2022.訪問者を疑う
第二十区画診療所の歯科医師が、駐在武官セルジャントの出て行った台所の扉を見遣って呟く。
「まぁ、ウチの区画でもそう言うコト、時々ありますからね」
「二段ベッドが行き渡ってから、夜中に盗まれるのは減ったそうですけど、日中は、畑仕事か何かで留守になるから、やっぱり盗られるみたいで」
空になった昼食の箱を畳みながら、理学療法士が眉を下げて頷いた。
高齢者や負傷者のリハビリで各小屋を回る彼は、行く先々で盗難などの被害と愚痴を聞かされると言う。
同じく、口腔ケアで回る歯科医師が、苦い顔で同意した。
「二段ベッドが入って死角ができたから、逆に昼の被害が増えたみたいなとこもあって、一長一短ですね」
寝たきりの高齢者や療養者の目はあるが、彼らの寝床から死角になるベッドの被害が多いと言う。
二段ベッド側面の格子には衣服が掛けられ、頭側と足元側は私物入れの棚。出入口のカーテンを閉めて外出すれば、部外者には人の有無がわからない筈だ。
理学療法士と歯科医師は名簿やカルテを持って行くが、カーテンが閉まったベッドには一応、すべて声を掛ける。急病などで寝込んだ者が居れば、ボランティアに頼んで【跳躍】で診療所へ搬送してもらう取決めがある為だ。
「その丸木小屋に住んでる人か、近所でよく出入りする人なんでしょうけど」
「盗られたって言ってるのがお年寄りだと、認知症の初期症状の可能性があるんで、まぁ、アレなんですけどね」
「実際、盗られてる時もあるんで、自警団の人たちは一応、全部を盗難として対応しますけど」
歯科医師と理学療法士、看護師が揃って困った顔になる。
自警団員はどこの区画でも大抵、体力と腕力に自信のある力なき民の若者、性別と魔力の有無を問わず元警察官、年齢と性別に関わらず力ある民と湖の民で構成される。力なき民の女性でも、弓術や棒術などの経験者が加わる区画もあった。
「どんな物が盗まれるのですか?」
「色々ですけど、仕事の報酬としてもらった保存食を取っといた分とか、ちょっといい服とか」
「寒い時期はマフラーや手袋がなくなりがちでしたね」
「今だとタオルとか」
「あぁ……そう言う」
呪医セプテントリオーにも容易く状況が想像できた。
「その丸木小屋に住んでいない私たちや、ボランティアの人たちが疑われるのも日常茶飯事ですし」
歯科医師が溜息交じりに愚痴をこぼした。
同じ丸木小屋で寝起きする者が犯人では、一瞬たりとも気が休まらなくなる。
真相より安心を求める心理や、真犯人の思惑から、丸木小屋の住民ではない訪問者に疑いの目が向けられやすいのだ。
「えぇ? そんな……話せば、自警団と住民のみなさんは、わかって下さるんですよね?」
外科領域が専門の呪医セプテントリオーは、基本的に診療所と魔獣や野生動物の被害が発生した現場にしか行かない。
だが、アサコール党首ら、難民の要望や困りごとを聞き取って回る亡命議員の報告書で、難民キャンプ内で度々盗難が発生すると知らされ、診療所では住民の制裁で腕を折られた人物の治療もした。
それでも、どこか遠い出来事のように感じられて実感を持てないでいる。
「行政書士さんとかに【渡る白鳥】学派の【強制】を掛けてもらって、その日は一日中、何してたか証言して、アリバイを証明してます」
「この区画には居ないんで、毎回どっか他所の区画から呼んでもらったり、ボランティアで来てくれたパテンス市行政書士組合の人に頼んだりとか」
「えぇ? そんな頻繁にあるのですか?」
呪医セプテントリオーは、力なき民の医療者三人を見回した。
理学療法士と歯科医師が眉間に皺を寄せた。
「盗難騒ぎがよくある丸木小屋と、そうじゃないとこはありますけど、一週間か十日に一回くらいはありますね」
そんなことに手を取られては、リハビリや口腔ケアが必要な者たちが困る。だからと言って看過するワケにもゆかず、念の為、捜査に付き合わざるを得なかった。
「なるべく疑われないように食事は出先の丸木小屋じゃなくて、毎日、パテンス神殿信徒会の人に頼んで【跳躍】でここまで送ってもらってるんです」
丸木小屋で、医療者に支給される「ややいい保存食」を食べれば妬みを買う。だが、みんなと同じものを食べれば、盗みを疑われる。
呪医セプテントリオーは、遣る瀬ない思いで難民キャンプに居住する医療者の苦境に耳を傾けた。
「さっきの軍人さんも言ってましたけど、ここには【明かし水鏡】と【鵠しき燭台】がありませんから」
「科学捜査に必要な指紋を採る道具すらありませんし、アリバイとかの状況証拠や『見た』って言う人の証言で対処するしかないらしくて、元刑事さんとかも困ってるんですよ」
「冤罪でも、真相は真犯人にしかわかりませんからね」
科学の看護師が肩を落とす。
「みんなが『コイツが犯人だ』って決めつけて、リンチするコトもあるみたいなんですけど、確認できませんし」
理学療法士は、診療所と台所を隔てる扉を窺って囁いた。
科学の歯科医師が自嘲気味に言う。
「私らは、力なき民で魔法に抵抗できませんから【強制】でアリバイを聞かれても正直に喋るしかないんで、割とすぐ誤解は解けるんですけどね」
「元刑事さんが言ってましたけど、息するみたいに嘘吐ける筋金入りの泥棒だったら、魔法を掛けられても嘘のアリバイをぺらぺら喋れるそうなんで、どこまで信じてもらえるか」
理学療法士が眉間の皺を深くした。
歯科医師が項垂れる。
「私らより、信徒会の人たちの方が、潔白の証明が大変らしくて」
「泥棒呼ばわりされて、二度と来てくれなくなった人も居ますし」
科学の看護師が頭を抱えて俯いた。
普通に考えれば、暮らしに余裕のあるボランティアが、わざわざ困窮のどん底にある難民から、安価な保存食などを盗むとは思えない。
……いや、魔哮砲の件で嫌がらせする目的なら、有り得るのか。
「この方面も、何とかならないか、アサコール党首たちに状況をお伝えします」
「よろしくお願いします」
亡命議員たちの方が、ずっと詳しく状況を把握済だろう。
だが、捜査や司法の素人でしかない呪医セプテントリオーには、この件に関してできることなど何ひとつなかった。
☆二段ベッドが行き渡って……「1963.末端への影響」参照
☆亡命議員の報告書/住民の制裁で腕を折られた人物の治療……「1870.法秩序の欠如」参照
☆【強制】/嘘のアリバイをぺらぺら喋れる……【明かし水鏡】で嘘に対抗「1100.議員への質問」参照
※ 強力な術者なら、嘘も封じられる「1626.異教徒を狩る」参照




