1993.祈りの時間に
ロークは、クラウストラと二人でルフス光跡教会を訪れた。
洗浄と修繕が完了し、あの日の惨劇の痕跡はどこにもない。
それでも、ロークは足が重くなった。自分の臆病な一面を思い知らされ、歯を食いしばる。
今日はアーテル国営放送のラジオ番組「祈りの時間」公開生放送が行われる。
前庭から礼拝堂の入口まで通路の周囲がコンクリートで固められ、かつては四季折々に花が咲き乱れた庭園は灰色に塗り潰された。土魚の襲撃からは安全になり、先週から通常の礼拝が再開したが、まだ訪れる信徒は少ない。
魔獣の大量出現と外出自粛で、公開生放送を見に来た一般信徒は、会衆席の五分の一も居なかった。残りは教団関係者とアーテル軍、バルバツム陸軍の関係者だ。
説教壇の脇に小机が置かれ、旧式のCDラジカセが鎮座する。
運び屋フィアールカが、平和の花束の四人に共通語で歌わせ、インターネットを介して音源を提供。バルバツム連邦のインディーズレーベルがCD化したものだ。
現地で通常の流通に乗せ、連邦在住の協力者が、ルフス光跡教会のレフレクシオ司祭宛に郵送した。
なんとも回りくどいやり方だが、バルバツム連邦やバンクシア共和国からの手紙や小形包装物なら、物品に対する通関や防疫上の検査はあっても、内容の検閲まではされない。
会衆席の大半が、都市迷彩の軍人で埋まる中、礼拝が始まった。
聖歌隊はあの日以降、死傷者以外も次々と辞め、補充が進まないらしい。更に外出自粛の影響もあり、前回潜入した時の三分の一以下の人数だ。しかも、女声パートが一人もいない。
……まぁ、そりゃそうだよな。
魔獣の出現がまだ少なかった頃、たった一頭の双頭狼であれだけの死傷者を出したのだ。
現在は、土魚だけでなく、何種類もの魔獣が街中に出現する。ネモラリス憂撃隊が故意に召喚したモノだけではない。
介護を受けられず衰弱死した高齢者の遺体、通院できず持病が悪化した病人の遺体、魔獣が食べ残した死体、ゴミ捨てに行けず溜まった生ゴミ、アーテル軍とバルバツム陸軍、自警団などが倒した土魚の死骸など、新手の魔物や魔獣が出現する扉は多種多様で、至る所にあった。
ネモラリス政府軍が手を下すまでもなく、このままではアーテル共和国が国家として立ちゆかなくなる可能性がある。
バルバツム連邦陸軍は、対ネモラリス軍ではなく、魔獣駆除の支援で派遣されたが、弾薬を浪費するばかりで大した戦果を上げられなかった。
今、ルフス光跡教会の礼拝堂を埋める連邦兵は、ステンドグラスを背に両腕を広げて微笑む聖者像に縋るような眼を向けて座る。
力なき聖者キルクルスは、慈愛に満ちた微笑を万人に向けるが、彼らに直接の救済は与えてくれなかった。
撃っても撃っても土中から涌いて出る土魚はキリがない。死骸を共食いした個体は膨れ上がり、鱗が強度を増して通常弾が効かなくなる。
魔獣駆除業者から助言を受けたか、自分で気付いたか不明だが、最近は火焔放射器を併用するようになった。
それでも、完全に灰や炭にはできず、生焼けの死骸からの出現や、共食いを防げない。
魔法の炎とは、魔獣の燃え方が根本的に異なる。
攻撃が存在の核に当たれば、通常弾でも一撃で灰にできるが、土の上を跳ね回る土魚相手に精密射撃は不可能だ。
ロークは、少人数の男声だけで構成された聖歌を聞き流し、バルバツム兵の様子を横目で観察する。
……無駄弾撃って土魚を強くしに来たようなもんだよな。
大司教の説教が始まった。
流暢な共通語だが、内容はありきたりで退屈極まりないものだ。ロークは意識の片隅で聞いて、バルバツム兵の様子を窺う。
大司教が、アーテル共和国が置かれた状況を聖典の一節にこじつけて語ると、兵士たちは硬い表情で微かに顎を引いた。
……ネモラリスに戦争吹っ掛けなきゃ、こんなコトにならなかったのに。
ロークは、大司教が被害者然として語る言葉を内心せせら笑った。
「この苦難を分かち合い、共に乗り越える努力をして下さること、大変有難く、この深い感謝を適切に表現できる言葉がみつかりません」
道連れになることを感謝されても困るだろう。バルバツム陸軍の兵士たちは、表情を崩さなかった。
大司教の説教が終わり、大聖堂から派遣されたレフレクシオ司祭と交代する。連邦陸軍兵の表情がやや緩んだ。
「本日は、聖典のお話をする前に歌を一曲、お聴きいただきたいと思います」
会衆席から微かなざわめきが起きる。
ロークとクラウストラは、レフレクシオ司祭と面識はあるが、今日も【化粧】の首飾りで顔を変えてあり、司祭にはわからない。
「バルバツム連邦の信徒の方が、CDを送って下さいました。花束と言う駆け出しの歌手グループが歌う信仰に関する歌です。私も初めて耳にしましたが、大変よい曲ですので、アーテルの皆様にも是非お聴きいただきたいと思い、今日の為に使用許諾を申請しました」
アーテル共和国の音楽著作権協会に申請を出せば、外国の楽曲も包括的に処理される。協会から外国の権利者に対して許諾申請が代行され、利用料が送金される仕組みだ。
この国では、教会と学校での国内利用に関して、利用料が掛からない。外国の楽曲は国毎に異なるが、必要な場合も、協会が立替え払いする。
今回も、礼拝での使用なので、ルフス光跡教会とレフレクシオ司祭の懐は痛まない。
レフレクシオ司祭は曲名を共通語で告げ、CDラジカセの再生ボタンを押した。
ピアノと竪琴の音色が礼拝堂の高い天井に反響する。続いて、甘く澄んだ女声が共通語で歌詞を旋律に乗せた。
☆あの日の惨劇……「1073.立ち止まろう」~「1077.涸れ果てた涙」参照
☆アーテル国営放送の「祈りの時間」……「1806.ルフスの被害」参照
☆バルバツム連邦陸軍(中略)魔獣駆除の支援で派遣……「1843.大統領の会談」参照
☆弾薬を浪費するばかりで大した戦果を上げられなかった……「1852.援軍の戦闘力」「1853.装備品の不足」参照




