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すべて ひとしい ひとつの花  作者: 髙津 央
第六十章 漸進

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2055/3515

2005.ミシンで負傷

 「いッ……!」

 何かが引っ掛かったようなくぐもった異音がした。

 向かいの席で後輩の針子サロートカが顔を歪め、工業用ミシンが止まる。


 「どうしたの?」

 針子のアミエーラもミシンを止めて声を掛けたが、サロートカは困った顔をこちらに向けただけで、言葉が出ない。

 別の作業机で刺繍する二人も手を止め、アステローペが声を掛けた。

 「サロートカちゃん、大丈夫?」

 サロートカは石のように動かない。


 アミエーラは作業机を回り込んで、サロートカの手許を見た。

 厚手のカーテンに血が滲む。サロートカが、涙目でアミエーラを見上げた。

 「ど……どうしましょう?」

 「どうって……ちょっと我慢してね」


 ミシンを手動で動かすハンドルを逆方向にゆっくり回転させ、針を引き上げる。糸を長く引き出して切り、血に染まったカーテンからサロートカの手をそっと動かした。

 サロートカが身を固くして息を呑み、横から覗いたアステローペとエレクトラが声を呑む。

 ミシン針が彼女の左手中指の爪を横断し、三針縫い込んだのだ。割れた爪から血が溢れる。


 アミエーラは、待ち針で慎重に糸を引っ掛け、サロートカの指から引き抜いた。

 血染めの糸をゴミ箱に捨て、呪歌【癒しの風】を(うた)う。


 「青い翼 命の蛇呼んで 無限の力 今 ここに来て

  翼 はたはたと 癒しの風を送る ひとつの風を


  泣かないでね この痛みすぐ癒す 今から心こめ癒すから

  命 繕って 苦しみ去って 元気になった 見て ほら……」


 難民キャンプで何度か、怪我人を前に(うた)ったからだろう。自分で思った以上に落ち着いて、しっかり魔力を乗せられた。

 呪歌が進むにつれて新しい爪が再生し、割れた爪がその分、剥がれ落ちる。


 「……傷ついても この痛み平気なの 言葉に力乗せ癒すから

  命 補って 痛みは去って 元に戻った 元気 ほら


  (あざ)と火傷 この痛みすぐ消える 魔力を注いで癒すから

  体 (つくろ)って 痛みを拭い 元に戻った 見て ほら


  青い翼 命の蛇呼んで 無限の力 今 ここに来て

  翼 はたはたと 癒しの風を送る ひとつの風を」


 サロートカの爪は、外見はすっかり治ったように見えるが、アミエーラには内部がどうなったかわからず、自信がなかった。

 「多分、治ったと思うけど、アウェッラーナさんに診て」

 「私、呼んできます!」

 アミエーラに皆まで言わせず、アステローペが作業部屋を飛び出した。



 「サロートカさん、手の具合はどうですか?」

 「えっと、もう痛くないです」

 薬師(くすし)アウェッラーナは、魔法薬作りを中断して、すぐ来てくれた。

 呼びに行ったアステローペだけでなく、別室で薬師の手伝いをするアルキオーネとタイゲタも、心配して様子を見に来た。


 「念の為にちょっと診てみますね」

 薬師アウェッラーナがサロートカの手を取り、アミエーラの知らない呪文を唱えた。


 「大丈夫です。骨に異常ありません。ちゃんと治ってますよ」

 緑髪の薬師に微笑を向けられ、サロートカが泣き笑いでアミエーラに何度も礼を言うが、声が震えて言葉にならない。アミエーラは安堵で膝から力が抜け、作業机に手をついて辛うじて身体を支えた。


 「爪と……血が付いたのは、この布だけですか?」

 薬師アウェッラーナに聞かれ、アミエーラはゴミ箱に飛びついた。

 「糸……!」

 いつもの癖で普通に捨ててしまった糸屑を慌てて(あさ)る。

 幸い元の色は白だ。血に染まった糸はすぐみつかった。


 「えーっと、水は……?」

 薬師アウェッラーナが作業部屋を見回す

 「私、お台所でもらってきます!」

 「じゃあ、ついでに香草茶を入れてもらって、休憩にしましょう」

 「手伝うわ」

 アステローペが頷いて飛び出し、エレクトラが続いた。


 言われてみれば、確かに針子の二人は動揺して、今は作業できそうもない。

 アミエーラは何か言わなければと思ったが、頭の中が真っ白で言葉がまとまらなかった。動揺と恐怖、安堵と申し訳なさがごちゃ混ぜになり、どんな顔をすればいいやらわからない。


