2025.研修の休養日
アミトスチグマ王国医師会は、難民キャンプに常駐する医療者向けの研修に休養日を設けた。
研修は、難民キャンプから遠く離れた夏の都のホテルで開講する。
一組一週間で、中日を完全な休日にした。
最新の知見や新しい治療法、従来の医薬品の新しい適用症、災害医療などの研修は実際に実施するが、真の目的は、難民キャンプ常駐医療者の休息だ。
難民キャンプに戻れば、資料をじっくり読み込む時間がない為、研修時間外にも勉強を続ける者も居る。だが、ここでは昼食すら摂れない忙しさもなければ、夜勤や、夜間の急変対応で睡眠時間を削られることもない。
命を預かる重圧と緊張から一時的に解放され、約二年振りにゆっくりできた。
常勤医療者自身も、空襲で焼け出された戦争難民だ。
アーテル・ラニスタ連合軍による無差別爆撃ですべてを喪い、心に傷を抱えたまま、文字通り休む間もなく、同じ立場の者の命を支え続けた。
難民キャンプ開設から二年余りが経つ。
蓄積した疲労や心労が、たった一週間で解消できるワケではないが、全く休めないより遙かにマシだ。
ホテルの宴会場で、平和の花束の四人が舞台に立つ。
最初のプロモーション動画で着たアミトスチグマの民族衣装に似た衣裳を纏い、「すべて ひとしい ひとつの花」を情感たっぷりに歌い上げる。
四人掛けの食卓が並ぶ客席から拍手が起き、彼女らは手を振って微笑で応じた。
難民は無料だが、観覧は強制ではない。静かに過ごしたい者は部屋に留まってもよかった。
ファーキルが舞台袖から見回すと、今回の研修に訪れた第二十九区画診療所の関係者は、みんな宴会場に顔を出した。
魔法使いの元看護師レカールスタヴァと彼女の高校生の娘、妹のシーシカとまだ幼い甥、そして、理学療法士のガリートだ。家族をすべて失った彼は、普段、区画内の各小屋を巡回して高齢者の寝たきり予防に尽力し、診療所には食事と睡眠以外では居なかった。
この区画は他に【飛翔する梟】学派の呪医プーフと、科学の現役看護師テモとサスーリカが居る。だが、全員が一度に研修へ出てしまうと、代わりに来るラクリマリス王国の医療ボランティアが困る為、二回に分けたのだ。
広い宴会場は、難民五人の他、一般の宿泊客も席を六割くらい埋めてくれた。慈善ライブで、観覧料は会場レンタル費を賄えるギリギリに見積もって安く設定。その代わり、募金箱を置いた。
週に一度、各区画の研修休養日だけの開催だが、客入りはそこそこだ。
募金箱にも、小銭や【魔力の水晶】などが思ったより多く寄せられた。
経済制裁で表立っての支援は難しくなったが、匿名の寄付なら応じられるアミトスチグマ人がそれなりに居ると分かったのも、大きな収穫だ。
ファーキルはノートパソコンで、ラクエウス議員の竪琴とスニェーグのピアノによる伴奏の音源を再生する。
平和の花束の四人が舞台の真ん中で、新たに覚えたネーニア島とネモラリス島に伝わる民謡を何曲も歌う。
研修が決まってから、リャビーナ市民楽団のオラトリックスに教わった。練習期間が短かったとは思えない上手さだ。ファーキルはプロの実力に感心した。
客たちは、ホテルの豪華な昼食と平和の花束の歌声を愉しみ、一曲終わる度に拍手した。
食後の珈琲が来て、一般客たちが小声で雑談を交わし始める。
常駐医療者とその家族は、二年近く呪歌【癒しの風】以外の曲を耳にする機会がなかった。今は舞台に顔を向け、熱心に耳を傾ける。
シーシカは看護師の妹だが、医療関係者ではない。
難民キャンプ唯一の【渡る雁金】学派の術者だ。
要の木に囚われた者の救助で、日中は度々あちこちの区画から呼び出された。幼い息子を残して、要の木に宿る樹木の精霊と交渉しに行かねばならず、医療者とは別方向で気の休まらない日々が続く。
現在は対策が進み、難民たちも要の木には極力近付かなくなって、呼び出し回数は減った。それでも、唯一の交渉者であるシーシカは、完全に警戒を解くワケにはゆかない。
今回、姉のレカールスタヴァと共に研修へ出られたのは、冬の都大学から【渡る雁金】学派の研究者が、難民キャンプに派遣されたからだ。
要の木の存在は、古くから狩人らの間で知られ、以前から伝承や目撃証言の聞き取り調査などはあった。だが、大森林の奥、目印などがない樹木の特定は困難を極める。しかも、迂闊に近付けば、心を囚われてしまう。
難民キャンプの開拓で、木霊の宿らない樹木の多くが伐採された。
区画内や周辺には、要の木を含む小規模な木立や、要の木だけが残され、現在は容易に特定できる。また、難民キャンプ開設以前より遙かに多くの目撃証言や、囚われて解放された者の体験談を得られるようになった。
これを受け、冬の都大学が、アミトスチグマ王国政府の産官学合同調査隊とは別に現地調査へ乗り出したのだ。
シーシカは、要の木関連の対応を詳細に記録する。
現地調査隊は、第二十九区画に拠点となる車輌を置き、彼女の記録をタブレット端末で撮影して調査にあたる。
シーシカは今、ファーキルが見たことのない穏やかな表情で、平和の花束の舞台を眺める。
またひとつ、曲が終わった。
幼い息子が彼女の膝の上で手を叩く。シーシカは息子にやわらかな微笑を向け、茶器を置いて拍手した。
シーシカの姉レカールスタヴァも、研修前半の三日間で睡眠不足が解消され、顔色が随分よくなった。
理学療法士ガリートの主な活動は日中だが、夜間は入院病棟の見回りも引き受ける。彼もまた、この三日間よく眠れただろう。
レカールスタヴァの娘も、病人食の調理や【操水】で診療所を手伝う。大人数の調理から解放されて、この一週間は食事の用意に悩まされずに済む。
彼らが本当にゆっくり休んで、自分の生活を回せるようになるには、戦争が終わらなければならない。
帰国後、生活再建して落ち着くまで、一体、何年掛かるのか。
平和への道は、未だに見えなかった。
☆難民キャンプに常駐する医療者向けの研修……「1968.医療者の研修」~「1973.自治の難しさ」参照
☆最初のプロモーション動画……「515.アイドルたち」参照
☆魔法使いの看護師レカールスタヴァと彼女の高校生の娘……「1591.区画間の格差」~「1594.精神汚染の害」参照
☆代わりに来るラクリマリス王国の医療ボランティア……「1968.医療者の研修」参照
☆難民キャンプ唯一の【渡る雁金】学派の術者/要の木に囚われた者の救助……「1611.囚われた青年」~「1614.まとめる情報」参照
☆アミトスチグマ王国政府の産官学合同調査隊……「1921.産官学調査隊」~「1923.調査隊の目的」参照




