1990.逃げ果せた者
ラクエウス議員は、運び屋フィアールカの【跳躍】で、ラクリマリス王国の王都東神殿を訪れた。
以前、歌詞を決める会議で集まった際とほぼ同じ者が顔を揃える。ソプラノ歌手ニプトラ・ネウマエ、リャビーナ市民楽団のソプラノ歌手オラトリックス、王都第二神殿の聖歌隊責任者ギームン、ラクリマリス人の詩人ルチー・ルヌィ、それに、ラクリマリスの外務次官プンツォーヴィとネモラリスの国会議員ラクエウスだ。
今日の会議も、表向きは「音楽趣味仲間のお茶会」で、主催はニプトラ・ネウマエが名義を貸す。
歌手の三人と詩人のルチー・ルヌィ以外は得意な楽器を携えて来た。
ラクエウス議員の手元には、長年手に馴染んだ竪琴がある。今回、新たに加わった国際政治学者パベーク教授の胸ポケットには、ハーモニカが挿してあり、運び屋フィアールカは鞄の肩掛けに銀のホイッスルを吊るす。
「お久し振りです。フィアールカ神官、竪琴奏者さん」
王都第二神殿の聖歌隊責任者であるギームン神官が、席に着いた二人の前に湯気の立つ茶器を置いた。
東神殿の会議室は、建物に施された様々な術で常に適温に保たれる。機械で空調するリストヴァー自治区の建物より快適だ。
ラクエウス議員の老いた身も冷え過ぎず、楽に過ごせる。有難くはあるが、キルクルス教徒としては内心、複雑だ。
「ギームン神官、私がひとつの花の御紋を返上して何年になるか、わかる?」
運び屋フィアールカは笑って言うが、その目には笑みがない。緑の瞳が、陸の民の胸元で輝く【導く白蝶】学派の徽章で視線を留めた。
葬儀を担当する赤毛のギームン神官は、焦茶色の瞳で緑髪の女性を見て言う。
「二十年余りになりますか。神殿を離れ、活動の形を変えても、あなたはやはり聖職者です」
フィアールカは肩掛け鞄に手を入れ、わざとらしく溜息を吐いた。
「今日はそんな話で来たんじゃないわ」
卓上に大判封筒を出し、中身を広げた。
個人の経歴書のようなものだ。A4判で、右肩に小さな顔写真が印刷してある。
就職活動用の履歴書とは異なり、来歴部分の形式はマチマチだ。両親や祖父母まで遡るものもあれば、昨年の本人から始まるものもある。
その他の内容は、キルクルス教徒としての来歴と信仰の程度、教会や星の標との関係、本人の技能、保有資格、魔術に対する認識、現在の居所、職業、行動を共にする者などだ。
項目が全て埋まる者は稀で、大部分が多くの空欄を抱える。職業欄は「無職」が多かった。
顔写真は、カメラ目線が一枚もない。盗撮か、防犯カメラからの切出しらしい。
「アーテル本土での土魚大量発生以来、魔力が発覚してランテルナ島へ渡る人が増えてるの」
「この人たちがそうなんですの?」
ソプラノ歌手ニプトラ・ネウマエが幼い子供の写真に目を留めて聞く。
会議机に広げられた書類の顔は、老若男女様々だ。女性と子供は比較的少なく、若年から中年の男性が最も多い。
「そうです。ランテルナ島まで逃げ果せられた人たちの一部です」
「随分、男性に偏ってるんですね?」
同じくソプラノ歌手のオラトリックスが、机上を見渡して眉を顰める。
「女性や子供は、なかなか自力で島へ脱出できませんからね。星の標に捕えられて火炙りにされた人が多いのよ」
緑髪のフィアールカが眉ひとつ動かさず、淡々と報告する。
集まった者たちの目が、ラクエウス議員にチラチラ向けられた。
「魔獣の大量出現で外出もできなくて、アーテル人の不満はかなり溜まってるのよ。鬱憤晴らしの面があるのは否定できないわね」
「無自覚な力ある民が餌食になれば、その分、魔獣が強化されますから、彼らとしては、合理的な判断のつもりなのでしょうが」
フィアールカが状況を説明すると、ラクリマリス王国へ亡命したパベーク教授が眉間に皺を寄せて理解と懸念を示した。
「バルバツム軍にみつかったら、人権侵害を云々されそうな事件よね」
フィアールカがタブレット端末をつついて言う。
バルバツム連邦は、キルクルス教徒が国民の大多数を占め、実質的にキルクルス教国だ。
それでも、建前上は信教の自由、あらゆる人種の平等、人権の尊重をを謳う。
魔力を持つ者への差別を禁じる法を定め、人権侵害も批難するが、魔法文明国からの入国には査証が必要だ。それに対して、科学文明国……取分け、キルクルス教を国教と定める国々からの入国審査は緩く、査証を必要としない国が多い。
矛盾と欺瞞に満ちた二重規範だが、その時々で使い分け、強大な軍事力と経済力を背景に国際社会での発言力は大きかった。
「従軍記者や、軍事系のフリージャーナリストが来ましたよね? アーテルで取材する彼らは報道しないのですか?」
パベーク教授が、ランテルナ島に拠点を持つ運び屋に聞く。
「バルバツムのニュースサイトとか、星光新聞の公式サイトとか色々見たけど、そういう記事はないみたいね」
「怒られるとわかってるから、星の標はバルバツム人の目に触れない所で、こっそり始末するんじゃありませんか」
詩人のルチー・ルヌィが、恐ろしいことをさらりと口にする。
ギームン神官が大きく息を吐いた。
「無自覚な力ある民は、アーテル本土を追放同然で出ましたが、その一部は、我が国に渡りました」
「引受けてくれてありがとね」
運び屋フィアールカが、力ある陸の民の神官へ今度は本物の笑顔を向ける。
「それが、融和の一歩になるのですから、喜んで」
「アーテル人が、ラクリマリスに渡ったのかね? 自分の意志で?」
ラクエウス議員は初耳だ。
「えぇ。【水晶】に魔力を補充する仕事をするって言った人とか、西神殿の宿泊施設で一時保護して、ヤル気ある人は職人さんに預かってもらって、下働きよ」
「宿泊施設に居る間にこの国や魔法文明圏全般の常識、フラクシヌス教のことを説明してもらっています」
「ランテルナ島は、居住可能な土地が少ないですからね」
ギターを抱えたプンツォーヴィ外務次官が頷く。
急激な人口流入は、友好国間でも様々な軋轢を生んだ。
互いに快く思わないアーテル本土の者とランテルナ島民では猶更だろう。
「魔力があっても魔法が使えない人の仕事の受け皿って限られるし、職にあぶれた人が大勢居ると、治安の問題も出て来るから」
運び屋の言葉に一同、何とも言えない顔で頷いた。
☆歌詞を決める会議……「772.ネモラリス島」→「774.詩人が加わる」参照
☆国際政治学者パベーク教授……「750.魔装兵の休日」~「753.生贄か英雄か」参照
☆私がひとつの花の御紋を返上……「588.掌で踊る手駒」と外伝「明けの明星」参照
☆アーテル本土での土魚大量発生……「1698.真夜中の混乱」~「1700.学校が終わる」「1733.業者に出会う」参照
☆バルバツム連邦/魔法文明国からの入国には査証が必要……「434.矛盾と閉塞感」参照
☆西神殿の宿泊施設で一時保護……「1935.休暇が潰れる」~「1940.連邦との接点」参照
☆宿泊施設に居る間(中略)フラクシヌス教のことを説明……「1899.突然の七連休」~「1907.祝日制定理由」参照




