2009.魔哮砲と再会
魔装兵ルベルは、久し振りに小さな魔哮砲の夢を見た。
夢の中での生々しい感覚は以前と同じだが、目覚めと同時に記憶が霧消した。身を起こした瞬間、内容は忘却の彼方だ。
誰かの手でやさしく撫でられる心地よい感触。夢で感じた言語化し難い感覚だけが朧げに残る。
「体調はどうだ?」
「大丈夫です。問題ありません」
ラズートチク少尉に声を掛けられ、いつも通りに応じる。
二人はランテルナ島の地下街チェルノクニージニクの宿を出て、地上の街カルダフストヴォーの広場へ向かった。
今月から、五の付く日にスクートゥム王国の行商人が、露店市を開くようになったのだ。
これまでは、ランテルナ島の小売店への卸売りが中心だった。
だが、印暦二一九三年六月末、国連安保理決議による武器禁輸措置と、経済大国二十カ国会議の経済制裁で、ネモラリス共和国の貿易が停止した。飢えを凌ぐ為、外国に土地勘のあるネモラリス人が、身内や隣近所から引受けて買出しに跳ぶ。
スクートゥム王国の行商人たちは、その需要を満たす為、一般向けの小売りも始めたのだ。
いつ戦闘が再開するとも知れない曖昧な状況が続き、ラクリマリス王国による湖上封鎖が長期化する。
ネモラリス領では、ネーニア島西部がスクートゥム商人の主な交易地だったが、クブルム山脈以北の都市は、未だに立入制限が解除されない。港湾や防壁など、大型設備は復旧が進んだが、住民帰還は時期が話題に上ることすらなかった。
七月二十五日は好天に恵まれ、カルダフストヴォー市の中央広場には、食料品を中心に様々な露店が並ぶ。【炉盤】や【無尽の瓶】【保冷布】など、魔法の日用雑貨を商う者も多い。
スクートゥム商人は、染料や薬素材の産地が大打撃を蒙ったと耳にしたらしい。専門店だけでなく、それらを他の品のついでに持ち込んだ商人も居た。
「そりゃ、ラクリマリス王家は貨物船に通行許可証を出してくれたさ」
「でもな、ランテルナ島の南はまだ、わけわからん爆発が続いてるし、北側だって、あの、何だ?」
雑貨の露天商が、乾物の露天商に顔を向ける。
「ミサイル」
「そう、その、それの射程範囲だ。ネモラリスの防空艦、あれ一発で撃沈したんだろ?」
「貨物船なんざイチコロだ」
「連絡つかなくなった会社が多いし、臨時政府も財政が火の車じゃ、まともな額で取引できるか怪しいもんだ」
「ここに持って来りゃ、ちゃんと交換品用意して来たネモラリス人や、本土で魔獣狩りしてる出稼ぎ連中が魔獣素材で払うからな」
「今は小商いでコツコツやってくしかないんだよ」
ラズートチク少尉が、マコデス共和国から来た出稼ぎ駆除屋のフリで水を向けると、商人たちは愚痴混じりにペラペラ喋った。
魔装兵ルベルは、情報収集を少尉に任せ、買出しに専念する。
今日の目当ても、食料品と薬素材だ。
まずは、雑貨の露天商で【無尽袋】と【軽量】の袋を買う。
今は夏野菜が旬だ。トポリ基地の陸軍病院で、管理栄養士から教わった栄養バランスと保存性を考え、茄子と南瓜、ズッキーニ、豆類などを【軽量】の袋に詰めてゆく。
種子を蒔けば芽が出る「生きた野菜」は【無尽袋】には詰められない。
乾物など加工済みの「死んだ野菜」と、小麦粉などを一カ所につき常識的な量だけ買って【無尽袋】に詰めて回った。
ラズートチク少尉も、世間話のフリで情報収集しつつ【軽量】の袋で買物する。
思った以上に買物客は多いが、魔法の服を着た者ばかりだ。
「ネーニア島には、売りに来られないのですか?」
聞き慣れた声が耳に入り、ルベルはギョッとして振り向いた。
広場は人でごった返し、声の主を特定できない。
