出始めた。
丸木小屋の入居者名簿が作成され、生理用品が女性の人数分きっちり割り当てられるようになってからも、特定の小屋では不足が生じる。
複数の区画を巡回する保健師の証言と住民の協力、自警団の張り込みでようやく犯行現場を押えられた。
男が住む小屋は、第二十一区画の東端にあり、第二十二、二十三区画にも近い。他区画の小屋へ出向き、盗品を食料品と交換、あるいは少女らの歓心を買う為に譲渡した。
「セルジャント駐在武官は、森で発見した衣服の切れ端なども、持ち帰って【鵠しき燭台】に掛け、所有者の安否を確認するのですが」
最近回収した衣服の切れ端のひとつは、所有者が大木の枝で首を吊った後、遺体が魔獣に捕食されたものだった。
自ら死を選んだ理由は、件の常習窃盗犯に乱暴されたことだ。犯人と被害者の丸木小屋は、やや離れた所にある。盗みに入った際、女性は病気でたった一人、小屋で臥せっていた。その後すぐ行方不明になり、同じ小屋の者たちが捜したが、みつからなかった人物だ。
「難民キャンプの事件をどこの法律で裁くか、判断が分かれるところですが、私はひとまず、レーチカに強制送還することにしました」
「どう言うコトだね?」
「犯行現場はアミトスチグマ領ですが、難民キャンプの開拓までは人の居住地ではなく、警察も裁判所も司法機関が何ひとつありません。現在の住民はネモラリス難民ばかりです」
普通なら、アミトスチグマ王国の法律で裁かれ、死刑だと言う。
だが、強制送還すれば、ネモラリス共和国の法律で扱わざるを得ず、蟇蛙刑だ。変身刑の一種で、人間の意識を保ったまま、呪いで身体を蟇蛙に変えられる。刑期満了まで生存できれば、呪いが解けて人間に戻れるが、蟇蛙には人権などない。
「私の判断は、後で法学者などから咎められるかもしれませんが、これ以上、王国政府の手を煩わせたくないのですよ」
「胸中、お察し申し上げます」
犯人にとっては、人間として死ねる分、まだアミトスチグマ王国の方がまだマシな気がしたが、ラクエウス議員は触れずにおいた。




