2015.両国の食糧難
ラズートチク少尉がランテルナ島へ戻ったのは、アクイロー基地の偵察から三日後だ。
魔装兵ルベルはその間、イグニカーンス市と首都ルフスで、アーテル共和国の食料供給状況などの調査と、トポリ基地への物資補給を兼ねて買物をした。
どちらの大都市も、スーパーマーケットの棚を埋めるのは外国製の商品だ。特に農産物は、鶏肉と卵を除き、ほぼすべて輸入品が占める。
養鶏場は、土の地面に接する平飼いや放し飼いではなく、ケージ飼いがあるからだろう。
コンクリート製鶏舎の狭いケージは、動物愛護団体から虐待だと批難されてきたが、今回はケージ飼いだからこそ、生き残れたのだから皮肉なものだ。
飼料は穀物だけでなく、出涸らしの茶葉など、食品残渣でもある程度は賄える。
細々と営業を続ける飲食店のゴミを減らし、養鶏農家は燃料高騰による高額な輸送費を上乗せされない国内で安価な飼料を入手し、卵と鶏肉の安定供給によって、アーテル人消費者の飢餓を防ぐ。
特に元々安価な鶏卵は、収入減少世帯にとって、命綱とも言える貴重な蛋白源となった。
どの店舗でも、国産鶏や卵のコーナーに人集りができる。
消費者が買い支えることで、養鶏農家もまた、生き延びられるのだ。
店内は撮影禁止の為、買い込んだものはトポリ基地で【無尽袋】を開けてから撮影した。
輸入元は全て、アーテル共和国と国交のある科学文明国だ。
周辺国は、ラキュス・ネーニア家とラクリマリス王家の顔色を窺って輸出量を絞り、じわじわ値上げした為、現在のアーテル共和国の経済力では購入が難しくなってきたのだろう。
アーテル領内では、昨秋の大規模な通信障害発生以来、衛星移動体通信の配備が進む。
細々とだが、インターネットでの商取引が回復。遠隔地の友好国からの輸入量が増大したのだ。
航空管制の通信がまだ充分回復しない為、一旦、ラニスタ共和国の空港で貨物を受容れ、陸路でアーテル領に運搬する。
東部の都市では、比較的新鮮な生野菜も手に入るが、西部のウンダ市や南西端のスークス市は絶望的だ。
各家庭では、ベランダなど自然の地面から切り離された場所にプランターを設置し、小規模な家庭菜園で気休め程度に食料を生産する。
企業は、自社工場の一部を人工栽培の野菜工場に転用し始めた。だが、出勤できる人数が少なく、火力発電用の燃料高騰による電気料金の値上げなどもあり、運用が難航する。
アーテル共和国のキルクルス教徒は勿論、【畑打つ雲雀】学派の農業魔法などは使えない。
ネモラリス共和国の農家は、【畑打つ雲雀】学派の徽章を持つ者が多いが、そう簡単には食料生産を増やせなかった。
収量を大幅に増やす【増穣】や、作物の成長を急激に早める【培即】は、呪文と魔法陣が複雑で術の行使自体が難しい。その上、畑の面積に応じて何人も人身御供が必要だ。今の時代は準禁呪扱いで、政府の特別許可がなければ使えない。
これらの術を扱える【畑打つ雲雀】学派の高位術者も、半世紀の内乱時代に大勢が殺された。
許可が降りたところで、使い手と生贄志願者が揃わなければ、どうにもならないのだ。
魔装兵ルベルは、両国政府が国民を飢餓に晒しながら、停戦に向けての働き掛けすらしない理由がわからなかった。
「アクイロー基地の地下格納庫にあった小型無人機は、バルバツム連邦製の攻撃用と判明した。動力のバッテリーは、家庭用電源からでも繰り返し充電できる。機体が小型で、どこにでも運搬しやすく、置き場所にも困らない」
「そう言えば、サリクス市の小学校でも、バルバツム軍が使っていましたね」
「あれは偵察用で、既に報告済みだ。問題は、小型で軽量な為、どこにでも収容可能で、隠し持てる点にある」
航続距離の長い機種なら、ランテルナ島北端から湖上封鎖網……ラクリマリス王家の使い魔たちの監視の目を掻い潜り、ネーニア島のネモラリス領に到達。復旧作業が進む北ザカート市が、再び攻撃に晒される可能性がある。
ネモラリス軍のレーダーは旧式で、小型無人機の電波を捕捉しきれない。
アーテル共和国は化学兵器禁止条約を批准しておらず、その気になれば、小型無人機への搭載も可能だ。
「アーテル地方のキルクルス教徒は、半世紀の内乱中も、爆撃で焼け出された住民や負傷者が多数身を寄せる神殿に化学兵器を投入し、無差別大量虐殺を行った実績がある」
少尉の説明で、魔装兵ルベルの背筋が凍る。
バルバツム兵が操縦する小型無人機は、サリクス市の小学校で、ロッカーや教室名の表示板などの障害物にぶつかることなく、狭い廊下で偵察飛行してみせた。
あの時は危険性を全く認識できなかったが、兵器としての利用法を例示され、肌が粟立つ。
「バルバツム軍が小型無人機を何機持ち込んだか不明。まぁ、民生品は普通に輸入可能で、軍需品でも、他の製品に混ぜて密輸できる大きさだ」
「アクイロー基地を破壊するだけでは、アーテル軍の攻撃を防げない……んですね?」
「そうだ。それに報道や防災、趣味の空撮など、民生品の小型無人機もある。特殊な訓練を積んだ軍人でなくとも……子供でも操縦できる」
「子供でも……?」
魔装兵ルベルは以前、アル・ジャディ将軍から受けたインターネットの説明を思い出し、呆然と呟いた。
「少年兵ですらない。民間人の子供でも、動員可能な戦力となり得るのだ」
「そんな……」
「停戦……あるいは終戦の持ってゆき方によっては、アーテルの一般人がゲリラとなり、遠隔地から小型無人機などを使って戦闘を継続する惧れがある」
「そんな……俺たちは一体、どうすればいいんですか?」
「我々軍人にできることなど、ひとつしかない」
「何でしょう?」
ラズートチク少尉は、深く息を吐いて答えた。
「与えられた任務を遂行することだ」
魔装兵ルベルは、上官の言葉に頷くしかなかった。
☆周辺国は(中略)じわじわ値上げ……「0285.諜報員の負傷」参照
☆昨秋の大規模な通信障害……「1218.通信網の破壊」~「1222.水底を流れる」参照
☆衛星移動体通信の配備……「1230.又とない好機」「1225.ラジオの情報」「1257.不備と不手際」「1262.沈みゆく泥船」「1293.ずれた解決策」参照
☆サリクス市の小学校でも、バルバツム軍が使っていました……「1854.戦い方の違い」「1855.見鬼の見え方」参照
☆ラクリマリス王家の使い魔たちの監視……「749.身の置き場は」「869.復讐派のテロ」参照
☆神殿に化学兵器を投入し、無差別大量虐殺……「0240.呪医の思い出」「359.歴史の教科書」「685.分家の端くれ」「1626.異教徒を狩る」参照
☆アル・ジャディ将軍から受けたインターネットの説明……「410.ネットの普及」「411.情報戦の敗北」参照