「あー、無理無理。俺の知ってる街はどこも立入制限中だ」
「では、トポリ市などへご案内すれば、いかがでしょう?」
「まだ麻疹が燻ってるそうじゃないか。他の街もどうだか」
「トポリ市の麻疹はワクチンが行き渡って、概ね鎮圧できたようですが」
「でも、世界保健機関は、流行国指定を解除してないだろ」
ルベルは人波を掻き分け、耳に馴染んだ声と行商人の遣り取りが聞こえる辺りへ進んだ。
「えぇ。それはそうなのですが」
「あんたらが、ここでいっぱい買って届けてやりゃいい。【無尽袋】と【軽量】の袋は、組合がお代の一部を負担して相場より安く売ってんだ」
行商人は、これが精一杯の譲歩だと言いたげに突っ撥ねた。
誰だって、安全を確認できない場所へは行きたくないだろう。スクートゥム政府の意向もあるかもしれない。
ネモラリス人にとってお馴染みの声は、それきり聞こえなくなった。
「どうした?」
「国営ラジオの……放送じゃなくて、どこかその辺でアナウンサーの声が聞こえました」
ルベルが耳に入った遣り取りを報告すると、上官は人混みを見回した。
「ジョールチ氏は生きていたのだな」
「顔をご存知なのですか?」
「今はやめておこう。どうせまた、買物に来るだろう」
ルベルはラズートチク少尉に促され、買出し任務を続行した。
「ラズートチク少尉、魔装兵ルベル。直ちに総司令本部へ帰投せよ」
「了解」
トポリ基地司令官の指示で、二人は荷物を陸軍病院に預けてすぐ、ネモラリス軍総司令本部へ【跳躍】した。
「魔哮砲の傷が癒えた。現在は、北ザカート市に停泊中の防空艦ノモスに居る」
密議の間で、アル・ジャディ将軍に教えられ、魔装兵ルベルは背筋を伸ばした。ここしばらく身体に痛みを感じなかったのは、魔哮砲がかなり回復したからだとわかり、ホッとする。
「アクイロー基地が復旧し、ラングースト半島に無人機と有人の爆撃機が集結しつつある」
ルベルは初耳で息を呑んだが、ラズートチク少尉は小さく顎を引いただけだ。
「復帰早々だが、魔哮砲の状態確認も兼ね、日のある内に【索敵】で偵察。今夜にも、アクイロー基地と敵航空戦力を殲滅して欲しい」
「了解」
「くれぐれも無理はせぬようにな」
二人は急いで北ザカート市へ跳んだ。
七月の空はまだ明るい。
防空艦ノモスの艦長室へ通されると、文字通り、夢にまで見た闇の塊が居た。ルベルを視認した瞬間、ぷるんと身を震わせて這い寄る。
魔哮砲の操手ルベルは、大型バイク程度にまで縮小した使い魔を両腕で抱きしめた。
☆小さな魔哮砲の夢……「1515.白衣の者たち」「1638.ちいさきモノ」「1711.接続を調べる」参照
☆スクートゥム王国の行商人が、露店市を開く……「1953.二日目の予定」「1999.行けない土地」参照
☆国連安保理決議による武器禁輸措置と、経済大国二十カ国会議の経済制裁……「1842.武器禁輸措置」「1843.大統領の会談」「1844.対象品の詳細」「1851.業界の連携を」「1862.調理法と経済」「1868.撤回への努力」参照
☆わけわからん爆発が続いてる……ネモラリス軍工兵部隊の仕業「1240.基地局の種類」「1261.対クレーマー」参照
☆ネモラリスの防空艦、あれ一発で撃沈……「0274.失われた兵器」、それの射程範囲「1171.泳がせて探る」「1172.対誘導弾防空」参照
☆トポリ市の麻疹……「1474.軍医の苛立ち」参照
☆トポリ市の麻疹はワクチンが行き渡って、概ね鎮圧……「1514.イイ話を語る」参照
☆魔哮砲の傷……「1473.身を切る痛み」参照




