2021.遅すぎる派遣
「第三十二区画南西の森を探索中、左右口の獣と遭遇。消し炭にし、第二十区画の職人に引渡しました」
「……そうですか」
呪医セプテントリオーは、難民キャンプ第二十区画の診療所で昼食を摂りつつ、駐在武官セルジャントの報告を半分聞き流して頷いた。
セルジャントは、駐アミトスチグマ王国ネモラリス大使館付きの武官だ。
現在は、アミトスチグマ王国政府の産官学合同調査隊に同行し、大森林で魔獣狩りなどを行うらしい。
難民キャンプ周辺の魔獣が減れば、それだけ、ネモラリス難民の被害が軽減される。魔獣由来の素材が手に入れば、生活に必要な魔法道具の作成や、外部との物々交換で、厳しい暮らしが少しでもマシになるだろう。
セルジャントが、難民の様子を大使館や本国に報告すれば、レーチカ臨時政府が何らかの行動を起こすかもしれない。
……いいことだとは思うが、何故、今頃になって。
アミトスチグマ政府は、魔哮砲戦争開戦初年の春にネモラリス人の受容れを表明し、国連難民高等弁務官事務所と共に難民キャンプを開設した。大国の圧力で国連が手を引いた後も、単独で支援を継続する。
ネモラリス大使館は、イーニー大使の独断で、予算と権限の許す限り、関係各所に支援を要請。アサコール党首ら魔哮砲の使用に反対した亡命議員とも連携し、本国に留まる国民と国外難民、両方の支援に奔走する。
ファーキル少年の発案でSNSを始めてからは、広く世界に向けて情報発信し、寄付を呼び掛けてこの戦争とは無関係な国の一般人からも支援を取り付けた。
支援の網から漏れがちな難民キャンプ外で暮らす国外避難民の救済にも動く。
だが、セルジャントら駐在武官……ネモラリス軍は開戦から二年以上経つ先月まで、難民支援に動かなかった。
難民キャンプの開設初期、大森林付近の草原にテント村ができて間もない頃に魔獣狩りの人員を派遣すれば、捕食の犠牲者はもっと少なくて済んだだろう。
アミトスチグマ王国軍が護衛の部隊を出してくれたが、北の国境警備や自国民の対魔獣防護もあり、多くの人手は割けない。
大森林の開拓が始まったばかりの頃もそうだ。
最も必要な時期に自国民を守る為、友好国であるアミトスチグマ王国側と協議して、護衛の部隊を派遣しなかったのは何故なのか。
暮らしがある程度落ち着いた現在でも、魔獣の脅威はある。無駄とまでは言わないが、呪医セプテントリオーは釈然としなかった。
同じ時間帯で昼休憩に入った常勤の医療者たちが、何とも言えない顔で食事を口に入れながら、駐在武官の話に耳を傾ける。
「魔獣駆除の現場付近で、男性の縊死体を発見しました」
科学の歯科医師と理学療法士、看護師が動き止め、喉の詰まりそうな顔で駐在武官セルジャントを見詰める。
「第三十二区画の住民に確認したところ、木からぶら下がった人物は以前から手癖が悪く、他の難民から爪弾きにされていたそうです」
「邪魔者扱いを苦にして自らそうしたのですか?」
セプテントリオーは、思わず聞いた。
元騎士の駐在武官が畏まって応える。
「不明です。【鵠しき燭台】も何もありません。住民の証言も、真偽不明です」
……それを私の耳に入れて、どうせよと?
