2034.予算が足りず
ラクエウス議員は八月の酷暑の中、老体に鞭打って夏の都に置かれたネモラリス大使館を訪れた。
応接室で二人きりになった途端、イーニー大使が、挨拶もそこそこに本題を切り出す。
「今朝、スメールチ国連大使が訪ねて来られました」
「儂が用向きをお聞きしてもよろしいのですかな?」
「寧ろ、お聞きいただきたいのです。まずは、食料品の買出しです」
ネモラリス共和国代表のスメールチ国連大使は、バルバツム連邦に設置した国連事務所駐在だ。
国連安保理決議と経済制裁の発動後、国連本部のあるバルバツム連邦では、事務所の職員が、あらゆる物品の販売や役務の提供を拒否されるようになった。
まず、大使館と職員個人のクレジットカードや電子決済が使えなくなり、次に銀行口座が凍結された。今では、店舗入口の顔認証で入店すら拒否される。
現地採用の職員も同じ憂き目に遭った。
生活が立ちゆかなくなり、次々と現地職員が退職し、現在はネモラリス人職員だけで業務を回す。
バルバツム連邦だけに留まらず、アルトン・ガザ大陸の国々に駐在する大使館や領事館も、銀行口座の凍結と、インターネットや電話回線の契約を打ち切られ、八方塞がりだ。
「電気とガスは魔法でなんとかなりますし、水道も、井戸で凌げますが、回線が使えなくなっては、現地での業務はほぼお手上げです」
「なんと……電話回線は、魔法や魔哮砲には全く無関係でしょうに」
ラクエウス議員は、バルバツム連邦政府の徹底したイヤがらせ振りに呆れた。
「在外邦人の資産凍結や通信遮断は、経済制裁の基本ですからね」
「しかし、それでは情報収集もままならんのではないかね?」
「えぇ。新聞も契約を切られましたからね。こちらで買った電池でラジオを聞いて、他は足で稼いでいるそうです」
「なんと……」
スメールチ国連大使らの涙ぐましい努力に頭が下がる。
「国連やバルバツム連邦、キルクルス教団などに関するインターネットのニュースは、こちらで印刷してお渡しするようにはしていますが」
アミトスチグマ王国駐在のイーニー大使が、俯いたまま頭を振る。双方、大変な労力だ。
「もしや、それで駐在武官殿が難民キャンプで魔獣狩りを?」
「えぇ。その件に関しては、珍しく、文官の我々にも軍の総司令本部から連絡がありました」
駐在武官セルジャントが、アミトスチグマ政府の産官学合同調査隊に同行し、魔獣狩りを実施。難民と調査隊、ボランティアらの安全を図る。
魔獣や野生動物由来の素材は、難民キャンプ内やその近辺など、民間人の目に付く場所で狩ったモノは住民に与え、人目に付かない奥地で得たモノは【無尽袋】に詰めて持ち帰る。
大使館へ持ち帰った素材の半分は、ここの予算に組込み、半分は総司令本部へ提供した。
「なんせ、大使館の予算が開戦前の三分の一以下にまで落ち込みましたからね」
苦しい台所事情を明かされ、ラクエウス議員は言葉が出なかった。
「ここの前庭は庭園のままですが、中庭は畑にしました。他も大体そんな感じだそうですよ」
イーニー大使は笑ってみせたが、その眼には力がない。
縁故を頼ってアミトスチグマ王国の都市部へ逃れた自国民の支援や、国連常任理事国との関係が深い国々に駐在する外交官らの食費の立替えで、今は平時より多くの予算を必要とする。
だが、本国もまた、戦争と経済制裁で税収が落ち込み、国内避難民や倒産などによる生活困窮者の支援もままならない状態だ。
ネミュス解放軍の支配域では、地方自治体が、国税の納付拒否を黙認するなど、クリペウス政権のレーチカ臨時政府に叛旗を翻し始めた。
「なんせ、今年に入って、中央政府から予算の地方交付がなくなりましたから。どうにかしてその分を埋め合わせなければ、財政破綻して、現在とは比べ物にもならない惨状を招きます」
「しかし、国家予算もなければ、国民生活は苦しくなる一方なのですがな」
ラクエウス議員は嘆息した。
経済制裁によって、外貨獲得の道がほぼ塞がれてしまった。
ラクリマリス王国やアミトスチグマ王国など、友好国の政府は、国連安保理決議と経済大国二十カ国会議による経済制裁に反対を表明したが、民間企業はそうもゆかない。
インターネットの普及と経済活動のグローバル化によって、遠く離れた国との取引が可能になった。その一方で、主要な取引先が外国企業の場合、自国政府が反対表明した制裁でも、相手国側に合わせなければ、制裁を科す側の国の企業から取引を打切られてしまう。
取引停止で倒産すれば、従業員と家族が路頭に迷い、国内経済が悪化する。
だが、民間企業が制裁に従えば、制裁を科される側の国と関係が悪化する。
「臨時政府は、ネーニア島の空襲被害が大きかった都市の復旧を急ぎ、国内避難民を呼び戻して、生産活動を再開させようと躍起ですが、その予算もそろそろ厳しくなってきたそうです」
政府直轄案件で失業者を大量雇用し、現場に投入した。予算が尽きれば、彼らの暮らしも危うくなる。
「しかし、それではセルジャント武官殿お一人でと言うのは」
「彼以外の駐在武官は本国に呼び戻され、魔獣討伐の任にあたっています」
武官らだけでなく、復旧作業中の都市へ投入した魔獣駆除業者が狩った分も徴収し、友好国の素材屋に売却。食料品などの購入に充てる。
「禁輸対象品目ですが、その方面の業者は、キルクルス教圏の国とは取引がありませんからね」
「成程」
武器禁輸措置も、とんだ抜け穴があったものだ。
地域住民の安全確保と食料の調達。
一石二鳥ではあるが、取引の規模としては、微々たるものだ。空襲によって失われた耕作地のすべてを肩代わりするには程遠い。
「それで、スメールチ国連大使が、国連と常任理事国の各政府に対して、個別にポジティブリストの開示を求めました」
「先方の返事は、なんと?」
ラクエウス議員は前のめりに聞いた。
☆現地採用の職員も同じ……「1944.在外邦人の難」参照
☆駐在武官セルジャントが(中略)魔獣狩りを実施……「1922.久々の昼休み」「1966.救援の調査隊」「2021.遅すぎる派遣」参照
☆地方自治体が、国税の納付拒否を黙認……「1946.森林へ至る道」参照
☆レーチカ臨時政府に叛旗を翻し始めた……「1850.制裁対策会議」参照
☆政府直轄案件で失業者を大量雇用……「1175.役所の掲示板」「1330.連載中の手記」「1752.帰還支援要請」参照
☆禁輸対象品目……「1867.国際情勢の報」「1868.撤回への努力」参照




