1998.擂り潰す素材
案内された部屋は、四トントラックの荷台の二倍くらいの広さだ。
どっしりした木製の作業机が三台並ぶ。一目見てわかる年代物のいい品だ。
中央の机上には、魔法薬作りに必要な器材が過不足なく並ぶ。こちらは、どうやら新品を揃えてくれたらしい。
入って右手の壁際には、木箱や膨らんだ麻袋が幾つも詰まれ、会議机二台分くらいの作業机の下には、水瓶と屑入れが並ぶ。
反対側の壁際には、空の容器や袋、薬包紙が詰まった木箱が五つあった。
椅子は、中央の机だけ一脚で、背もたれ付きだ。左右の二台には、四脚ずつ、学校の理科室にあるような背もたれのない四角い木の椅子が並ぶ。
薬師アウェッラーナは、クリアファイルから一覧の束を出して捲った。三枚目からが、用意した素材の一覧だ。
「魔法薬が完成しなくても、素材の下拵えができていれば、難民キャンプの薬師さんがかなり楽になるので、よろしくお願いします」
「わかったわ。どの虫を潰せばいいの?」
黒髪の歌姫アルキオーネが前のめりに聞き、眼鏡の歌姫タイゲタが顔を引き攣らせる。
薬師アウェッラーナは、素材の一覧にざっと目を走らせ、部屋の右手に積まれた素材を確認した。
麻袋の荷札を見て、口紐を緩める。口を括ったビニール袋に大量の虫が詰め込んであるが、水抜きされて一匹も動かなかった。
「擂り潰して使うのは、地虫と蛇紋豆蛾の蛹ですね。空色甲虫は、硬い翅と頭と胴の三つに分けて、次の処理はまた後で説明します」
「ハネを毟るんですね」
タイゲタが袋の中身から目を逸らし、魂の抜けたような声を出す。
薬師アウェッラーナは、彼女の頑張りを認めて微笑んだ。
「そうです。乾燥処理されて脆くなっていますから、ピンセットを使って全体が粉々にならないように気を付けて欲しいんですけど、できそうですか?」
「他は……どんな作業があるんですか?」
「えーっと……」
アウェッラーナは麻袋を次々開けて見た。
植物素材の枯れた部分などは、きちんと取り除かれ、木の皮は削って細かくしてある。木の実も、殻を剥き、あるいは鞘から出されて、いつでも使える状態だ。
木箱の中身は植物油とアルコール、医療用に生成された高純度の炭酸ナトリウムや塩化ナトリウム、カフェイン結晶などの基礎素材。【保冷】の呪印が刻印された木箱の中身は、一キログラムずつ小分けで放送されたラードと無塩バターだった。
「まずは、植物油を真ん中の机に運んでもらっていいですか?」
「わかったわ」
アルキオーネとタイゲタは、油瓶が詰まった木箱を両側から抱えて持ち上げ、二人掛かりで机の傍へ運ぶ。
傷薬になる薬草は、四十リットル入り麻袋で五つ分あった。
難民キャンプでも傷薬までは作れるが、保冷の設備や道具が不足し、バターを保管できない為、濃縮傷薬は作れない。傷薬で間に合う程度の負傷なら、呪歌【癒しの風】でも繰り返し謳えば治せる。
……中間素材として、傷薬をたくさん作って、午後から全部、濃縮傷薬にした方がよさそうね。
熱冷ましになる地虫も大量にある。
薬師アウェッラーナは、中央の机の傍に薬草の袋を移動すると、左右の机に地虫の袋、乳鉢と乳棒、薬匙、ピンセット、白く大きい平皿を置いた。
「熱冷ましの下拵えをお願いします。地虫を三匹か四匹ずつ、完全に粉末状になるまで擂り潰して、粉はお皿に移して下さい」
「わかったわ」
「が、頑張ります」
「粉を移す時は、薬匙を使うと便利ですよ」
