0203.外国の報道は
ファーキルは、運転席の後ろの小部屋に通された。
机と椅子があって狭いが、壁が風除けになって暖かい。服をあげた少年が左の隅で微かに寝息を立てる。
ファーキルは光を漏らさないよう、さっきまで隊長が包まっていた毛布を被り、タブレット端末の電源を入れた。
充電の残量はまだ九割あるが、アンテナ表示はゼロだ。流石に隧道内からはアクセスできない。
テキストエディタを起動し、今朝からさっきまでの出来事を共通語で綴る。充電が半分を切ったところで、電源を落として眠った。
翌朝、放送局のイベントトラックが隧道を抜けた。
クブルム山脈の南側には、昨日と同じ遺跡のように古びた廃墟が、枯れ草に半ば埋もれて広がる。
朝食後、湖の民の薬師が魔法で傷薬を作った。
蓋を開けた食用油の瓶の前に立ち、乾燥した草の束を持って呪文を唱える。
油が意思を持つ生き物のように動き、瓶を出て宙に漂った。湖の民の少女が、草の束を油に入れて更に呪文を唱えると、草が形を失い、油と一体になる。
子供たちが油の瓶を除けて紙コップを並べる。
緑の液体は一滴も零れることなく、白い紙コップに流れ込んだ。
先に薬師が指示した通り、子供たちが紙コップにラップで蓋をして、輪ゴムを掛ける。
「怪我をした所と手を水で洗ってから、この傷薬を塗って下さい。大体、次の日には治ります」
湖の民の薬師が使い方を説明する。
みんな、真剣な表情で耳を傾けた。
「骨折とか、身体の奥の傷は治せません。表面の傷なら、切り傷でも火傷でも、何でも治ります。ガラスとか刺さってる時は、抜いてから塗って下さい」
薬師は使用上の注意を伝え終えると、一人ずつ、薬入りの紙コップを手渡した。
ファーキルも受け取る。
紙コップの八分目まで緑色の軟膏があった。傷薬は粘度が高く、傾けても液面は動かなかった。
……魔法薬……!
ファーキルは、生まれて初めて手にした魔法薬に身体の芯が熱くなったが、何でもない風を装い鞄に仕舞った。
鞄に乗せたタブレット端末を見ると、充電の回復は七割程度だ。好天に恵まれ、太陽光発電が捗った。
アンテナは辛うじて一本。
ブラウザを起ち上げ、海外のニュース通信社のサイトにアクセスした。
本社は、遠く離れたアルトン・ガザ大陸のバルバツム連邦にある。建前上、信仰の自由を認めるが、国民の大半がキルクルス教徒だ。
恐らく、ネモラリス共和国とラクリマリス王国に関する記事の大半は、伝聞の伝聞だろう。
ファーキルは、ニュース記事から情報源を辿ることにした。
<ラキュス湖南地方の紛争>と題して、組まれた特集をみつけた。
内容は意外にも、アミトスチグマ支局所属の記者を特派員とした一次情報だ。
特集ページのトップには、空襲に見舞われた街の写真を大きく掲載する。
キャプションによると、ネモラリス島最南端の都市レーチカらしい。写真の中では、生き残った人々が、ザカート市同様の惨状を呆然と見守る。
昨日、湖の民の薬師は、フナリス群島経由でネモラリス島に渡ると言った。フナリス群島に最も近いレーチカ港は、使えなさそうだ。
……まぁ、これも一部分を切り取った報道で、全体はどうだかわかんないけど。
その下には、開戦前の比較写真があった。街路樹は青々とした秦皮で、平和な街並みの至る所にフラクシヌス教の象徴が掲揚してある。
最新記事はアーテル政府の発表モノだ。
ネモラリス軍、魔法生物を使役 アーテル政府
「魔法生物?」
肩越しに画面を覗いた隊長が、湖南語で呟く。
ファーキルは、無精髭が伸びたボロボロの恰好のおっさんが、共通語のニュースをすらすら読んだことに驚いた。
顔に出さないよう、心の中で十数えてから声を掛ける。
「アーテル政府が一方的に言ってるだけで……あ、こっちにネモラリス側の反論が載ってますね」
記事下の関連記事リストから、見出しを選んでタップし、本文を表示させる。
ネモラリス側の説明では「使い魔」とのことだ。軍事機密に属するのか、使役するモノの種類は記載がない。
魔術を知らないアーテルの発表などアテにならず、キルクルス教徒に説明したところで、どうせ読まないだろうから億劫だとでも言いたげだ。
ファーキルがネットで得た知識では、使い魔は三種類あった筈だ。
一般的な使い魔は黒猫や鴉など、普通の生き物を術で使役する。次に多いのが、雑妖や弱い魔物を術で拘束するものだ。
そして、今の時代は滅多に存在しないが、魔法生物も使い魔として使役できる。
魔法生物自体、本来は魔法使いがちょっとした用事や儀式魔法の手伝いをさせる為、人工的に造り出した生き物だ。
太古の時代には、兵器利用された例もあるが、三界の魔物の惨禍以降は、厳しい制約が課され、そのようなモノは作られない。
製法が破棄され、魔法生物を作る【深淵の雲雀】学派の術者が迫害されたことだけが伝えられる。
今では【深淵の雲雀】学派の継承者も絶えて久しく、魔法生物の製法はロストテクノロジーだ。
僅かに現存する魔法生物は、遺跡から休眠状態で発見されたモノばかりだ。
制約を課された時代に制作された一世代限りの存在で、繁殖力や大きな力は付与されず、せいぜい、お使いや家事手伝いくらいしかできないらしい。
記事には、科学文明国の読者向けに「魔法生物」の簡単な解説が添えてあった。ほぼ、ファーキルにとって既知の内容だ。
隊長が険しい表情で、共通語で書かれた記事の大意を湖南語に訳し、みんなに聞かせる。
終わるのを待って、ファーキルは別の記事を表示させた。




