1992.無反応を貫く
「民の移動を制限するのは不可能です。しかし、陛下は経済制裁には反対のご意向。身分証の確認などでネモラリス人を締め出すことなどできません」
プンツォーヴィ外務次官が、苦しげにラクリマリス王国の状況を語る。
既に民間では、経済制裁に従わざるを得ない業種を中心にネモラリス人を身分証の確認などで排除するが、限定的だ。
ネモラリス人を気の毒に思い、従前通りの対応をする個人商店などが多かった。また、ラクリマリス人などによる買物代行もあり、規制などあってなきが如しだ。
移住希望者も、現在は適法な手段でラクリマリス当局に申請を出し、神殿や身元保証人となる親族宅へ身を寄せて手続きの完了を待つことが多い。
だが、帰化可能な者の移住を拒絶すれば、地下へ潜ってしまう。
不法移民が増加すれば、帰化条件を満たさない者から、敢えて渡航する者が現れるだろう。どうせダメなら、このまま祖国で死ぬより不法移民になってでも生き延びたいと、生存を最優先する判断だ。
終戦まで、安全なラクリマリス王国領で収監されれば、最低限の食と住が保証され、生き延びられる可能性が高い。
不法移民の収監施設には限りがある。
収容しきれなかった者がどんな扱いを受けるかわからないが、神殿で保護される可能性が高いだろう。ラクリマリス領内の都市ならば、少なくとも、空襲と魔獣からは守られる。
神殿などが以前のように難民でいっぱいになれば、巡礼などの観光収入に頼るラクリマリス王国の財政は、再び痛手を蒙る。
まだ、開戦直後やクーデター直後の難民流入による経済的な打撃から立ち直れておらず、廃業した事業所もあった。ラクリマリス王国の行政と政財界は、自国民の失業対策だけで手一杯なのだ。
アーテル共和国は、ラクリマリス王国領内に陸軍部隊を侵入させ、腥風樹の種子を植付けた件で、同王国から国際司法裁判所に提訴されたが、応訴しなかった。
両国と経済的な繋がりのあるガレアンドラ王国を仲介に立て、賠償の件も伝達したが、なしのつぶてだ。
農地の除染費用と農家への緊急経済支援で、国庫に重い負担が圧し掛かる。
いつまでもこんな状態が続けば、紛争当事国ではないラクリマリス王国も、財政破綻の危機に直面しかねなかった。
プンツォーヴィ外務次官が語り終え、ギームン神官が溜息交じりにぼやいた。
「一番いいのは、戦争が一日も早く終わることなのでしょうが」
「我が国も、アミトスチグマ王国やガレアンドラ王国など、アーテルと通商で繋がりを持つ国々を介し、複数の方面から働き掛け続けておりますが、アーテル政府からは一切、応答がありません」
「いずれも、フラクシヌス教徒の多い両輪の国ですね」
国際政治学者のパベーク教授が、やんわり指摘した。
詩人のルチー・ルヌィが、何を当たり前のコトをと首を傾げる。
「それはそうでしょう。ウチの国は聖地があるんですから、フラクシヌス教徒が多い国と仲が良くて当然です」
アーテル共和国は、ラキュス・ラクリマリス共和国から分離・独立した。主神フラクシヌスの血族であるラクリマリス王家と、湖の女神パニセア・ユニ・フローラの血族であるラキュス・ネーニア家に逆らった不心得な民として、ラキュス湖周辺地域の大半の国から距離を置かれる。
大使館を設置するのは、隣のキルクルス教国であるラニスタ共和国のみだ。
近年、キルクルス教政権が樹立したディケア共和国は、ラキュス湖畔の多くの国が国家承認しない。アーテルへの大使館設置は準備中だったが、魔哮砲戦争によって中断した。
「そして、キルクルス教徒をランテルナ島へ追放しましたよね。その為にわざわざ、南北のヴィエートフィ大橋再建工事をアーテル政府と共同でしてまで」
ラクエウス議員は、パベーク教授が何を言わんとするかわかったが、石を呑んだように胸が痞え、声が出なかった。
「アーテル政府が建前として掲げた宣戦布告理由は、リストヴァー自治区の人権状況の改善です」
