0207.妹の営業努力
針子のアミエーラは、安堵で膝の力が抜けそうになりながら、荷台に乗った。
ラクリマリス王国の検問はあるだろうが、何とかして北ヴィエートフィ大橋を渡れば、歩いてでもアーテル共和国領ランテルナ島に行ける。
……どうにかして、ランテルナ島まで行って、後のことは、それから考えた方がいいのかな?
それとも、魔法の勉強をして、ちゃんとした魔女として、ラクリマリス王国に移住した方がいいのか。
学校で、ラクリマリス王国は陸の民の魔法使いが多く、力なき民は国民全体の一割程度と習った。ラクリマリス社会は魔法使い中心に回る。
まだ、どちらとも決められない。
今は、どちらにでも行けるから。
……どこにでも行けると、どこへ行けばいいかわからなくて、どこにも行けなくなっちゃうのね。
アミエーラはつい最近、自分が魔力を持つキルクルス教徒だと知った。だが、信仰に殉じて、穢れた存在である自分を抹消しようとは思わない。
……私は、自治区で生まれたから、キルクルス教しか知らなかっただけで、ホントは信仰とか、何とも思ってなかったのね。
山中での出来事を振り返り、改めてそう思った。
モーフが、二人の魔法使いと一緒に居るのをどう思うのか、全くわからない。見たところ、力ある陸の民の工員と、湖の民の薬師とも、割と普通に喋る。
運転手と仲が良く、星の道義勇軍の隊長を尊敬するらしいのは、わかった。
隊長は、南へ行くと言ってくれたが、モーフたち三人がこれからどうするかは、決めかねるように見えた。
パン屋の青年とラクリマリス人の少年が、難しい顔でおカネの話をする。
……そっか。昨日摘んだ薬草を燃料とかと変えてもらえれば、グロム市まで行って、そこから船にも?
アミエーラは、店長の言うようにネモラリス島へ渡って、大伯母を捜すこともできる。祖母の手帳を山道で発掘してリュックに入れたが、まだ中を見られない。
淡い期待からあれこれ想像する。さっき見た荒れ地の東は森だった。
蔓草があれば、籠などの細工物を作って、生活の足しにできるかもしれない。自治区ではそれなりに売れたのだ。
……何と交換してもらえるかな?
目的地に着くまでは、できれば燃料が欲しい。
ラジオでは、救援物資を運ぶラクリマリス王国のトラックが、ネモラリスに来ると言った。
だが、王国は一般人もほぼ魔法使いだ。自動車を使う人は少ないのではないか、と不安になる。ガソリンスタンドは、ネモラリス同様どこの街にもあるだろうか。
荷台には窓がなく、外の様子はわからない。
女の子たちが額を寄せ合い、ノートに何か書きながら小声で相談する。
……さっき、お兄さんとパンの値段を相談してたし、続きかな?
アミエーラは気になって話の輪に加わった。
「何のお話してるの?」
「パン売るお話ー」
パン屋の妹が小声で答えた。唇に人差し指を当て、もう一方の手で手招きする。
「お兄ちゃんには、内緒だから」
「内緒? どうして? さっき、お兄さんとそのお話してたよね?」
アミエーラは声を潜めて聞いた。
パン屋の妹が眉根を寄せ、深刻な顔になる。
「お店じゃないから、お兄ちゃんがおいしいパンを作っても、きっと売れないと思うの」
アミエーラは苦笑するしかなかった。
確かに今の自分たちは不審者だ。
蔓草細工を買ってもらえる前提で考えた自分が、恥ずかしくなる。
……どうすれば、地元の人たちに信用してもらえるかな?
街は、トラックで通過するだけで長期間滞在するワケではない。
パン屋の姉は、さっきトラックの荷台にガムテープをパンの形に貼り付けて、ネモラリス国営放送のロゴマークを隠した。
パン屋のフリに説得力を持たせるつもりなのだろう。ガムテープで作ったパンの絵は、放送局のロゴよりマシだが、却って胡散臭く見える。
短時間で信用してもらえる手段は何か。
……そんな都合のいいコト、それこそ、魔法でもない限り……
「それでね、今、お歌作ってるの」
「歌?」
アミエーラが首を傾げると、パン屋の妹は、いたずらっぽく笑ってノートを指差した。
「あのね、天気予報のお歌、みんな知ってるから、これを替え歌にしてパン屋さんのお歌にするの」
「替え歌を作って、どうするの?」
話が全く見えてこない。
パン屋の妹はもどかしそうに言った。
「だからね、このお歌を歌って『なんみんじゃなくて、旅のパン屋さんです』って、パンを売るの」
「あぁ、そう言うこと」
つまり、CMソングを歌って、行商のフリに説得力を持たせたいのだろう。
リストヴァー自治区の団地地区でも、そんな訪問販売員が巡回した。
作物が大豊作だった年には、農家の人々もトラックで売りに回った。
訪問販売員は大抵、商品名を繰り返し織込んだ歌を歌いながら回る。
……あぁ、でも、ネモラリスはそうでも、ラクリマリスはどうなのかな?
こんな子供騙しが通用するとも思えないが、他にいい案を思いつけない。
アミエーラは、パン屋の姉妹と工員の妹が、ノートを囲んで小声で相談するのを黙って見守った。
呼び売りの例に漏れず、何度も「パン」と言う単語が出て来る。
女の子たちはノートの横に白い紙を置き、それと先に考えた歌詞を比べながら、あぁでもないこうでもないと案を出し合う。
白い紙には、女の子たちよりずっと拙い字で、何か書いてあった。
パン屋の姉が、アミエーラの視線に気付いて説明してくれる。
「これ、モーフ君が書き写してくれた元の歌詞です」
「元の歌詞?」
「天気予報の歌の元の歌詞です」
そう言えば、さっき、替え歌だと言った。アミエーラは、ラジオのニュースを思い返す。
……楽器の音しか流れてなかったと思うけど?
「レコードがあるんです。そこに」
パン屋の姉は、アミエーラの怪訝な顔を見て、指差した。運転席の後ろの小部屋にあるらしい。
パンをそのまま売っても、誰も買わないだろう。
彼女らは、パン屋の兄を傷付けないように、理由を伏せて呼び売り用の歌を作るのだ。
「私も知ってるから、手伝うね」
アミエーラは、他にすることがないので作詞に加わることにした。
何もしないよりはいいだろう。
☆自分が魔力を持つキルクルス教徒だと知った……「0090.恵まれた境遇」「0091.魔除けの護符」「0118.ひとりぼっち」参照
☆山中での出来事……「0118.ひとりぼっち」参照
☆大伯母を捜す……「0090.恵まれた境遇」「0091.魔除けの護符」参照
☆祖母の手帳……「0102.時を越える物」「0118.ひとりぼっち」参照
☆救援物資を運ぶラクリマリスのトラックが、ネモラリスに来る……「0144.非番の一兵卒」「0165.固定イメージ」「0168.図書館で勉強」「0182.ザカート隧道」参照
☆天気予報の歌の元の歌詞……「0170.天気予報の歌」参照
☆レコードがある……「0171.発電機の点検」「0177.レコード試聴」参照