 「ねぇ、もう治って大丈夫でしょ? そんな酷かったの?」

 「ミシン……爪……縫っ……」

 サロートカが、言葉の断片を嗚咽の間からアルキオーネに返す。

 タイゲタが、無言で工業用ミシンと血染めの布、サロートカの手に視線を巡らせた。



 アステローペとエレクトラが戻り、香草茶の清冽な香りで呪縛が解ける。


 薬師アウェッラーナが【操水】で水差しから中身を引き出した。

 「ここは処理しておきますから、先にえっと、パソコンのお部屋で休憩してて下さい」

 「サロートカちゃん、立てる?」

 アステローペがサロートカの肩に手を置くと、彼女はこくりと頷いて立ち上がった。

 「アミエーラさん、アウェッラーナさん、有難うございます」

 「い、いいのよ。ちゃんと治ってよかったわ」

 「私は診ただけですから」

 サロートカは何度も礼を言い、アステローペに手を引かれて作業部屋を出た。エレクトラがお茶の乗ったワゴンを押してついてゆく。


 アルキオーネとタイゲタが会釈して出てゆくと、薬師アウェッラーナは、力ある言葉で水にゆっくり命令した。


 「清き水 流れ浸み込め 洗い清めよ」


 宙に浮いた水が、生き物のように動き、ミシンの上で赤くなったカーテン生地を這う。血染めの部分にすっと浸み込み、すぐ浮き上がった。布から引き剥がされ、抱えられた血の染みが水塊に薄く広がり、すぐに紛れてわからなくなる。

 水塊の一方の端が、作業机に散らばる爪の破片を回収した。


 「手を開いて下さい」

 水塊が、アミエーラの手から血に染まった糸を取る。

 「外で焼きます」



 アウェッラーナは、台所の勝手口から裏庭へ出た。

 宙に浮いた水塊に続いて、アミエーラも外へ行く。

 「小石で、土に円を描いてもらっていいですか? 歪んでもいいので、端はしっかり閉じて下さい」

 言われるまま小石を拾い、刺繍枠くらいの円を描いた。

 薬師アウェッラーナが頷いて、力ある言葉をゆっくり唱える。


 「塵芥(ちりあくた) 吐き出しそこへ 清まれ水よ」


 水が円内に不純物を吐き出す。

 緑髪の薬師は、庭木の根元で水を解放した。

 「アミエーラさん、【炉】は使えるようになりましたか?」

 「呪文は暗記しましたけど、実践はまだです」

 「じゃあ、どうぞ」

 細い落ち枝を拾って渡された。

 アミエーラは枝を円の中心に立て、覚えたての呪文を唱えた。


 「日輪(にちりん)の小さき欠片(かけら) 舞い降りよ 輪の内に 灯熱(あかりほとぼり) 火よ()きよ」


 円内で小さな炎の輪が踊り、枝に燃え移る。手を離すと当然倒れたが、円から出た部分には燃え広がらない。

 アウェッラーナは靴で地面をこすって円と火を同時に消し、アミエーラに微笑んだ。

 「大分、魔力の扱いが上手くなりましたね」

 「まだ怖くて、一人じゃ使えないんですけど」

 「私も、子供の頃はそうでしたよ」

 「子供……」

 「アミエーラさんはまだ、魔法を習い始めて一年くらいなんですし、そのくらい用心深い方がいいんですよ」

 気休めではなく、魔法使いの常識なのだろう。

 アミエーラは少し気持ちが楽になった。

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野茨の環シリーズ 設定資料
シリーズ共通設定の用語解説から「すべて ひとしい ひとつの花」関連の部分を抜粋。
用語解説01.基本☆人種など、この世界の基本
用語解説02.魔物魔物の種類など
用語解説05.魔法☆この世界での魔法の仕組みなど
用語解説06.組合魔法使いの互助組織の説明
用語解説07.学派【思考する梟】など、術の系統の説明
用語解説15.呪歌魔法の歌の仕組みなど
用語解説11.呪符呪符の説明など
用語解説10.薬品魔法薬の説明など
用語解説08.道具道具の説明など
用語解説09.武具武具の説明など
用語解説12.地方 ラキュス湖☆ラキュス湖周辺の地理など
用語解説13.地方 ラキュス湖南 印暦2191年☆「すべて ひとしい ひとつの花」時代の地図と説明
用語解説19.地方 ラキュス湖南 都市☆「すべて ひとしい ひとつの花」時代の都市と説明
地名の確認はここが便利
用語解説14.地方 ラキュス湖南 地理☆湖南地方の宗教や科学技術など
用語解説18.国々 アルトン・ガザ大陸☆アルトン・ガザ大陸の歴史など
用語解説20.宗教 フラクシヌス教ラキュス湖地方の土着宗教の説明。
用語解説21.宗教 キルクルス教世界中で信仰されるキルクルス教の説明。
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