1997.報道されない
薬師アウェッラーナは、夏の都で魔法薬を作ることになった。
移動放送局プラエテルミッサのみんなは、デレヴィーナ市に残り、第二回放送に向けて追加取材する。
難民キャンプの医療者が研修に出る間、不足しがちな魔法薬を補う為だ。
報酬は降圧剤の素材。兄アビエースにはなくてはならず、アナウンサーのジョールチ、葬儀屋アゴーニ、パドールリクは今のところ未病だが、高血圧が悪化すれば必要になる。
この先、首都クレーヴェルで手に入るか定かでなく、現在地のデレヴィーナ市は品薄で、地元民でも入手困難だ。
薬師アウェッラーナは、一も二もなく引受けた。
今日は、情報交換に行くクルィーロとラゾールニクも一緒だ。
防壁の門から【跳躍】許可地点までの道々、これまで収集したデレヴィーナ市のデータをクラウドや、ファーキル宛にメールで送りながら歩く。
アミトスチグマ王国は、ネモラリス島からラキュス湖を隔てた南東に位置する。今日も平和で、人々がゆったり歩き、通りすがりに見える店の品揃えが豊富だ。
それでも、王立職業紹介所は失業者が詰めかけ、魔哮砲戦争が周辺国の経済に暗い影を落としたのだと思い知らされた。
……おカネない人は、大通りのお店に来られないのよね。
市場の庶民的な店や、格安のスーパーマーケットに足を向けるだろう。
現在はまだ、アミトスチグマ政府には、四十万人以上ものネモラリス難民を受容れ、その命と暮らしを支える余裕がある。だが、いつ手を引かれるかわからない状況だ。
国連安保理決議と経済大国二十カ国会議による経済制裁で、本国では輸出入が止まり、個人が外国でする買出しさえ困難になり、この国の都市部に身を寄せる難民の暮らしも脅かされる。
アミトスチグマ政府は、王国に身を寄せる者に帰化の道を開いてくれたが、いつか祖国へ帰りたい者は、首を縦に振り難かった。だが、国籍がネモラリス共和国のままでは、苦労して得た職を失い、職を求めて努力を続ける者は絶望の淵に立たされる。
そればかりか、居候させてくれる親戚や友人にも迷惑が掛かってしまう。
湖南経済新聞の本社版には、身の置き場を失ったネモラリス難民の絶望が日々報じられるが、打開策はいつも「魔哮砲戦争の終結」に行き着いた。
アーテル共和国は、国交のないネモラリス共和国に対して突然宣戦布告したが、停戦条件すら示さない。
一方のネモラリス共和国は、宣戦布告に盛り込まれた「リストヴァー自治区住民の人権状況」を少しずつ改善し、臨時政府を置くレーチカ市で、外国の報道関係者向けに定例記者会見を開いて発表する。
レーチカ臨時政府が受付けないのか、記者団の誰一人として申し込まないのか。外国の報道関係者が、リストヴァー自治区に足を運んで現地取材した記事は、これまでのところ、どこを探してもみつからなかった。
運び屋フィアールカの報告書や、星の道義勇軍の三人が断片的に語った以前の様子から、リストヴァー自治区の状況は、生まれ変わったように改善されたらしい。
それでも、外国の報道機関も、国連や非政府組織の人権団体も、現地の状況を確認しに来ない。
アーテル軍の空襲は一年近くなく、安全に関しては懸念が少ない筈だ。アーテル共和国の軍と政府は現在、魔獣駆除で忙殺され、ネモラリス領を攻撃するどころではなかった。
……もしかして、自治区が住みやすくなったのを確認したら、アーテルが戦争を続けられなくなるから、見に来ないのかな?
タブレット端末を持つ二人は忙しそうだが、持たないアウェッラーナは、道々とりとめもなく考えた。
マリャーナの屋敷に着いてすぐ、パソコンの部屋へ案内される。
ファーキルだけでなく、歌手の女の子たちも居た。
「お久し振りです」
「こんにちは。先に必要な薬の一覧、渡しときますね」
ファーキルが、ディスプレイとパソコン本体の隙間から、クリアファイルを取って薬師アウェッラーナに渡した。
「これを……一週間で?」
びっしり埋まった一覧表が、半透明のファイル越しに透けて見える。
アウェッラーナはドーシチ市の件を思い出し、気が遠くなりかけた。
「いえ、その種類と量は、用意できた材料からできる最大値です。一週間で、できたとこまででいいそうなんで、焦らずゆっくり作業してもらって大丈夫ですよ」
「そ、そう? ホントに全部作らなくていいのね? あ、材料の下拵えって済んでるんですか?」
「無理せずできるとこまででいいそうです。この材料、油とかの加工品以外は、難民キャンプで採れた物で、現地で下拵えできるものは処理済みです。でも、擂り鉢とか、器材がないと無理なのはそのままだそうです」
「途中まで済んでるんですね。よかった。作業するお部屋は」
「私が案内します」
黒髪の歌姫が小さく手を挙げ、机を回り込んで来た。眼鏡の娘もついてくる。
「私たちでお手伝いできるコトなら、何でも言って下さい」
「虫を擂り潰す作業とかあるんですけど、大丈夫ですか?」
アウェッラーナが聞くと、歌手二人は一瞬怯んだが、腹に力を入れて答えた。
「はい、大丈夫です」
「何でも手伝います」
ファーキルを見ると、小さく頷かれた。
「ラゾールニクさんとクルィーロさんは、礼拝の動画を観てくれませんか?」
「礼拝? どこの?」
ラゾールニクが聞くと、ファーキルはユアキャストの画面を表示させた。
「四日前のルフス光跡教会です。バルバツム軍の兵士が公開したっぽいんですけど、実際どうかわかりません」
「何でバルバツム兵だと思うんだ?」
「ロークさんたちも行ったんですけど、出席したの、地元民はほんの少しとアーテル兵も少し、大半がバルバツム兵で、昨日、人員の交代で一部が帰国したんで、それかなって」
「へぇー……レフレクシオ司祭の礼拝?」
アウェッラーナも気になったが、魔法薬はなるべく多い方がいい。一言断って、歌手の二人とパソコン部屋を後にした。
☆難民キャンプの医療者が研修に出る……「1968.医療者の研修」~「1973.自治の難しさ」参照
☆兄アビエース(中略)高血圧が悪化すれば必要……「1678.電子式血圧計」「1754.高血圧の対策」参照
☆王立職業紹介所……「1184.初対面の旧知」「1186.難民支援窓口」参照
☆苦労して得た職を失い……「1864.買物に身分証」「1865.波及する影響」参照
☆ドーシチ市の件……「0230.組合長の屋敷」~「0232.過剰なノルマ」「0245.膨大な作業量」「0262.薄紅の花の下」「0266.初めての授業」参照
☆四日前のルフス光跡教会/ロークさんたちも行った……「1993.祈りの時間に」~「1995.伝承の復元を」参照