両端に掬う部分があり、一方の端が大きく、他方は小さい。その隣に置いたピンセットに気付いたらしく、タイゲタの顔色が少し良くなった。
木箱に入った植物油の瓶は、十二本すべてが安価な菜種油だ。
植物油なら何でもいいので問題はない。だが、アウェッラーナは予算不足を肌で感じ、気持ちが沈んだ。
……でも、手に入るだけ、まだマシなのよね。
アウェッラーナは重ねて置かれた深皿を十二枚並べ、菜種油を開封した。麻袋から薬草を一束取り、力ある言葉を唱える。
「元は根を張る仲間たち 土に根を張る仲間たち
油ゆらゆら たゆたい馴染め
緑の仲間と生命結い 溶け合い結ぶ生命の緒
基はひとつの生命の根 結び留めよ 現世の内に」
視界の端で、おっかなびっくり作業を始めた二人が動きを止めた。
植物油が瓶から生き物のように動いて宙に浮く。乾燥した薬草の束を呑むと、草の形が溶け崩れた。緑色に染まった油が宙で揺らめく。
薬師アウェッラーナにとは見慣れた工程のひとつに過ぎないが、アーテル共和国出身の若い二人にとっては、初めて目の当たりにする「魔法薬の製造工程」だ。
緑髪の薬師が次々と薬草を追加するのを瞬きも忘れて見入る。
二種類の素材が霊的に結合し、全く異なる物体に姿を変える。植物油一瓶と薬草二十四束で、緑色の軟膏が深皿のひとつを満たすと、左右から拍手が起こった。
「それって何のお薬なんですか?」
「傷薬です。体表の浅い傷専用で、傷口を洗ってから塗ります」
「へぇー……」
「浅い裂傷や擦過傷、火傷向けで、力なき民でも使えるんですけど、【薬即】の術と併用した方が早く治りますね」
タイゲタの質問に答えながら、次の瓶を開けた。
「今回は中間素材で、納品は濃縮傷薬にするつもりです」
「どう違うんです?」
タイゲタが、手許を見ずに乳棒を動かしながら聞いた。
「傷薬の適用範囲より重症の傷用です。猪の牙や魔獣の爪で深い傷を負う人が多いみたいですから、こちらの方がいいかなと」
「大は小を兼ねるって言いますもんね」
タイゲタは、乳鉢の中身をちらりと見て平皿にあけた。
アルキオーネは黙々と手を動かし、三杯目の粉を皿に出す。
「地虫で作る解熱剤は作用が穏やかなので、色々なお薬と組合せやすいですし、症状に合わせて量を加減しやすいので、使い勝手がいいんですよ。明日、作りますね」
「今日中にみんな擂り潰せばいいのね」
こちらを向いたアルキオーネの黒い瞳に挑戦的な光が宿る。
「肉刺ができて手の皮が剥けたりするので、あんまり無理しないで下さいね」
「わかったわ」
ドーシチ市や、ネモラリス島北部の農村での経験が活きたらしい。
午前中には麻袋五杯分の薬草と、六十本分の菜種油を傷薬に加工できた。
ラードとバターをそれぞれ一塊、一キログラムずつ使って、プラ容器二十個を濃縮傷薬で満たしたところへ、使用人が昼食の用意が整ったと呼びに来た。
粉が散らないよう、平皿にラップを掛けて作業部屋を出る。
「魔法薬作るのって、思った以上に大変だったんですね」
「呪文を唱えるだけじゃなかったなんて」
タイゲタとアルキオーネが、掌の肉刺をつついて、しみじみ言った。
☆ドーシチ市や、ネモラリス島北部の農村での経験
ドーシチ市……「0230.組合長の屋敷」~「0232.過剰なノルマ」、「0245.膨大な作業量」「0262.薄紅の花の下」「0266.初めての授業」参照
ネモラリス島北部の農村……「1271.疲弊した薬師」「1272.買物で助ける」「1284.過労で寝込む」~「1286.接種状況報告」参照