「ふむ?」
急に話が変わり、ラクエウス議員はパベーク教授の顔を見た。
「キルクルス教徒を追放したラクリマリス政府は無論のこと、他のフラクシヌス教国も、アーテル政府の譲歩を引き出すのは難しいと思います」
アーテル共和国が戦争を始めた真の狙いは、魔哮砲を実戦投入させ、国際社会にその存在を認識させることで、まず間違いないだろう。
周辺国がネモラリス共和国を庇えば、魔法生物の兵器化を容認する邪悪な魔道国家として、糾弾しやすくなる。
国際社会で強い発言力を持ち、また。数が多いのは、科学文明国やキルクルス教徒の多い国だ。
湖東地方ではこの百年余りの間、フラクシヌス教徒とキルクルス教徒の間で地域紛争や内戦が勃発し、国連の仲裁によって分離・独立の動きが加速。多数の小国が乱立する。ディケア共和国のようにキルクルス教政権が樹立した国も誕生した。
規模の大小を問わず、一国は一国だ。
国連総会での採決では、すべての国がひとしく一票を持つ。
元より少数派の魔法文明国にとって、不利な場なのだ。
アーテル政府が、ラクリマリス王国をはじめとするフラクシヌス教国への無反応を貫けば、国際社会……キルクルス教圏では、邪悪な魔法使いの甘言に乗せられない賢明な態度に映る。
「リストヴァー自治区に国連の人権監視団を入れて、現況を確認させるのも、ひとつの手やもしれませんな」
「魔装兵が駐留しているんですよね? 却って拗れませんか?」
詩人のルチー・ルヌィが、ラクエウス議員の提案に懸念を示した。
「フェレトルム司祭がおられます。あの地では、魔法なしでは暮らせないこと、魔装兵は魔物や魔獣から自治区民を守っていることなどをクブルム街道で説明していただければ、何とかなりそうな気はしますが」
「話を捻じ曲げて伝えられないように報道関係者も入れて……フリージャーナリストの彼と連絡を取れませんか? 動画で生中継してくれるとよいのですが」
パベーク教授が、ずり下がった眼鏡を掛け直して一同を見回す。
プンツォーヴィ外務次官が頷いた。
「では、ラクリマリス政府が後押しできますよう、報告いたします」
「イーニー大使とスメールチ国連大使を通じて、関係各方面への伝達をお願いします」
外交方面の話は午前中で終わり、午後からはインターネットや郵送などで寄せられた「すべて ひとしい ひとつの花」の歌詞選定作業を進める。
だが、残り僅かな一言は、決められなかった。
☆経済制裁……「1842.武器禁輸措置」「1843.大統領の会談」参照
☆陛下は経済制裁には反対……「1893.王家と商売人」参照
☆ネモラリス人を身分証の確認などで排除……「1864.買物に身分証」「1897.物資納品作業」「1916.誰も損しない」参照
☆神殿などが以前のように難民でいっぱい……「534.女神のご加護」「674.大規模な調査」「676.旅人と観光客」「677.駆け足の再会」参照
☆腥風樹の種子を植付けた件……「498.災厄の種蒔き」「499.動画ニュース」「500.過去を映す鏡」参照
☆国際司法裁判所に提訴……「1525.国際司法裁判」「1526.提訴の意味は」「1681.コメント確認」参照
☆南北のヴィエートフィ大橋再建工事をアーテル政府と共同で……「0299.道を塞ぐ魔獣」「0997.居場所なき者」「1526.提訴の意味は」参照
☆魔哮砲を実戦投入させ、国際社会にその存在を認識させる……「411.情報戦の敗北」「705.見張りの憂鬱」参照
☆国連の仲裁によって分離・独立の動きが加速……「1086.政治の一手段」「1087.成行きの果て」参照
☆魔装兵が駐留(中略)却って拗れ……「1981.間接的な情報」参照
☆フリージャーナリストの彼……ラゾールニクは教授と面識がある「751.亡命した学者」~「753.生贄か英雄か」参照