困惑と不快感で、呪医セプテントリオーの声に棘が生える。
「食事時に耳へ入れたい話ではありませんね。そもそも何故、第三十二区画の自治会長ではなく、第二十区画のここでそんな話をするのです?」
「お食事中、大変失礼致しまして申し訳ございません。しかし、あなた様のご逗留先が不明ですので、今この時をおいて他にお伝えできる機会がなく」
「第三十二区画の自治会長さんか、自警団長さんか、大使館に相談して下さい。私は一介の呪医で、司法関係の権限も職能もありません」
「御意」
駐在武官セルジャントは恭しく一礼し、第三十二区画診療所の台所兼食堂から出て行った。
疑問の視線が緑髪の呪医に集まる。
「私が元軍医だからですよ」
他の区画でした説明をここでも繰り返し、一言付け加えた。
「当時も軍医のなり手が少なく、ウヌク・エルハイア将軍たち、軍幹部と会議などで顔を合せる機会はありましたが、別に彼らに口利きできるようなコネはありませんからね」
オーストロフ島のラクテア神殿で、アル・ジャディ将軍には癒し手として求められた。だが、軍医に復帰したところで、セプテントリオーには軍を動かすことも、アル・ジャディ将軍に何らかの行動を促すこともできない。
一方的に使われるだけの立場だ。
ネミュス解放軍は開戦初年の九月、首都クレーヴェルで武装蜂起した際、この戦争の原因であろう魔哮砲の廃棄をラジオで宣言した。
だが、国際社会が承認するのは、極秘裏に魔法生物の兵器化を進め、戦争の発端を作ったクリペウス政権だ。首都を追われ、レーチカ市に臨時政府を開いたが、今のところ戦争終結に向けた動きはない。
国連安全保障理事会は、ネミュス解放軍のクーデター政権を話題にすら出さず、クリペウス政権のレーチカ臨時政府を魔法生物兵器化禁止条約など、複数の条約違反の廉で制裁の対象にした。
ネモラリス島東部と北部は、ネミュス解放軍の支配域となったが、国連安保理がネモラリス共和国全土と国内外のネモラリス企業を制裁の対象に指定した為、巻き添えになった。
手続き上、正当な選挙で選ばれた民主的な政権が、正統な統治機関であるとの立場なのだ。その政権が、国民を欺き続け、多数の難民を生み出したことになど頓着しない。
仮にアル・ジャディ将軍がクリペウス政権を倒し、和平を呼掛けたとしても、国際社会は軍人によるクーデター政権の樹立を認めない。
況してや、ウヌク・エルハイア将軍もアル・ジャディ将軍も、旧支配層のラキュス・ネーニア家の者だ。神政復古すれば、国際社会から袋叩きにされるのが目に見える。
国際社会では、基本的人権の尊重と平等、民主主義を掲げるキルクルス教文化圏の国々が主導権を握る。
そこでは、どれ程の大罪を犯そうと「選挙で国民に選ばれた民主政権」以外、認められないのだ。
だが、戦争で国が乱れ、人口の一割近くが国外流出し、改選によって「現政権による悪事を知った民意」を反映できない状態が続いても、酌量されなかった。
☆駐在武官セルジャント……「1923.調査隊の目的」参照
☆アミトスチグマ王国政府の産官学合同調査隊……「1588.能動的な要望」→「1921.産官学調査隊」参照
☆大国の圧力で国連が手を引いた……「1606.避難地の現状」「1607.現実に触れる」参照
☆ファーキル少年の発案でSNSを始め……「1118.攻めの守りで」参照
☆広く世界に向けて情報発信……「1229.名もなき肯定」参照
☆寄付を呼び掛け……「1267.伝わったこと」「1305.支援への礼状」「1595.流出した人材」参照
☆国外避難民の救済……「1305.支援への礼状」「1306.自助の増強を」「1381.支援者に支援」「1382.できない理由」「1392.夜明けの祈り」「1595.流出した人材」参照
☆アミトスチグマ王国軍が護衛の部隊……「1608.大森林の道路」参照
☆他の区画でした説明……「1922.久々の昼休み」「1923.調査隊の目的」参照
☆アル・ジャディ将軍には癒し手として求められた……「1487.島守と押問答」~「1488.水呼びの呪歌」参照
☆魔哮砲の廃棄をラジオで宣言……「600.放送局の占拠」「601.解放軍の声明」参照
☆制裁の対象……「1842.武器禁輸措置」「1843.大統領の会談」「1844.対象品の詳細」「1851.業界の連携を」「1862.調理法と経済」「1868.撤回への努力」参照




