2024.罪人の取扱い
呪医セプテントリオーは、自警団員に右手の指を切断された被疑者を見た。怯えた目が呪医を見上げる。
「治療の邪魔しちゃってすみません。おらッ! 立て!」
被疑者の左腕を掴む自警団員が、再びへたり込んだ男を強引に立たせる。
「待って下さい。私は、あなた方を人殺しにしたくないのです」
「そんなコト言ったって、自業自得じゃないっスか」
「誰かがしなきゃいけない汚れ仕事なんですよ」
「コイツが取り返しのつかない事件を起こしたら、呪医はどうやって責任取る気なんですか?」
第二十一区画の自警団員が言うと、診察の順番を待つ第二十三区画の住民たちは何度も頷いた。被疑者の顔色がますます悪くなる。
呪医セプテントリオーは、それでも食い下がった。
「下着泥棒の件は、現場を押えられていないのですよね?」
「えぇ、まぁ、でも、どうせコイツの仕業じゃないんスか」
「盗品がどこに隠してあるか、あるいは誰かの手に渡ったか、共犯者の有無なども調べなくては」
「あー、それもあるっちゃあるんですけど」
被疑者の右腕を掴む自警団員は微妙な顔で頷いたが、槍を構えた自警団員の女性はぴしゃりと撥ねつけた。
「私だったら、そんな何されたかわかんない下着、戻って来ても絶対使いませんけど」
「共犯者がいる可能性もありますし、役割分担や余罪なども」
「呪医、何でそんなにコイツを庇うんですか?」
女性団員の目に蔑みの色が宿る。
「庇うワケではありません。ただ、事件全体がわからない内に彼だけを始末して幕引きを図ると、共犯者などが居た場合、逆恨みで窃盗被害者の女性たちに報復するなど、別の危険が発生する惧れがありますから」
「そんなの【強制】の術で口を割らせればいいんじゃないの?」
順番待ちの中年女性が言うと、後ろに並ぶ老人が頷いた。
「嘘吐けないように【制約】も掛けてもらえりゃいいわな」
被疑者が批難がましい声を出す。
「爺さん、女子高生のブラジャー分けてやったのに俺を売って自分だけ助かろうなんざ」
「儂ゃそんなモンもらっとらん!」
老人が杖を振りかざし、その後ろに居た若者が慌てて羽交い絞めにする。
「ちょ、爺さん! 危ないって」
「何の騒ぎですか?」
アサコール党首が声を掛け、張り詰めた空気がやや緩んだ。
自警団員の女性が、呪医セプテントリオーの意見を付け加えて説明する。
アサコール党首の隣まで出て来たファーキルが、タブレット端末を凄まじい速さでつついてメモを取った。
診療所の薬品在庫とカルテのデータ収集に来た筈が、とんだことに巻き込まれたものだ。
呪医セプテントリオーは、アサコール党首たちに任せることにして、骨折患者の治療を再開した。
最も重症なのはこの患者で、鎖骨と左上腕、右足首を骨折し、肋骨には複数のヒビがある。先に魔獣の爪で裂かれた傷は癒し、生命の危機はひとまず脱したが、のんびんりできる状態ではなかった。
一カ所ずつ【骨繕う糸】を掛け、破損した骨を復元してゆく。
科学の看護師が、骨折が癒えた患者を二段ベッドの上段に案内した。
説明が一段落して、ファーキルが薬品庫の写真を撮り始めた。
科学の看護師が、抗生物質の点滴パックを出して言う。
「錠剤はまだ少しあるんですけど、点滴はこれが最後の一個なんです」
「わかりました。お伝えします」
看護師は、昨日の傷が元で発熱した患者に点滴を繋いだ。
呪医セプテントリオーは、畑で魔獣に襲われた次の患者の治療に取り掛かる。
こびりついた土と血液は、パテンス神殿信徒会のボランティアが現場で【操水】を使って洗い流してくれた。三人とも【跳躍】による搬送直後に【止血】だけは掛けた為、どうにか落ち着いて待てる状態だ。
二人目の傷を【癒しの水】で塞ぐと、大きく息を吐いて肩の力を抜いた。
「それでは、彼の身柄はこちらでお預かりしましょう」
アサコール党首の声で、診療所内の視線が被疑者に集まった。
「ど、どこへ?」
被疑者の声に期待と不安が混じる。
アサコール党首は、声をやや大きくして答えた。
「夏の都にあるネモラリス大使館です。旅券の再発行用に【鵠しき燭台】がありますからね」
「じゃあ、イーニー大使が裁判するんですか?」
第二十一区画の自警団員が、ホッとした顔で聞く。
「罪が明らかになれば、恐らく強制送還されて、本国で裁きを受けるでしょう」
「えぇ? それって帰国したい人がわざと悪いコトするようになるんじゃありませんか?」
順番待ちの患者から声が挙がる。
アサコール党首は、懸念を告げた患者を見て、被疑者に視線を移した。
「経済制裁で貿易がほぼ停止した影響で、本国ではここより食料事情などが悪化した都市が増えたと聞きました。刑務所の状況はあまり想像したくありませんね」
「お、女の子たちに断られたブラジャーは、他の区画の野郎どもに売り捌いて食い物に換えたんだ。買った奴教えるから」
「ここに残して万が一、逃亡した場合、森など人気のない場所へ行くしかないでしょう。捕食されれば、魔獣や野生動物に人肉の味を覚えさせてしまいます」
亡命議員の冷徹な声に被疑者が震えあがった。
「呪医、指は一応、繋げてやって下さい」
「わかりました。少し待って下さい」
今度は自警団員から反対の声は上がらなかった。
「道義の緒 今 咎人を 縛めよ」
被疑者の足下から輝く魔力の縄が出現し、自警団の二人が手を離した。【呪縄】が被疑者の身を螺旋状に絡め捕り、首から下を蓑虫のように巻く。
「私は政治家ですが、このくらいの術なら使えるのですよ」
アサコール党首が言うと、破廉恥な盗みを重ねた男は呆然自失で立ち尽くした。
呪医セプテントリオーは、畑で負傷した者たちを癒し終え、看護師に引継いでから、盗人の治療を再開した。
縄の隙間から手首から先だけが突き出る。
「命繕う狭間の糸よ
魔力を針に この身繕い 流れる血潮 現世に留め
黄泉路の扉 固く閉じ 明日に繋げよ この命」
切断された指を受取り、一本ずつ【縫合】を掛けて繋いだ。
アサコール党首はカルテを撮り終えると、ファーキルと被疑者を連れ、【跳躍】で去った。
☆診療所の薬品在庫とカルテのデータ収集……「1586.呪医の苛立ち」「1591.区画間の格差」「1766.進展する支援」「1932.対策の多重化」参照




