1991.流れゆく民草
「ローク君の報告書にもあったと思うけど、一旦、神殿で教育を受けたアーテル人でも、本人がもう少しランテルナ島で頑張るって言えば、島へ戻してるわ」
運び屋フィアールカが、会議机に広げた書類を五人分、拾い上げる。
「元星の標も……その人たちは、島で就職できたのですか?」
リャビーナ市民楽団のソプラノ歌手オラトリックスが聞く。
彼女は、星の標リャビーナ支部長オーストと、彼が経営するオースト倉庫株式会社の動きを監視する。同社で採用された力なき民の国内避難民は、それと知らぬ間にキルクルス教の信仰を刷り込まれつつあった。
ランテルナ島にも、力なき陸の民が居る。
島生まれの彼らの多くはフラクシヌス教徒だが、何らかのきっかけでキルクルス教の教えに感化された者は、光の導き教会へ行って改宗し、その近くの村へ引っ越した。
「持ち出した現金を取り崩したり、食費を稼ぐだけで精一杯のホームレスだったり、収入は少ないけど【操水】とか覚えて、今のところ、魔法使いとして頑張ろうとしてるわね」
「そうなのですか。それでしたら、大丈夫……ですわよね?」
オラトリックスは、まだ懸念が拭い切れない顔だが、どうにか自分を納得させたようだ。
「こんな小さい子も居るんですね」
ソプラノ歌手ニプトラ・ネウマエが書類を一枚手に取った。
「医院の養子に……お父さんは」
「こっちよ」
運び屋が中年男性の書類を渡す。父親は、清掃の仕事を得たが、持ち出せた現金を取り崩してどうにか暮らすらしい。
「本人にヤル気があって使える魔法が増えれば、仕事の幅は広がりますからね。これからでしょう」
詩人のルチー・ルヌィが明るい声を出した。
この父子は毎日面会できるらしいが、魔力の有無によってひとつの家族が引き裂かれたコトに変わりはない。
「我が国も、戦争の影響で失業者や収入減少世帯が増え、財政に余裕があるとは言えません」
外務次官プンツォーヴィが、暗に釘を刺す。アーテル人を無制限に受容れるワケにはゆかないのだ。
運び屋フィアールカが頷いた。
「それはわかってますよ。以前は“偶発的な事故”で魔力がバレる人って年に十人くらい。多くても二十人前後だったの。でも、今は毎月、前の一年分以上が渡って来るもの」
「ネモラリス憂撃隊の仕業で確定ですか」
パベーク教授が、フィアールカとラクエウス議員に不安な顔を向ける。
「えぇ。ローク君がオリョールを目撃したわ」
魔獣駆除業者に扮し、魔獣退治はきちんと実行するが、何のかんの理由をつけては雇い主一家や救助に来た星の標に【魔力の水晶】を握らせる。誰かの【水晶】が反応すれば、隣近所に聞こえる大声で、魔力があると告げる。
魔力が発覚した者は、その場で星の標に捕えられるが、見逃してもらえても、地元には居られなくなった。
「最近は、ネモラリス島から経済難民として渡って来る人が増えています」
プンツォーヴィ外務次官がもうひとつの懸念を語る。
アーテル軍による空襲が鳴りを潜め、戦争難民の流入は落ち着いた。しかし、経済制裁発動後は再び増加に転じた。
アーテル・ラニスタ連合軍による空襲に晒されなかった地域でも、湖上封鎖と経済制裁で暮らしが立ちゆかない世帯が増えた為だ。
ラクリマリス王国領に血縁者が暮らす者を中心に経済難民として流入。帰化の条件を満たす者は、開戦初期に流入した戦争難民だけでも相当数に上り、未だに審査や手続きが完了しない。
正確に言うと、経済的な理由でラクリマリス王国への移住を希望し、身元保証人となる同王国籍の血縁者の居る者は「移民」だが、手続き完了までの中途半端な立場は、便宜上「経済難民」として扱われる。
難民の立場ならば、一定の保護を与えやすいからだ。
「我が国にも、職や住居が無尽蔵にあるワケではありません。ネーニア島南部は大部分がツマーンの森に覆われ、人間が住めませんから」
「しかし、経済的な事情で来た者たちは、アミトスチグマ王国の難民キャンプには移らないでしょうな」
プンツォーヴィ外務次官が苦し気に吐露し、ラクエウス議員は申し訳なさで胸が痛んだが、どうにもできないのがもどかしかった。
ネーニア島南東部では、まだ、腥風樹による汚染の除去作業が続く。
使用不能に陥った農地や牧草地は広大で、食料自給率が低下した。
それでも、数少ない「ネモラリス人にも物を売ってくれる国」として、食料品などの買出しに訪れる者が後を絶たない。こんな状況が続けば、買出しだけのつもりで来て、そのまま居着く者が現れるかもしれなかった。
戦争が長引けば、ラクリマリス王国の負担は増すばかりだ。
「半世紀の内乱中は、外国へ逃れる人は、ほんの少しでしたのに」
ニプトラ・ネウマエがパベーク教授を見る。
彼女と教授は、孫と祖父の年齢差に見えるが、実年齢は、長命人種のニプトラの方が上だ。
「当時も、アーテル地方の力なき民は、隣のラニスタ共和国へ流出しました」
パベーク教授が宙を睨んで答える。
ラクエウス議員も内乱以前の生まれだが、出身地はネモラリス島のクレーヴェルだ。当時、近隣には国教をキルクルス教と定めた国はラニスタ共和国以外になく、戦闘と避難を繰り返し、国内を転々とした。
湖の民や力ある陸の民が国外へ逃れなかったのは、【跳躍】できる程に詳しく知る場所がなく、湖上での戦闘で航空機も魔道機船も危険だったからだ。
現在は、ラクリマリス王国の湖上封鎖に守られ、難民輸送船はアーテル軍の攻撃や、野生の魔獣に脅かされず航行できる。また、聖地巡礼などでラクリマリス領に土地勘を持つ者が多く、【跳躍】でも来られた。
分離・独立したとは言え、元はひとつの国。王都周辺の結界は短期間しか維持できず、領土全域に掛けるなど、不可能だ。
「このままでは、共倒れになりかねません」
だが、ラクリマリス政府が渡航を制限しても、魔法使いの移動は止められない。
魔法使いにとって、国境などないに等しかった。
☆ローク君の報告書(中略)島へ戻してる……「1940.連邦との接点」参照
☆星の標リャビーナ支部長オースト……「696.情報を集める」「721.リャビーナ市」~「724.利用するもの」参照
☆知らぬ間にキルクルス教の信仰を刷り込まれ……「873.防げない情報」参照
☆光の導き教会へ行って改宗……「0314.ランテルナ島」「794.異端の冒険者」「841.あの島に渡る」「843.優等生の家出」参照
☆こんな小さい子……「1777.魔獣との戦争」~「1779.神学校の被害」参照
☆医院の養子……「1796.生存の選択肢」「1983.吹っ切れた者」参照
☆ローク君がオリョールを目撃……「1770.駆除屋の正体」~「1776.人助けの報酬」参照
☆帰化の条件……「0222.通過するだけ」「0271.長期的な計画」「675.見えてくる姿」「0997.居場所なき者」参照
☆難民の立場ならば、一定の保護……「1899.突然の七連休」参照
☆腥風樹による汚染の除去作業……「0986.失業した難民」参照
☆王都周辺の結界……「1005.初めての樫祭」参照
▼ラキュス湖地方の信仰分布。
※ ディケア共和国でキルクルス教政権が成立したのは最近の数年……「696.情報を集める」参照




