2000.飲み物の不足
昼食後、ファーキルが作業部屋に追加資料を持ってきた。
「今月中旬までの中間報告書、ついさっき、アミトスチグマ王国医師会からメール来ました」
「有難うございます。どんな報告です?」
薬師アウェッラーナは、完成した濃縮傷薬を詰めたプラ容器に蓋をしながら聞いた。
「カルテの集計結果から、死因の上位と受診が多かった疾患の上位、それぞれ二十位までです」
A4サイズ一枚にまとめられた一覧表と色分けされた円グラフだ。
死因は、相変わらず魔獣と野生動物による咬傷や捕食が最多だ。次いで熱中症、脳梗塞が続く。
「脱水で血の巡りが悪くなると、脳梗塞や肺塞栓を起こしやすくなるので、屋外作業の人は、熱中症予防も兼ねて、もっと水分を摂ってもらった方がいいですね」
「医師会からの改善案にも、そう書いてありました。衛生面でちょっと不安はありますが、使用済みのペットボトルも水筒として使った方がいいのかなって、今、相談中なんです」
「え? 飲み物って、新しいの入って来ないの?」
アルキオーネが形のいい眉を顰める。話に口を挟んでも、手は乳鉢の中で地虫を擂り潰す動きを止めなかった。
「飲み物を大口寄付してくれてたの、日之本帝国企業のアミトスチグマ支社だったんです」
「あー……」
日之本帝国にはキルクルス教徒が少ないが、軍事同盟を結ぶなどバルバツム連邦とは繋がりが強く、経済大国二十カ国会議の中でも、主要七カ国に数えられる。
寄付の打切りは、やむを得なかった。
「その代わり、鉄とアルミの空缶を寄付するって、パテンス神殿信徒会に打診が来たそうです」
「は? 飲み物じゃなくて、ゴミを寄付?」
アルキオーネが手を止めて声を荒げる。
「金属素材を寄付してくれるんですよ」
「素材?」
「あぁ、そう言えば、槍の穂先とか鏃とか、作ってますね」
タイゲタが言うと、アルキオーネは表情を緩めた。
ファーキルが緊張を解いて言う。
「アミトスチグマ王国では、飲料の空缶やペットボトルは飲料メーカーが回収するんですけど、それを寄付してくれるそうです」
「へぇー……?」
「今、ゲオドルム共和国とか、チヌカルクル・ノチウ大陸の東部は割と景気良くて、金属需要が高まってるんです」
「それで?」
アルキオーネが、話が見えないと言う顔で先を促す。
「空缶もですけど、側溝の蓋とか、公衆トイレの蛇口まで盗まれたりしてます」
「は?」
アルキオーネが気の抜けた声を出し、アウェッラーナも驚いて薬のプラ容器を落としそうになった。
「そのくらい金属の買取価格が高騰してます。で、敢えて金属を寄付してくれるそうです」
「つまり、それを高く買取ってくれるところに売って、食べ物や飲み物を買ってもいいし、鏃とか作るのに使ってもいいってコトですね?」
アミトスチグマ領内で消費された飲料の缶を回収し、地元の慈善団体に寄付する分には、経済制裁に抵触しない。その寄付を慈善団体がどう使おうが自由だ。
薬師アウェッラーナが、封をした濃縮傷薬を木箱へ収めながら聞くと、ファーキルは力強く頷いた。
「そうだと思います。それで今日、信徒会の幹部の方々が会議をして、数日中には先方さんへ回答するそうです」
彼らが断っても、受取って他の支援対象への活動資金に回しても、ネモラリス難民には文句は言えない。
アルキオーネが地虫を擂り潰す作業を再開した。タイゲタも、午前中で慣れてきたらしく、サクサク作業を進める。
「熱中症のお薬って、まだ在庫ありますか?」
「今のところ何とかなってます。去年の今頃と比べると、死者数は少ないんですけど」
「それでも多いですよね」
「蔓草細工の帽子と日除けテントが順調に行き渡って来てるんで、もう少し経てば、もっとマシになると思うんで、どうにか持ち堪えて欲しいんですけどね」
「そうですねぇ」
薬師アウェッラーナは溜息を抑え、無塩バターを開封して頷く。
打てる手は次々打ったが、それでもこんな状態だ。命が助かっても、後遺症が残れば、その後の困難は計り知れない。
重度なら、高度な術を時間を掛けて何度も行使しなければならない。だが、難民キャンプには、その術を使える呪医が少なかった。現在の診療体制では、機能回復が不可能だ。
軽度でも、理学療法士が不足し、リハビリできない区画が多い。
「今日は取敢えず、濃縮傷薬を作って、明日、血栓を溶かすお薬を作ります」
「有難うございます。明日からは、できた分から、アサコール党首たちが手分けして現地に運ぶので、数量の記録をお願いします」
「了解」
それには、アルキオーネとタイゲタが声を揃えて応じた。
ファーキルがパソコン部屋へ戻り、薬師アウェッラーナは作業に集中した。
緑色の軟膏にラードを加えて濃縮し、その深緑の芯を集めてバターを加え、更に濃縮する。完成した濃縮傷薬をプラ容器に収め、周辺に残った普通の傷薬は深皿へ戻した。
一度に動物性油脂と馴染む量には限りがある。何度も同じ操作を繰返し、全て濃縮が終わったのは、夕飯の時間を少し過ぎた頃だ。
使用人が呼びに来たが、【保冷】箱から出して開封したバターは、使い切ってしまわなければ、劣化してしまう。
他のみんなには先に食べるよう、使用人に伝言してもらったが、アルキオーネとタイゲタは、アウェッラーナに付き合って残った。
アルキオーネは割当て分の地虫をすべて粉末に加工済だ。タイゲタも、もう少しで終わる。
二人は完成品を数えて記録し、片付けも手伝ってくれた。
「有難うございます。手を診せてもらっていいですか?」
「見て、どうするの?」
「治療が必要なら【癒しの風】で……あ、お二人が魔法の治療に抵抗あるようでしたら、無理に治したりしません」
薬師アウェッラーナは慌てて付け加えた。
「大丈夫。魔法の歌で治すのよね? 一回、見てみたかったの」
アルキオーネが何でもないコトのように言い、タイゲタも顎を引いて右掌を湖の民の薬師に向けた。二人とも、乳棒を使い続けた利き手の掌で肉刺が潰れ、剥けた皮が痛々しい。
薬師アウェッラーナは一歩退がり、ひとつ大きく息を吸って謳い始めた。
力ある言葉に魔力を乗せる。魔力の流れが風を起こすが、誰の髪もそよがない。この世の物質を動かす風ではないからだ。
青き片翼の風を受けた二人の皮膚が、見る見るうちに修復される。
アーテル共和国出身の少女二人は、自分の手を瞬きもせず見詰める。
呪歌が終わると、二人は左手の人差し指で、肉刺があった右掌をそっと撫でた。
「痛くない……! これが……魔法」
「なんだか、タイムプラス映像を見てるみたいでした」
キルクルス教の信仰を捨てた二人は、茫然とした顔で礼を言った。
☆槍の穂先とか鏃……槍の穂先「1750.ないよりマシ」、鏃「1749.自警団の戦い」参照
☆蔓草細工の帽子……「1927.細工物の先生」参照
☆日除けテント……「1962.日除けテント」参照
☆魔力の流れが風を起こす/この世の物質を動かす風ではない……「872.流れを感じる」参照




