2018.中途半端な服
ネミュス解放軍によるリストヴァー自治区侵攻の際、市民病院の呪医と共に来た金髪の魔法使いは、礼拝堂に逃げ込んだ東教区民を守る為、礼拝堂に施された【頑強】の術を発動させた。
クフシーンカはあの時、建築関係の術には、魔力を補充するだけで自動的に発動するものと、起動の呪文を唱えなければならないものがあると、初めて知った。
金髪の魔法使いは、ウェンツス司祭から聖職者用の聖典を借り、市民病院の呪医に魔力を借りて、星道記に記された力ある言葉を読み上げた。
あの緑髪の呪医は、解放軍を率いるウヌク・エルハイア将軍の親戚……湖の女神パニセア・ユニ・フローラの血に連なる一族の者だ。つまり、桁違いに強力な魔力を持つ。
教会建築の護りを発動させるには、そこまでの魔力が必要なのか、単に魔力の強さに比例して術も強くなるから頼んだのか。
力なき民のクフシーンカにはわからず、あの時は、そんな疑問を抱く余裕さえなかった。
衣服など“物に付与された魔法”が複数ある場合、魔力不足の際には、必要な魔力が多い強力な術から順に失効する。
星道記にある説明と、クフシーンカが目の当たりにした礼拝堂での雑妖の消滅から、【魔除け】は自治区内で亡くなった者の小さな【魔道士の涙】や、無自覚な力ある民がそこにいるだけでも、効力を発動・維持できる弱い術らしいとわかった。
祭衣裳と聖職者の衣にも、同じ術を刺繍で組込む。
だが、自治区に駐留する魔装兵の話によると、衣服に術を付与する場合、魔力の保持や循環には特別な素材が必要で、普通の糸で刺繍しても効果がないらしい。
化学繊維では全く不可能だと言う。
綿や麻、絹なら、染料によっては効果を付与できるが、その素材は水知樹の樹液や絶光蝶の鱗粉、魔獣の消し炭など、魔獣由来のものが多い。
自治区の外では、魔法の染料素材になる植物が何種類も栽培されるそうだが、ここにはそんなものはない。
西教区の農家は、自治区民を養う食料を生産するだけで精一杯だ。
限られた農地では繊維用に綿花や麻を栽培する余裕すらなかった。
自警団は、倒した魔獣の死骸は焼却するが、単なる無害化処理だ。
クフシーンカは、フェレトルム司祭が自治区への赴任時に持参した絹糸で、祭衣裳に刺繍しながら考えを巡らせる。
世界中に居るキルクルス教徒の何人が、聖職者の衣や祭衣裳が「不完全な材料と方法で作られた魔法の服だ」と理解しているだろう。
魔法使いの目には、出来損ないの魔法の服にしか見えない代物なのだ。
……でも、ちゃんとした材料さえ揃えば、私たちにも魔法の服を作れるのね。
解放軍の侵攻後、駐留するようになった魔装兵から断片的に聞いた話をまとめると、どうやら魔法の服を本当に完成させるには、仕上げに発動の呪文を唱えなければならないらしい。
クフシーンカは、祭衣裳と聖職者の衣に刺繍する「力ある言葉の文字の形」は覚えたが、読み方は伝わっておらず、わからない。
自身の聖典は針子見習のサロートカに与え、ネミュス解放軍による襲撃時に失われたフリで通す為、今は老尼僧に借りて作業する。
司祭と老尼僧も、読み方までは知らなかった。
意味は、祈りの詞として共通語訳して伝わり、世界中のキルクルス教徒が暗誦できる。
「日月星 蒼穹巡り、虚ろなる闇の澱みも遍く照らす。
日月星、生けるもの皆、天仰ぎ、現世の理、汝を守る」
だが、何人の信徒が、これを【魔除け】の呪文だと認識した上で、何の効力も発揮しない共通語で唱えるだろう。
本来の用途が忘れ去られ、寧ろ「悪しき業」として断罪される状況は、滑稽ですらある。
クフシーンカと老尼僧はまだ、三人の見習いにそこまで説明できないでいた。時機を見て伝える心づもりはあるが、その前に、駐留する魔装兵から伝わるかもしれない。
……私はどうして、フリザンテーマたちに教わった時、信仰を失わなかったのかしらね。
反発して魔法使いを憎むでもなく、今もこうして、中途半端な魔法の服を作り続ける。
若い頃のクフシーンカは、何を思って信仰を手放さなかったのか。
半世紀の内乱を経て、大切な人を大勢失っても、魔法使いへの憎しみに囚われずに済んだのは何故か。
過去も現在も、自分の気持ちが掴めなかった。
……きちんと向き合って来なかったからかしらね?
