2014.予定外の任務
魔装兵ルベルとラズートチク少尉は、地下街チェルノクニージニクの定宿に腰を落ち着けた。
少尉が部屋に【防音】を掛け、紙袋をルベルに寄越した。
「食べながら聞いてくれ。アミトスチグマに派遣中の駐在武官が、夏の都で購入したものだそうだ」
「了解」
サンドイッチと羊肉の串焼きだ。
寝台に腰掛け、すっかり冷えて固くなった肉にかぶりつく。
「アクイロー基地への攻撃は延期になった」
「いつまでですか?」
「まず明日は、小型無人機の調査だ。私一人で地下格納庫に侵入。写真と動画を撮影する」
「少尉お一人で、ですか?」
「お前は【姿隠し】が使えんだろう。私一人の方が身軽だ」
「了解」
ラズートチク少尉は、どの学派の徽章も身に着けないが、【偽る郭公】学派の術を幾つも使いこなせるらしい。
「アクイロー基地への攻撃は、小型無人機の情報を総司令本部が吟味してからになる」
「それまでずっと待機ですか?」
「いや。アーテル本土で買物し、生産体制や輸入状況を調査。物資はトポリ基地へ運搬せよ」
「了解」
ラズートチク少尉が、作業服のポケットから買物メモを何枚も取り出した。別のポケットから【無尽袋】を二枚出して寝台に並べた。
「お前は、外出を恐れるアーテル人から買物代行の依頼を受け、メモと現金を預かったマコデス人の魔獣駆除業者だ」
「了解」
メモは全て、筆跡、用紙の種類、筆記具が異なる。
小麦粉、肉類の缶詰、野菜ジュース、常温で長期保存可能な牛乳、粉ミルクなどの保存食が中心だが、玉葱などの日持ちする野菜、処方箋なしで買える医薬品、消毒液や紙おむつ、歯ブラシなどの日用品も並ぶ。
メモの裏面は、表と同じ筆跡で、アーテル人によくある名前と預けた金額が書いてあった。
「資金は魔獣駆除で得たアーテルの現地通貨を充てる」
「了解」
少尉はウェストポーチから薄い布袋とアーテル本土にある銀行の封筒を出した。行名はバラバラだ。その上に札束を乗せた。
「食べ終わったら、メモの金額通りに分けて入れろ」
「了解」
ルベルは急いで羊肉を飲み下した。
ラズートチク少尉は、翌朝早く宿を出た。
魔装兵ルベルは、営業開始時刻まで待つ。魔哮砲を収容した【従魔の檻】を胸ポケットに移し、現金とメモを入れた封筒をウェストポーチに捻じ込んで、定食屋へ向かった。
以前、オリョールを見た獅子屋を避け、初めての店に入る。
安い定食屋は、薄汚い身形の客が大半で、小綺麗な形のルベルは浮いて見えた。パンと卵を焼く匂いに何とも言えない臭気が交じり、吐き気を催す。
トーストと茹で卵を持ち帰りにして、珈琲スタンドに移動した。
……あれ全部、本土から来た力ある民なのか。
冥い思いに囚われ、雑妖が滲み出す人の群は、彼ら自身が異形に見えた。店舗に掛けられた【魔除け】の力で、涌き出す端から消滅するが、よくない傾向だ。
買物の場所は、アーテル本土のどことは指定されなかった。まずはランテルナ島から最も近いイグニカーンス市へ跳んだ。
メモ一枚につき、スーパーマーケット一店舗と決めて回る。
一軒目の商品棚は充実し、数量、種類共に豊富な品揃えだ。
缶詰などは自国製が少なく、ラニスタ共和国、ディケア共和国、バルバツム連邦製の順で多い。
缶詰を各四個ずつと二キログラム入りのパスタ四袋を入れると、レジ籠がいっぱいになった。カートの下段に下ろし、上段に乾燥野菜や砂糖、小麦粉などを積んでゆく。
これも、ラニスタ産と湖東地方産が多い。
アーテル共和国の食料自給率が元々どの程度だったか知らないが、土魚の拡散で国産生野菜の生産と出荷は絶望的だろう。
野菜売場を見ると、案の定、全て外国産だ。傷みやすい葉物野菜は全くなく、玉葱や南瓜、パプリカなど、輸送に耐え日持ちするものばかりだ。
それも「お一人様一個限り」の表示がある。
若い女性が玉葱に手を伸ばしかけたが、値札を見て引っ込めた。
「おかしほしーい!」
「お菓子なんてないでしょ。これ、おじいちゃんのごはんなの」
中年女性が介護食のパックを手に幼児を宥めすかす。
通路の床は、いかにも子供が好みそうな花や動物の絵に彩られるが、両脇の棚に収まるのは、レトルトの介護食や栄養補助食品だ。
買物のメモにはなかったが、封筒の中身と相談して、これも少し買う。
「えっ? こんなに? お一人で?」
「頼まれ物なんで、レシートか領収証下さい」
会計係はそれ以上言わず、籠二杯山盛りの商品を黙々と処理した。
銀行の封筒に釣銭とメモを入れ、買った物とまとめてレジ袋に詰める。パンパンに膨らんだレジ袋は【無尽袋】に入れた。
地元の買物客が、掌大の巾着袋に大きなレジ袋が次々吸い込まれる様に息を呑む。誰も何も言わないので、ルベルも余計なコトは言わず、さっさと次の店へ移動した。
どの店も、アーテル共和国の国産品は殆ど見当たらない。
イグニカーンス市内のスーパーマーケットは、輸入品でどうにか生活必需品の供給を維持するようだ。
……魔獣のせいで出勤できなかったら、製造が止まるだろうしなぁ。
労働者自身は勤務可能な状態でも、現在は全学校園が休校措置の対象となり、子供の預け先がなくなった。幼い子供だけでは留守番させられず、昼食の用意も必要だ。
土魚の群は、アーテル各地の校庭を中心に出現し、周辺に拡散。地方都市では農地にも広がり、家畜にも甚大な被害が発生した。
魔物がこの世の生き物を喰らえば受肉して実体化し、実体を得た魔獣が更にこの世の生き物を喰らえば、際限なく大きく強くなる。
小型の魔獣なら、通常兵器でも倒せなくはない。だが、死骸を放置すれば、そこから新手が涌く。魔獣の死骸を喰らって即座に受肉し、この世の生き物を喰らった個体より強くなる。
死骸を焼却しようにも、湖上封鎖で燃料の輸入が滞り、燃料不足で車輌の通行規制が続く。
燃料不足を補う為、ランテルナ島の葬儀屋を呼び出すが、身の安全を保証されない為、応じる者は少ない。
企業の倒産や、個人事業主の廃業が相次ぎ、各地で一家心中が増加。しかし、土魚に阻まれ、現場となった家屋から遺体の回収さえままならず、そこからまた新手の魔物が涌いた。
……まぁ、カネはあるとこにはあるみたいだし、輸入の資金がなくなるコトはないんだろうけど。
魔哮砲戦争の開戦後、アーテル共和国の貿易収支は月を追う毎に増大する。
半世紀の内乱後の三十年あまりで築き上げた「魔術に依らない純粋な科学」の産業構造は、崩壊しつつあった。
☆【姿隠し】……「707.奪われたもの」参照
☆オリョールを見た獅子屋……「1777.魔獣との戦争」参照
☆湖上封鎖で燃料の輸入が滞り、燃料不足で車輌の通行規制……「802.居ない子扱い」参照
☆ランテルナ島の葬儀屋を呼び出す……「1478.葬儀屋の買物」参照