家族や友人を失い、悲しみのどん底に居た時期はある。
だが、弟と二人で手を取り合って立ち上がり、同じように大切な人やものを失って苦しむ人々への慈善事業を展開してきた。
冬の大火の後、すぐに罹災者支援事業を打ち出せたのは、内乱中や復興期の経験に依るところが大きい。
人助けに注力することで、自分の悲しみや苦しみ、矛盾との葛藤から目を逸らし続けただけなのかもしれない。
手は慣れた動きで針を操り、力ある言葉を布の上に次々と出現させるが、心は、他所事を考えてやまなかった。
「店長さん、これ、どうしましょう?」
「無理に引っ張ってはダメよ。ちょっと貸してご覧なさい」
アルバの絡まった刺繍糸を解く間も、考えが堂々巡りし続ける。
……運び屋さんに相談してみようかしらね。
だが、こちらから連絡できなくなって久しい。
緑髪の魔女が、クフシーンカ宅を訪れるのを待つしかないのがもどかしかった。
「この手仕事の継承も、失われつつあるのですよ」
作業の休憩中、顔を出したフェレトルム司祭が、かなり上達した湖南語で嘆息した。
「特に両輪の国には、星道の職人が居る教区が滅多にありません」
「どうしてですか?」
アルバが聞いたが、フェレトルム司祭は目を伏せた。
「長くなるので、また今度、改めてお話しします」
魔法使いとキルクルス教徒が共に暮らす社会では、魔法使いの知人から知らされて、信仰を失う者が多いだろう。
「インターネット普及後、信徒が大幅に減りました。特に若いデジタルネイティブ世代には、一度も教会へ足を運んだコトがない人が多いのです」
フェレトルム司祭はいつも、リストヴァー大学で大学生から、バンクシア共和国やバルバツム連邦の様子を聞かれる度にそう言って嘆く。
身近に魔法使いが居ないキルクルス教徒でも、インターネットを通じ、信仰の矛盾に気付きやすくなったからだろう。
夏至祭直前に祭衣裳が完成するまで、この話題が星道の職人見習いたちの口に上ることはなかった。
☆建物に施された【頑強】の術を発動……市民病院の呪医と共に来た金髪の魔法使い=ラゾールニク「896.聖者のご加護」参照
☆魔力を補充するだけで自動的に発動……「482.揺るぎない嘘」~「485.半視力の視界」参照
☆緑髪の呪医は、解放軍を率いるウヌク・エルハイア将軍の親戚……「916.解放軍の将軍」参照
☆衣服に術を付与する場合、魔力の保持や循環には特別な素材が必要……「1348.魔法の糸相場」「1349.多面的な情報」「1353.染料の原材料」参照
☆聖職者の衣や祭衣裳が不完全な材料と方法で作られた魔法の服……「1417.能力を見る目」参照
☆魔法の服を本当に完成させるには、仕上げに発動の呪文……「1093.不安への備え」「1594.精神汚染の害」参照
☆自身の聖典は針子見習のサロートカに与え……「582.命懸けの決意」「583.二人の旅立ち」参照
☆ネミュス解放軍による襲撃時……「918.主戦場の被害」参照




